【短編小説】鏡

女は、とある骨董屋で大きな鏡を見つけた。
どれくらい昔の代物なのか、楕円型の鏡の周りは華やかな彫刻のゴールドフレームで囲まれているが、ひどく年期が経っていた。

「そこのお嬢さん、鏡をお探しかね」

「あ、いえ。そうゆうわけではないのですが、この鏡は、不思議な存在感がありますね」

「ほほぅ、お目が高いですね。これは100年前、とある王室にあったとされている鏡なのです」

「そんな貴重なもの、なぜ誰も買わないのですか?お値段も、そんなに高いわけではないのに」

「実はこの鏡、買い手が見つかっては、数日経つと戻ってくるんですよ」

「どういう意味ですか?」

「返品されるんです。なんでも、この鏡を置いた日から、囁き声が聞こえるようになるとかで」

「囁き声?それは奇妙ですね」

「そうなんです。皆さん気味悪がられて、ここ10年ほど、店と誰かの家を行ったり来たりしています」

そう聞くと確かに気味が悪いが、女はなぜかその鏡が気になり、店内をぐるぐると回っては、またその鏡の前に戻ってきた。
そして、鏡の中の自分を見つめていたその時だった。

"お美しい、、、"

どこからか声が聞こえ、女は後ろを振り向いたが、周りには誰もいなかった。

"私です。鏡です"

女はただ、その鏡をじっと見つめた。

"信じられないといった表情ですね"

「、、、なんてこと、嘘でしょ。本当にしゃべるの?」

"はい。私は100年前、とある王室の部屋に飾られていた鏡です。しかし、王妃は非常に不器用なお方でしたので、私が王妃に、身だしなみのアドバイスをしていたのです"

「囁き声が聞こえるというのは、鏡の声ということ?」

"左様でございます。私を置いてくだされば、あなた様に素敵な許嫁を見つけることもできるでしょう"

「なぜ私に、相手がいないと?」

女がそう聞くと、鏡は黙ってしまった。

「お嬢さん、この鏡が気に入ったようだね」

「えぇ。この鏡、頂けるかしら」

女はその鏡を、玄関に飾ることにした。
服を着替え、メイクをすると、必ず鏡の前に立ち声をかけた。

「鏡さん、今日はどうかしら」

"お美しいです。もうすぐ、春が来ますね。今お召しの黒のトップスもお似合いなのですが、白のレースやピンクのグロスなど、春らしいものを取り入れてみるのも素敵かもしれません"

「それもそうねぇ。今日の帰り、買ってこようかしら」

女は鏡に言われたように、白色のレースのブラウスと、桜色のグロスを買って帰宅した。

「おはよう。言われたようにしてみたんだけど、どうかしら」

細やかな花のレースから透ける白い肌に、ほんのりと色づいた唇が浮き上がる。真っ直ぐ伸びる黒い髪をひとつに束ね、女は鏡の前に立った。

"お美しいです。まるで、春の日差しに照らされた桜のような輝きです"

「ありがとう。行ってきます」

その日の夕方、女は興奮した様子で帰ってきた。

「かがみ!あなたのアドバイスは的確だわ!なんと今日、ある男性に声をかけられたの!」

"それは良かったです"

「外見が変わるってとても素敵なことね!」

"そうですね。しかしながら、これには注意しないといけないことがあります。それをお話し"

「あ、ごめんなさい!今からその男性と約束なの。話はまた聞くわ!」

そう言うと女は、前髪を手で直し、唇を色づけ、そそくさと出て行ってしまった。

玄関は翌朝までシンっと静まり返っていた。
帰宅した女の真っ白な首元には、ぼんやりと赤い跡が浮き上がっていた。

また別の朝。
女は、うっとりとした瞳で鏡を見つめ、桜色より少し濃いめのグロスをひと塗りした。
まつ毛はクルリンと上を向き、まぶたに乗った細かな光が、瞬きをするたびにキラキラと輝いている。

「行ってきます」

鈍い銀色の鉱物が、磨き上げられ宝石になるように、女は、みるみる美しくなっていった。
そして、美しくなればなるほど、素行はどんどんと乱れていった。
黒い髪は茶色に、唇は真っ赤に染まった。
靴箱には、転ばずに歩くことは度外視されたヒールが並んでいる。

月が出る頃どこかに行き、翌朝、太陽が昇る頃に帰宅する日々が増えていった。
女を取り巻く環境も、変化しているようだった。

「あんたん家ひろっ!うわ!でけーかがみー!」

「やばぁ。ネイル割れそう」

「そういやこないだのあの男、全然ダメだったわ。金もねーし、外車じゃねーし」

「金ないのに近づいてくんなってなぁ。ギャハハハハ」

「はーい!私、こないだいい感じの男見つけました〜〜!」

女の友人たちは、みな、女と同じような服を着て、同じような髪型で、同じような口調だった。

それは、とある夜のことだった。

「ほら鏡、今日の私はどうだい」

女は、真っ黒のボディコンシャスに、耳たぶには重たそうなピアスをぶら下げ、クリンクリンに巻いた髪を揺らしながら、腕を組んで鏡の前に立った。

"宝石のような美しさでございます。しかしながら"

「ふん。これで、私に落ちたも同然でしょ。んじゃ、行ってくるわ」

女は鏡の言葉を遮り、唇をンパッとならし真っ赤なグロスをなじませた。
爪楊枝のように細いヒールをカツカツと鳴らし、ファーコートに身を包み、家を出た。

それから1時間後だった。なんと、女が帰ってきた。
目の周りは黒く滲み、ひどく落ち込んでいるようだった。

「おい鏡。今日の私は宝石より美しいと言ったよな?お前を置けば、いい男が見つかるはずだと言ったよな?」

"はい"

「せっかくプロポーズだと思って、気合い入れたのに、君の言動には愛想が尽きたと言われたが、これはどういうことよ!」

女は、持っていたブランドもののハンドバッグを、鏡に投げつけた。

"私は、お伝えしようとしました。しかし"

「言い訳するな。まったく、使えない」 

"これこそが、注意しないといけないことだったのです。私は、あなた様の外見を映し出すことはできても、内面まで映し出すことはできないのです"

「は?どういうこと?私に問題があるって言いたいの?」

"もうひとつの鏡は、あなた様の周りにいくつも存在しているはずです"

「この鏡、テキトーなこと言って、あの店で出会った時から私を陥れようって魂胆だったのね」

鏡の言葉に腹を立てた女は、壁に掛けていた鏡を持ち上げ、思いっきり床へ投げつけた。

"あなた様に集まっている方々が、あなた様自身なのです"

粉々になった鏡はそう呟き、2度と声を発することはなかった。




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