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まいにち

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つまらぬものですが(つまらなくはない)
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2019年5月の記事一覧

お金のつかいかたを考える_20190531

お金のつかいかたを考える。 わたしはフリーターなので自由につかえるおかねがたくさんあるわけではない。自分で稼いだおかねを、家賃と、光熱費と、食費に充てる。それで残ったものが、わたしの自由に使えるおかね。わずかになるほどそのおかねの価値は高くなるもので、欲しいなと思った洋服やアクセサリーを買おうか買うまいか、頭がおかしくなるほど悩む。どちらのほうが似合うか、どちらのほうがウキウキするか。わたしは悩むのがわりと好きだ。 学生の頃、それはよくバイトをしていた。飲食店でのバイトを

夜行バスから降りたとたん、どたばたと日々が過ぎ、京都での生活や出会った人、語らったことなどもぜんぶ、まるで夢だったかのように思う。なにかこうぽわぽわとした、重さや感触のないものになってしまった。それくらいちょうどよくからだになじみ、かろやかに、ここちよく、いまも体内を巡っている。

きれいであることを求めすぎている_20190529

他人に自分の理想や観念をおしつけて、勝手に、きれいであってほしい若しくはきれいでいないといけないなんて、求めすぎてはいないだろうか。もちろんきれいな人生を送るに越したことはないかもしれないけれど、人間そんなうまくはいかない。それに、かつて並べた言葉たちはどれも、きれいな部分から生まれたものではない。心臓と肺のちょうどすきま、なんだかよくわかんないところがふつふつとする感覚がいつだって必要だった気がする。拭えないような濁りの、泥臭い部分が、わたしは人間らしくていいなと思う。もし

わたしの知っている場所で、なんでもない朝に、わたしより幼い人間が51歳の男にころされて、死んでしまって、もう生きれなくて、11歳。無言で刺された幼い人間たち、いのちがあっても、これからを生きるのはきっとつらい。男は、今日の朝まで、51年間生きていた。なんでなの?ずるいよ

どうしたら「うまく」生きられるのだろう。べつに「うまく」生きなくたっていいんだろうけど、世間体や周りの目、他人の期待がずっとわたしの背中をやさしく押している。「うまく」生きれなかったらさみしいのかな、さみしい人間かな。やりたいことはたくさん、でもどうしたらいいんだろう。

好きなことにめいっぱい_20190526

今日もとても暑かった。 京都を発ち、バスのなか。 大切なものや守らなくてはいけないものがあればあるほど、じぶんの気持ちを抑えなくてはいけないことが、大人には山ほどあるのだと思う。大人だから。もう子供じゃないから。でもわたしはもう、じぶんの気持ちを抑えないことがどうしたってなによりも大切で、これからもずっと、自分を守らなくてはいられないんだなと感じる。それ以上に愛せるものや、おちつくと思えることがない。自分がいちばん大事でほんとうにごめんなさい。これは子供っぽい?大人になるた

京都、34度の日_20190525

今日は7:00に目が覚めたあと、三度寝をして10:00に起床。 朝からふわふわとあたたかかった。 冷蔵庫に残っていたゆでうどんを火にかけて、そのなかに生卵を落とし、とろろ昆布をどっさり入れる。朝とも昼ともつかない時間に、腹を満たすためのうどん。昨日の夜からおなかはすいていたはずなのに、作りたてのうどんを目の前にしても、わきの烏龍茶ばかりがのどを通ってしまう。 「夏バテはじめました」 簡単なつくりのワンピースを頭からかぶって、顔を洗って、コンタクトを入れる。自転車にのって

文章にするでも誰かに話すでも手段はどうであれ、わたしはわたしを言語化していないとふわふわしてしまうので。このうようにさまざまなことばに落とし込んでいるわけで。湧いて流れるようなことばよりも、ぽつりぽつりと丁寧に置いていくようなことばのほうがよっぽどだいじな気がする。

肌に合う生活_20190522

京都での生活 朝、シャワーを浴びて、髪をかんたんに乾かす。ようやく結べるようになったショートボブをくしゃっとまとめるだけでいい。まとまりきらずにおちてきてしまう横髪は気にしなくたっていい。 気にしない、というのは決して、ないがしろにするという意味だけではない。ここでは、着飾らなくてもいい、という意味だ。うまいぐあいに着飾って、つよくおおきくきらびやかにみせずとも、そのままのわたしを受け止めてくれるようなやさしい感覚がここにはある。 東京で暮らすわたしはいつも、ぱんぱ

自分のなかの、性質の話_20190521

恋愛が苦手。 ずっとそうかと言われれば、ずっとではないけれど、「恋愛」が「恋愛」として成立するようになった歳のころからわたしはとことん恋愛下手だ。 なんといえば伝わるだろう、 相手から向けられる恋愛感情が苦手。 友人知人に好かれるのは、もちろんとても喜ばしい。けれども、友好的な好意だと思っていたような相手に、ふと、恋愛感情を向けられたりなんかすると、唐突に相手に対する生理的な拒否をしてしまう。拒否がはじまれば、どうにもこうにもコントロールは効かない。 これがわたし。

愛しいもの_20190520

少しのあいだ東京を離れ、京都で過ごす4日目が終わる。 東京にいれば、会いたい人はわりとすぐ近くにいるもので、指先ひとつでその日に顔を合わせることが不可能でなく、会ったとて大抵他愛もない話しかしないくせにわたしたち人間といういきものはいつも会いたがっているような気がする。 愛しさがあまりにも手近であたりまえになってしまったわたしたちだ。時に人間は、暴力的に愛しさを求めている。 そういったことが簡単にできないように、という意味もある。さまざまな意味があって、わたしはいま京都

僭越ながら、自己紹介と今日の日記_20190519

このアカウントをつくる前に、Tumblrの記事を移行するために別のアカウントを作っていたのだけれど、そちらもまた使い始めることにした。 使い分けとしては、 ● 青い朝 → エッセイや詩などの文学的なところをたのしむ ● こいずみきょん → 仕事としての文章など現実的なところ ライターのバイトをしながら文章の基礎を学びはじめたことでアウトプットするところを増やしたかったため。まとめてしまおうかとも思ったけれど、全くニーズの異なる双方をまとめてコンセプトがブレるのはちょっとな

20歳を終えるこの夜に_20190517

(もう日付け変わってしまっているけれど、寝て起きるまでくらい許しておくれ) 20歳を終えるこの夜に 去年の文章を引っ張り出す。 これは去年書いた文章。 もしお時間あれば読んでいただきたいけれど、 ちぐはぐでだいぶ拙いし、あちらこちらむずがゆくなる。 でもせっかくだから、19歳の終わりに書いた文章を突っついてみよう。 世は華金、こんな夜更けに、酔い冷ましの代わりにでもお付き合い願いたい。 ▼ 自分の気持ちとか、熱量とか、他人の目に見えないものを、 言葉というツールで

京都は心の故郷なので_20190516

唐突に、今年も京都へいってきます。 もう夜行バスに揺られてる。 本名、「京花」と書いて「きよか」と読む。最近になってとてもきにいっている。「京都に咲く花のように、優雅で凛とした女性になれ」なんて、名付けた父が思っていたかどうかなんて知らないけど、とってもきれいななまえでわたしはいつもうれしい。 単純な人間なので、単純に、京都にはなんとなくゆかりがあってほしいなあなんて思っている。 でも京都には確実に、わたしの好きなくうきがある。だからやっぱり毎年、こうして向かってしまう