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【1200字小説】 風鈴とヒッチコックとプールの底のステーキ #シロクマ文芸部

 風鈴とかあったっけ、うち。
 あたまのうえで、ぶどうみたいにたくさん垂れ下がってじゃらじゃらいっているヤツらを眺めながら、ぼうっと考える。こうなってしまうとすこしも風流じゃない。女の子たちの浴衣も、いつからかすこしも風流でなくなった。ただなんとなく、そらぞらしい、と思う。かげろうがたつような猛暑のせいかもしれないし、みんなが持っている小さな液晶付き金属板のせいかもしれなかった。
「あちい…」
 だれもが思っていることを、今日で30回目くらいにまた言う。待ち人はまだこない。べつに、自分がはやく来すぎただけだから、いいんだけど。
 もったいないということばが、嫌いだ。そのことばで、たくさんのひとが損をしていると思う。せっかくここまで来たのに、もったいない。楽しまないと、もったいない。浴衣を着てデートしないと、夏がもったいない。ここではしゃがないと、ドライブしてきた時間がもったいない。ここであがる歓声とか笑い方とかには、たくさんの「もったいない」のにおいがする。そらぞらしいと、また、思う。
 脚を踏み替えて、胸をそらすように空を仰いだ。重くて甘い夏の空気に、たくさんの風鈴の音が散りばめられたやつを、大きく吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。眼をとじると夏の雲の残像が翠いろだった。じんじんとまぶたを血液が流れている。ほんとにこのままでいいんでしょうか。といくら思っても、自分は生きていると思った。このままでいいかもしれないし悪いかもしれないけれど、なんか今、生きている。笑えてくる。
 ほんとにこのままでいいんでしょうか。と言ってしまったのは、ついきのうだった。電話してもいい、と送信したらすぐ向こうからかかってきて、どしたの、とまるで夏風が通り過ぎるようにするりと言われたから、言うつもりもなかったのに、ぽろりとこぼしてしまった。沈黙がしばし、あって、そのあいだに向こうで、ちりん、と澄んだ音がした。
「風鈴?」
 尋ねながら、朝顔の描かれた透明な提灯型のガラスがうかびあがるようなまばたきをした。
「どしたの」
 とまた訊かれた。
「生存確認」
 と答えた。
「わたしの、生存確認」
 笑いながら言ってから、そんなことを言った自分が嫌になった。つらいと言うとき、どうしてひとは笑うのだろう。
 ありがたいことに、相手はまじめにとりあわなかった。
「あした、風鈴、見にいこ」
 と、返事のかわりに言ってきた。
 取り消したいことばだ。あとから取り消したくなることばばかり、生産してやまない。そんなに口数の多いほうではないのに、一日一個は言っている気がする。わたしの生存確認、なんて、そのさいたる例だ。はあ。ため息が出る。ほんとにこのままでいいんでしょうか。
「いいんでしょうか、じゃなくて、わたしはこのままにしか、歳をとらないんだろうな」
 呟いたらまた笑えてきた。たくさんのありきたりな人のあいだから、待ち人はするりと現れた。
「ひさしぶり」
 にっこり笑って、思う。きょうは、はしゃいでもいい。今はしゃいでも、そらぞらしくはない。


了  1251字


おひさしぶりです。暑くてとろけそうですね。バテないようにご自愛ください。


ちゃんと感想文に熟成する前の、まだ牛乳が酸っぱくなったくらいのやつをヨーグルトより先に出してしまいました。


それではそれでは。

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