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第22回 第二章 (『ノラら』堀戸から見た世界 ) ~歓喜も悲哀も、 どちらも音楽を面白がるための ただのツール~

『ノラら』
第二章:堀戸から見た世界
第二十二回



駅前周辺は、
家路を急ぐ仕事帰りの大人たちが
足早に行き交っていた。
線路の高架下では、
ビオンホールへの行き掛けに見つけた
パントマイムの人達が、
まだパフォーマンスをしていた。
東西に走る線路の下に出来た短い高架の下を、
南北に向って細い国道が貫く。

高架下を利用して軒を連ねる店が
四軒ほどあったが、
そのうちの二店舗のシャッターは
閉まっていた。
パントマイム率いるパフォーマーたちは、
国道の東側にある店のシャッターの前で
演奏している。


クッキーの空缶を
ドラムしている男性の隣では、
小柄な老人が顔を左右に揺らしながら
小さめのガットギターの弦を
上下に弾(はじ)いている。
コードなど存在しないかのように、
二つの音程を行ったり来たりして、
陽気なリズムを掻き鳴らしていた。
老人は、深く刻まれた目尻の皺を
一層濃くして、
いかにも優しそうな目で
仲間達の演奏に目配りしていた。


演奏者たちの中央で
パントマイムをする男性も
ギターの男性に劣らず年老いて見えた。
日に焼けて色褪せたサハリハットが
彼の頭に浮き気味に乗っかっている。
乗っけているだけといった風情の
サハリハットが
頭からずり落ちないのは、
彼の動きがとてもゆっくりで、
キレも良くないせいだろう。

ガットギターの老人の横では、
学生風の若い男性が
アコーディオンを弾いていた。
華奢な上半身を大きく仰け反らせながら、
蛇腹に付いたボタンと鍵盤を
気持ちいいほど器用に操る。
アコーディオンが大き過ぎるのか、
彼が小柄過ぎるのか、
正面から見ると、
彼の上半身はアコーディオンで
出来ているようにも見えた

——黒い蛇腹がうねるごとに
 彼の肋骨に空気が満ちる——

彼もまた、ギターの老人と調子を合わせて
頗(すこぶ)る陽気そうに
リズムをとっている。
そんな彼の作り出す旋律自体にも
陽気さが滲み出てはいたが、
長調に分類できる音階ではなく、
かといって短調のように
哀愁一辺倒でもない。


歓喜も悲哀も、
どちらも音楽を面白がるための
ただのツールなのだと言いたげな
気楽さが漂う。

僕らは、そんな彼らの様子を、
国道を挟んだ西側にある
コンビニ前から眺めていた。
紗英さんも僕の隣で
彼らの演奏に聞き入っていたが、
僅かに開いた口元からは
笑みが漏れていた。
僕の視線に気付いた彼女が
顔を振り上げると、
今度は大きく口角を上げて、
小さく並んだ白い歯を見せながら
声を立てて笑った。

「ハイスペックな茂木さんって人が
 営んでたのかな。
 自分で言っちゃうかんじ?」

紗英さんが小さく指差したのは、
パフォーマーたちの陣取る
シャッターの閉まった店の看板だった。
看板の左上には、
白抜きで小さく
「パーツストア」と書いてあり、
その下に太く丸みのある文字で
「ハイスペック茂木」と記されていた。
随分昔からある店なのか、
掲げられた看板は
風雨に晒されて
茶色く錆びてしまっていた。
剥げかけた文字の色も、
やっと識別できるレベルだ。

電子パーツ店が
こんな駅前にあること自体
珍しいことだと思った。
看板やシャッターの雰囲気からして、
多分もう廃業してしまったのだろう。
「ハイスペック茂木」の
ことばの意味とは反した文字の錆び方と、
その下で賑わう老人たちの
埃っぽい井出達とが、
得も言われぬ親和感を生み出していて、
僕はそれに小さく笑ってしまった。

その元電子パーツ店であった軒下を、
そのまま何気なく漠然と眺めていると、
視界の左下片隅で、
何かが動く気配を感じた。

さっきの目の異常に伴う後遺症かと思って
ひやりとしたが、
そうではなかった。

丁度高架下の中でも
一番影が濃くなっているその場所に、
人が一人座っているのだ。
頭から被った地味なスカーフを
顎の下で結んだ老婆が、
小さな台か何かに腰かけている風に見える。
ミレーの『落穂拾い』に登場する
農婦の姿が目に浮かんだ。

スカーフの老婆は、
呆けたような顔をして
高架の外を行き交う人々を眺めている。
半開きになった口のまま、
今度は我に返ったように
ハッとした目つきになったかと思うと、
目の前にいる演奏者たちの顔を
ひとりひとりゆっくりと見渡していった。
彼女も彼らの仲間なのだろうか。
昔は彼らと一緒になって、
何かの楽器を
演奏していたのかもしれない。


電子パーツ店の左隣には、
ベーカリーショップが店を出していた。
店内の窓際で、
僕らと同年代くらいの男性が
カウンターに肘を乗せて
ドリンクを飲んでいる姿が見えた。

「あの店、コーヒーありそうじゃない?」

僕が言おうとしたことを、
紗英さんがさらりと言った。
僕らはその店目掛けて
高架下の横断歩道を渡った。
斜め前方で演奏する彼らを気にしながら。



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