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第17回 第二章 (『ノラら』堀戸から見た世界 ) ~絶対的な安心感・言語幻想曲~

『ノラら』
第二章:堀戸から見た世界
第十七回



会場に流れる
BGMのボリュームに引きつられて
次第にさんざめいていく周囲の
話し声をバックに、
僕はノスタルジックな気分で
いっぱいになっていった。

もうすぐ始まるライブへの高揚感や、
さっきから度々指摘している
会場の温度感が、そんな気分に
拍車をかけている可能性も
なくはなかった。

銀木犀の香りの中に居る
僕と紗英さんのふたりだけが、
周りからは分離した
「ひとつの確かな存在」
として成り立っているように思われた。

そう思った途端、
さっきまでのノスタルジアな気分が、
「絶対的な安心感」へと
落ち着いていくかのように感じられた。

紗英さんは、
僕の心持に気付いたかのように、
大きく首を縦に振ると、
僕の右腕を強引に引っ張って
彼女の右肩に回し乗せ、
更には組んだ肩を左右に揺らして
ピールの曲を歌い始めた。

「サスペンスオブダピーポオ
 バイダピーポオ
 フォーダピーポオ~、
 ズッズッヂャガヂャガ」

紗英さんの歌声に気付いて
振向いた前列の観客達の視線を
額に粛々と感じつつ、
この曲は紗英さんが
甚(いた)く気に入っている
「言語幻想曲」の出だしだと気付いて、
少し笑った。

ふと僕の左前方を見ると、
頭に巻かれたペイズリー柄の
青いバンダナが印象的な色白の男性が
こちらを振り返って
紗英さんのことをじっと見ている姿が
目に飛び込んできた。
紗英さんも彼の視線に気付いたらしく、
そちらに顔を向けたが、
そんな視線には動じずに
相変わらず言語幻想曲を口ずさんでいる。

すると紗英さんは、
突き上げた右親指を
彼に向って押し出して
グッドのポーズをしてみせた。
目が合った上に
そんなポーズまで突き付けられた男性は、
動揺したのか慌てて前に向き直り、
必要以上に頭上のバンダナを
両手で弄(いじ)り、
被り具合を調整し始めた。
「普通にしている」という体裁を
突如振舞えなくなってしまった男性の状況に
僕は少なからず同情し、
その居心地の悪そうな背中を
慈悲深く見詰めていた。

すると彼は、矢庭に硬直した上半身を
こちらへ振り向けて、
親指を立てた右手を腰の辺りまで上げると、
かわいらしくグッドポーズをして見せた。
伏せた目を
一瞬ちらりとこちらへ合わせたが、
すぐに驚いたような表情をして
また硬直状態に戻ると、
前へ向き直ってしまった。

紗英さんはその一連の出来事が
嬉しかったのだろう、
僕の方を覗き込んで
満面の笑みを浮かべると、
そのまま気持ち良さそうに
肩を揺らして歌い続けた。

彼女の口ずさむ軽やかな歌は、
まるでピールの曲とは
別物であるかのように、
特殊な輪郭をもって僕の心に響いていた。
ただ単に、
普段聞き慣れているピールの歌声とは
別の声で聞こえているせいかもしれない。

「せいのテイクオフたったさっきみた
 夢のゲームすら持ち帰れるような
 言葉をもっていないさ
 ぜんぶフェイクジョーク
 そう言い捨てるほど諦めてはいないよ
 ただ孤独なゲームに飽きちゃったんだ」

この日の記憶として
僕の脳内に植え付けられた
「言語幻想曲」が、
来年からは夏という季節への
トリガーソングに
なっているだろうと思った。
夏が完全に到来してしまうよりも先に、
この曲を引っ張り出してきては
何度も聞いて反芻するのかもしれない。

今起こっている奇想天外な
安心感を再現して、
夏の気怠さをほんの少し忘れるために。

「カシオペア座を指差せるのは 
 そこに暗闇があるおかげ
 名もない目にも見えない存在感を 
 未来の僕はどうやって伝えよう
 このもどかしいもどかしいなにかが 
 いったい何なのか何なのか
 把握するすべすら思い出せないまま——」


薄明るかった会場の照明が
落ちていくのと同時に
周囲のざわめきも収束していった。

紗英さんの口から
零れ落ちていた歌詞も止み、
僕らは組んでいた肩を自然と解(ほど)いた。



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【noteで読む】第18回 (『ノラら』堀戸から見た世界)

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