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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第21話 忍sideー 親愛


 俺は人生初めて健康診断を受けた。総合診察の担当は内科の藤堂先生なんだが、俺の名前を見慣れているはずの先生は不思議そうにパソコンを睨みつけた。

「田畑君って一人っ子かい?」

「親も死んでるんで、もう天涯孤独っスよ」

 俺はいつものように軽く笑いながらそう話す。俺は母さんに絶縁されている身なのでこれはあながち間違いでは無い。
 ただ、麻衣の事は誰にも伝えないでいた。全てを知っている弘樹も職場では俺の妹について触れてこないのが有り難かった。

 麻衣には麻衣の人生がある。俺なんかともう関わらない方がきっと幸せだ。
 それでも俺の言葉が腑に落ちないのか、藤堂先生は別の患者さんの電子カルテを開き始めた。

「──先生、個人情報を開いたらまずいんじゃないっスか?」

「いや、どうしても気になってて……知らないなら知らないと言ってくれて構わないんだが、田畑麻衣さんと言う子は君の親戚か何かじゃないかい?」

 俺は笑っていた顔が若干引き攣った。本当ならば麻衣に何かあったのか聞き出したい所だだたが、ぐっとそれは堪える。

「すんません。知らないっスね……」

「そっか……同じ苗字だからって知り合いなんて事は無いよな。まあ忘れて、気にしないでくれ。それより田畑君、君はタバコ吸いすぎだよ。左肺の下側これ見てご覧、これがだねぇ──」

 優しい藤堂先生の言葉が後半全く頭に入らなかった。麻衣に何か異常があったんだろうか、そう言えば、俺がここで働く前に麻衣が弘樹と会った時にぶっ倒れて搬送されたとか聞いた気がする。

「聞いてるかい? 田畑君」

「すんません、タバコは死んでもやめられないんですわ。俺が……世話んなった人も、死ぬまでタバコ吸って、幸せそうに逝ったんで」

「ふう。まるでデジャヴだ。さっき言った田畑麻衣さんも君と同じような事を僕に言ってきたんだ。仕方ない……また雨宮君経由で釘を挿してもらうか」

「あの……先生、その人は何か悪いんスか?」

 N大学附属病院は歌舞伎町にもまあまあ近い。一番に運ばれてくる患者の多くは酔っ払いばかりだ。麻衣はまだキャバクラで働いているのか……? だから藤堂先生が俺にしつこく知り合いじゃないか聞くのだろうか?

「君が田畑麻衣さんを知らないって言うから、この話はこれでおしまい。雨宮君の知り合いらしいから、そっちに言ってくるよ。君は僕がさっき言ったみたいにタバコをもう少し減らす努力をして欲しいね」

「へーい。ご忠告あざーっス」

 俺は先生が印刷してくれた血液データを受け取るとそのまま病棟へと戻った。健康診断はあくまで仕事の間で受けて良い事になっている。俺はまだ20代なのでそんなに検査も多く無いからすぐにおわった。

 その日の夕方、薬剤科から電話を受けた。勿論発信者は弘樹だ。病棟の余った薬を処理するのに全部持ってこいと雑用を頼んできた。

「すんません、雨宮先生に呼び出しくらったんで行ってきます」

「あら、田畑君悪いことでもしたの?」

「いやあ、思い当たる節がありすぎて……」

 思ったよりも重い薬の残骸セットを受け取り、俺はエレベーターに乗ってそのまま一階の隅にある薬剤科へと向かった。
 定刻時間を過ぎているせいか、今の時間は夜勤担当の引き継ぎと、研究で居残りしている人とその日の鍵当番しかいない。俺は忙しい弘樹に窓を叩いて合図し、中に入るよう呼ばれた。

「何だよ弘樹、俺も戻らないと──」

 酷く険しい顔をしている弘樹は俺の耳を引っ張ると小声でそのまま早口に囁いた。

「麻衣ちゃんが大変なんだよ、片側の腎臓は機能していない。アルコールのせいで肝臓もかなり数値が良く無かった。お前、彼女が死にたいって言ってもまだ無関係を装うのかよ……!」

「死にたい……?」

 麻衣がそんな事を考えているなんて初めて知った。今までどんな事があってもあの子は自分で命を絶とうとする子では無かった。
 キャバクラという仕事がどうなのか知らないが、以前俺が警備の仕事してた時に釘を挿してきたあのなんたらシノブって奴が麻衣を全面的にフォローしている筈だ。
 麻衣に関する情報は定期的に受けているが、この話は初耳だ。

「田畑、こないだ一緒に有明公園行っただろ。あの日、雪は麻衣ちゃんと会っていたんだ。あの後家に帰ったら、雪が泣いたまま変なゴミの入った灰皿を大切そうに抱えてきたんだよ」

「灰皿……」

 そういえば、麻衣が住んでいたマンションには確かに銀色の綺麗な灰皿が置いてあった。あまりにも綺麗にされていたので、これは新品じゃないか? と聞いたのも覚えている。
 でも麻衣は嬉しそうにこれを使ってと言っていた。今でも、あの本当に心から嬉しそうに微笑む麻衣の笑顔が脳裏を過ぎる。

「お前、記憶が戻ってすぐに麻衣ちゃんの所から姿を消しただろ、麻衣ちゃんがどんな気持ちでもう年月が経ってただのゴミにしか見えないタバコの吸い殻をいつまでも大切にとっておいたのか分かるか!?」

 ──そうだな、分かるよ。すっげぇ痛いくらい。

 俺だって、麻衣の痕跡が何処かにあるとそこを求めてしまう。頭が勝手に笑顔の麻衣を探している。
 そう、俺が記憶を無くしていた時、麻衣が「マキ」という名前を使っていた間のあいつは今まで一度も俺に見せた事のない「笑顔」を向けてくれていた。

 あの可愛い笑顔を守りたい。
 だから俺は日雇いという不規則ではなく、麻衣を守れるようなきちんとした仕事に就きたかった。
 でも、記憶が戻った後は夢でも現実でも、麻衣はいつも苦しそうに泣いている。または何かを押し殺した顔をしていた。
 やっぱり俺は側にいない方が、麻衣は心から笑えるんじゃないか、って何度も思った。だから悔しいけど離れた。

 一度記憶喪失になった身だ。今更俺が麻衣から離れたところで何か変わるなんて思っていなかった。でも違う。俺が離れても麻衣は全然笑わなかった……。
 何であの日、麻衣は人の多い定食屋で泣いていたんだろう。仕事がうまく行ってないのか、誰かにイジメられているのか、それともなんとかシノブって奴に強請られてんのか?
 気になる事は他にも沢山あった。それでも俺は。

「俺には、麻衣を幸せには出来ない」

「またその話かよ。だからお前はここで──」

「そういう問題じゃねえんだ。はっきり言われたんだよ、なんたらシノブって野郎に。お前に麻衣ちゃんは幸せに出来ない。だから僕が貰うみたいな事言ってやがった」

「でも──!」

 次第に大きくなる弘樹の声を静止し、俺はさっさと仕事に戻る素振りをして自分の病棟に持っていく薬の入ったダンボールを小脇に抱えた。

「──悪いな弘樹。その灰皿は早く捨ててくれ。もしも捨てる事がお前達にとって負担になるなら、俺がその灰皿を貰うから」

「田畑……!」

「俺には彼女が居るんだ。澤村舞を、泣かせたくない」

 ようやくそれで納得してくれたのか、弘樹は唇を噛み締めたまま小さく俺を罵倒して仕事に戻った。カリカリしている弘樹の姿は薬剤科の人間にとってかなりレアだったらしい。 
 一体何があったのか薬剤師の連中が何度も俺の方を見てきたが、俺はそれ以上の追求を避ける為に早足でエレベーターへと向かった。


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#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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