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あるとき、われわれの日常の生活も、形のない雑誌のようなものではないかと考えた。ぼんやり、…
つまり日記の実用価値はきわめて乏しい。それでも人はせっせと日記をつける。何かモラルを高め…
地方からやってきた後輩と職場の近くで昼食を食べる。初任者研修もなく仕事もほとんどなく、退…
髪を切った。皆コロナウイルスの話しかしていない。束の間のリスク。 解説動画を作ったが、ま…
退屈なのかもしれない。書くようなことは何もないが、それでも、書き始める。 最近は休日は他…
風が騒がしく眠たい朝だった。我が家は風が吹くとひどく揺れるし騒がしい。 春眠不覚暁 処処…
非常時だが生活をやめるわけにもいかず、これもまた丁寧な暮らしの一つの形態なのかもしれないと思いながら、スーパーで惣菜や炒めるだけの簡単なんちゃらを買う。明日から新年度となるが、きっと授業は始まらないだろう。微妙な気持ちで過ごしている。 非常時といえば、スーパーに納豆がなくて驚いた。非常時だからといって行動を変える人間のせいで常時どおりの行動を制限されることに憤る日々であったが、納豆を食べなければならぬ、と普段以上の納豆を買っていくというのもある種の行動の制限なのかもしれ
本棚を建てた。どう考えても一人で組み上げるようなものではなかったのだが、一人でやり遂げて…