正論で人間関係は壊れる
「隙のない完璧な正論で、相手を論破する人」
たまに、こういう方に遭遇します。
地雷を踏まれると、相手を論破したくて仕方なくなるんでしょうね。
こういう人は「すっきりしたいから」とか「優越感を感じたいから」という自分本位の理由で論破しているようにみえます。
このとき「相手がどう感じるか」については二の次。
「正論なら、強い言葉で相手を追い込んでもいい」と思っているようです。
こういう人に会うと、ただただ「人間としての未熟さ」とか「幼さ」を感じます。
「論破したい」という自分の欲求を抑えることができない人、相手を思いやることができない人、想像力に欠ける人・・・
こんな印象を受けるんです。
「「正論」には「逃げ道」が必要」で書いたのですが、私は正論を伝えて失敗したことが何度かあります。
つい最近も「別の表現をしたらよかったな」と反省することがありました。
だから「論破の気持ちよさ」は私もよくわかるんです。
特にこちらに非がない場合、この「論破したい欲求」はものすごく強力・・・。
「正論だから」とか「私には非がないから」という感情に後押しされて、ついつい隙のない正論で相手を追い込んでしまうんですね・・・。
でも、人間は感情で生きているんです。
正論を突きつけられた時に、「あなたのおっしゃるとおりです。すみませんでした。でも・・・」という反発の感情が湧いてきます。
そして、この感情は、時間が経つにつれてどんどん膨らむことがあるんです。
正論に対して反発の感情が沸き、そして、それが膨らみ続ける理由。
それは、相手から「思いやり」を感じないからだと思います。
正論を振りかざし、強い言葉で論破する人をみて「私のために言ってくれているんだな〜」と感じる人は皆無ですよね。
論破する人から自分本位な空気感を強く感じるから、反発の感情がわくのかと。
これをうまく表しているのが、「正義のラッピング」です。
まさに「保身や私欲が透けて見える」から、嫌悪感を感じるんでしょうね。
「頭では納得できても、心では受け入れられないこと」って、たくさんあります。
論破されて、それを心から受け入れられる人なんて、ごく一部の人しかいません。
正論に反論しないのは、論破する人に対してある種の面倒臭さを感じているからで、納得してるからではありません。
だから、論破からは何も生まれないし、マイナスでしかないと思うんです。
私自身が試行錯誤中だし、正解はわからないけど、何がベストなのかを考え、模索し続けること自体が大切なんだと感じています。
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