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その火種、私もあったかも
他の方のnoteで
大人になってしている趣味には、子どもの頃に経験していたり興味を持っていたというような”火種”がある
という内容の記事を読んで、「あぁ確かに」と納得した。
私が大人になって、趣味だったり、そこまでちゃんとやってないけど好きなもの、触れたくなってしまうものには、確かに子どものときにやっていたり興味を持っていた経験、記憶があるように思う。
例えばカメラ。
たまにしか撮ってないしうまく撮れないし、人様には「カメラが趣味です」なんて言えないけど好きなもの。
子どものとき、家に父が買った一眼レフがあって、それを触ったり縁側で説明書を読んでいた覚えがある。
露出とか、そういうのが書いてあるのを読んでいた。
あとは本。
これはわかりやすく、子どもの私の一番の趣味であり、むしろもっとシンプルに「欠かせないもの」だった。
大人になって時間や気持ちに余白がなくなって読めない自分になってきてしまっているなぁと思うのだけど、子どものときの私は本はいろんな意味で必要なものだった。
小学校での昼休みの時間も、高校受験前の塾での休み時間も、ただただ読んでいた。
(受験前に毎週図書館に行くから、母親から図書館禁止令が出された)
逆に火種ないなぁと思うのは、縫物系や工作系だったりする。
これは基本的に手が出ないし、手を出してもすぐに止めたくなるか、完成までこぎつけたもののイマイチな成果物が残る結果になるか・・・
という感じなので、火種もないが適正もない。
子どものときって「しないといけない」という思考が少ないから、火種を作れるものは、「そもそもある程度適性がある」という側面もあるのかもしれないなと、これを書きながらちょっと思った。
もちろん親が与える環境のような外的要因も大きい。
けど、適性があるから関心を持つのかもしれないし、だから火種になるのかもしれない。
そして、それは大人になってもやっぱり残るというものなのかもしれない。
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