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人を好きになるのに理由はいらない/片想いをしてるのがどうやら私は幸せみたい
少し更新が空きました。
あおいです。こんにちは!
このnoteアカウントではもう一年以上もの間、主には私が婚外で恋に落ちた、このnoteで出逢った彼とのことを書いてきました。
そんな彼からは離れる一大決心をし早いもので、半年近くの月日が経とうとしています。
この半年間は、本当に辛く苦しい日々でした。
彼と連絡を取り合っていたあの日々が私にもたらしたもの、メンタルよわよわ女だった私を叩き上
心底好きになった人との別れって、心が交通事故にあう、みたいなものなんだ…って思う。忘れて過ごしててもふとしたきっかけで未だに過去を思い出す毎日のように。ずっと昔はその傷を新しい好きな人への想いで埋めてたけど…だから失恋直後の方などは油断せずにゆっくり心身を休めて頂きたいって思う。
最近は仕事に全エネルギーを注ごう!という気持ちが大きくなってそれと同時に私が婚外で好きになった彼の言葉達も不思議とあまり蘇ってくることはなくなった。私はアラフォーだから「本当に彼への恋が今世最後の恋だったかも…」と思うとすごく寂しいけど彼が教えてくれた事を胸に仕事に邁進して行く。
私は作家を志していて憧れている女流作家さんがいる。改めてその方の作品を読むとつくづく彼がずっと私に教え続けてきてくれたことって、私が憧れてる作家さんが綴ってきた言葉とあまりに同じで驚く。例えば「人はこの世に生を受けた限りは生き切らなければ。途中で人生を投げ出すとは傲慢だよ」とか。
私は、脳科学を長年追求し続けてきたのだけど人間は自分にとって衝撃的だった出来事を脳に焼き付けるという特徴をもつ生き物だ。(この先、生きる上で同じような衝撃を回避する為って事もあり)だから冷静に考えると、彼みたいな衝撃的な存在の男の記憶がいつまでも離れないというのは自然なのかもな。
彼はいつか「人から褒められて調子に乗ってる奴ほど見ててダサいなと思うね」そう言ってた。私は人から褒められるとすぐ喜び調子に乗りがちなタイプなので彼の発言を聴いて、ほえ〜!と思ってた。彼は「人からの評価を求めるんじゃなくて自分が納得できるかが大切」そう言いたかったのだと解釈してる。
初めての婚外恋愛を経て、色々とほんと大変だったけどそれでも感動したのは「あ、私まだちゃんと恋出来るんだ…」て事だった。最後に恋したのは夫にもう十数年前だったけどあの時と同じ、いや、何ならあの時以上の熱量でまだ誰かを好きになれるやん…と。誰かをちゃんと好きになると本当に毎日が輝く!
一人某フードコートで食事中。目の前で食事する20代前半位のカップルが仲睦まじく隣り合わせで座り彼が彼女に「俺のひと口食べる?」と聞いてみたりしてる。「優しいのう🥹」と微笑ましい。ふと気付くと自分はいつの間にか恋に落ちてしまう場合は泥沼婚外恋愛世代になっちまったんだ…と歳を感じる。
フォロワーさんからご質問コメント頂いたのでつぶやきます!noteには「プレミアム」という機能がありそちらに申込むとコメント受ける受けないを選択できます。ここ数日は私が本業としている相談業務の方に本腰を入れ始めそちらに注力する為にコメント欄を閉じています。余裕が出たらまた開けます🙇
「異性に興味を抱いたなら既婚者だとか何だとかは大した問題じゃない」彼は出逢ったばかりの頃そう言ってた。これは賛否両論あると思うけど私も自分が結婚する前からそう思ってた。頭ではダメとわかってても恋に落ちる時は落ちる。恋愛って不測の事故みたいなもの。死ぬ時になって後悔しない道を選ぶ。
彼から学んだこと→人の人生にうんぬんかんぬんいう前に自分自身の人生に全集中する事が大事。自分をよく追求しそして知り、自分という人間を最適化させて生きること→こうして生きる上であーだこーだと人から言われても気にしないでいい。(自分が信頼する方からのご意見やお話には真摯に耳を傾ける)
急にnoteってどんなタイプの方が読んでるかわからんよな…となる。例えば私のこのアカウントは、どちらかというと大人しめで繊細系の方が読んで下さってる率が高いかと私は勝手にそう思い込んでた。けど例えば彼みたいに女慣れしてて女性の心理を知りたいってタイプの方も読んでるかもしれんよな。
昨年の夏彼から離れてから心身共にゲッソリとしていた私はこの数ヶ月、とにかく自分のパワーを取り戻すことを中心に生きてきた。ダイエットもやめて好きなように食べて。そしたら気持ちがどんどん満たされた代わりに少々ポニョ化してきたので、さすがに最近はまたカロリーなどを意識するようになった。
今の私を作り上げたのは半分は彼/私の中に自然と湧き上がってくる言葉たち
私が婚外で過去に好きになった彼がそう言ってた言葉が、未だに脳内に勝手にこうして蘇ってくる。
だから、書かずにはいられなくってこうして書いてる。けれど、辛いとか苦しいとか切ないとかの感情は、今はもうほぼ感じてはいない。
私が文章を書くようになって作家を志すようになって、そして尊敬する方に直接会いに行って学んだり、人から文章を書くことを教えていただくようにもなって、そうして私が学んだことや学んでど
急に過去が蘇る。彼と話してた時私が「普通こうでしょ?」みたいに言うと彼は「てゆーかさ普通って何?」ってよく言ってた。そして私はハッとしてた。今まで40年生きてきて知らず知らずのうちに世の『普通』に思考が支配されて生きてたんだなって。彼と出逢ってから物事の捉え方が柔軟になったかな。