無限列車編、なんか物足りなくね
おばんです。Aohです。
最近よく書いてますねこの人。暇なんすかね。
今日は大ヒットした鬼滅の刃、その劇場版である無限列車編についてあれこれ。
えんむの過去どこ?
お眠りぃぃぃボーイことエンム君。漢字変換探すのめんどいので”エンム”でいきます。
まあ下弦も下弦、後から出てくる鬼勧誘ボーイである上弦のアカザさんのためのかませ犬だったとはいえ、彼が鬼退治された時の演出といえば断末魔的なのと共に完全に消滅するだけ。
以前ジャンプの王道パターンについてちょっと言及したことがあるので詳しくはこちらの記事を読んでもらいたいんですが、
アニメのみ視聴している僕が鬼滅の刃おもれえなあって思ってた所以は、ジャンプ特有の登場人物のルーツについての回想っていうのが敵側である鬼にもあるってところだったんです。
真菰を殺した弱点隠す系男子とか蜘蛛系DVドラ息子とかは、人間だったころに執着していたものみたいなのが鬼になった後の行動や能力の元になっている。鬼として生きていく中でルーツとなったある種の彼らの正義が、討伐される死に際で色濃く回想として描かれるのがお涙頂戴的に面白いって思ってたし、世間の皆々様もわりと印象残ってると思う。
お涙頂戴ってなんかやだな。ここで言うお涙頂戴は別にひねくれた意図ではなくて、単純に心動かす的な意味でね。ひねくれた意味ではないよ。
だけどエンム君にはそれが無かったなあと。原作は読んでないんですが、調べてみたら多分どうやら原作にもないらしい。
原作にも無いからしょうがないじゃんって言われるとそうなんだけど、したらば何でそんな内容薄いところ映画化したんってなりますやん。この時点で、映像作品特有の”とりあえず映画商法”っていう制作事情みたいなのが我々視聴者にも目に見えるわけで。
ドラマやアニメで1クール終わったらとりあえず映画化ってよくありがちな商法ですけど、それによってこういう裏事情みたいなのが透けると一気に冷めるんすよね。ただでさえ非現実的な世界観に没入させなきゃいけない映像作品で、キッズ相手に動員稼ごうみたいな現実的な裏事情が透けてるのがうーんって感じ。
煉獄さん死んだのそんな悲しい?
いやいや内容薄いって煉獄さんが悲劇の最期を遂げましたやん、って言われたらそうなんだけど、そもそもぽっと出の煉獄さんが死ぬってのがあの映画の目玉ならそれこそ内容薄くないっすか。
アニメのみ視聴している私の煉獄さんの印象を述べさせていただきますと、
柱の一人で出てきた眉毛。(アニメの印象)
うまい!うまい!
早くにご両親亡くしたんか。大変だったね。
程度の印象。鬼狩りになった動機づけが映画内でもっとされていて、そんな正義で戦っていた彼は死んでしまったのかとなれば、炭治郎が泣きながら森にわめくシーンの彼らの心情にも共感して涙もこぼれるってもんですが。
これ別に漫画自体に文句を言っているわけではなくて、煉獄さんの非業の死がここまで悲しまれるのには、恐らく原作の無限列車編以降で炭治郎がヒノカミカグラについて探るために訪れた際にその過去について深く知るなどの描写があるんじゃねえかと思うんですよ。煉獄さんの遺言では煉獄家を訪れてねって感じだったし。
そのストーリー構成には別に文句はないんすよね。あの時死んでしまった彼がそういう正義で戦っていて、その彼の犠牲のもとに火の呼吸的な方向で炭頑張りますみたいな感じになれば印象残るからいいと思うんすよね。煉獄さんのことをぽっと出なんて言えなくなるわけです。
まあそもそもここまで妄想なので、原作がどうなってるかわからんすけど。
一方、アニメのみの人からしたら、アニメで炭をとっ捕まえた偉そうな柱どもの一人で急に出てきた弁当食ってるお兄さん、なんか死んでったなあってなっただけなんすよ。別に映画内で彼の生き様に焦点が当たってるわけでもさしてないし。
これで泣けって言われたらどれだけの感受性求められるんすかね。まだ蜘蛛山で首をおられた先輩鬼狩りさんへの方が感情移入できますよ。煉獄さんが死んで泣ける感受性持ってたら、NARUTOで自来也死んだときはもう自殺するレベルっすよ。
それってやっぱ内容薄いとこ切り取って映画にしてるから薄いんでしょ。先に述べた「”とりあえず映画商法”による没入感への弊害」に戻って以下略です。
総括
そんなこんなで、無限列車編の感想を述べさせていただきますと、
以上。
サポートしてくださる方が実在するとはにわかには信じ難いのですが、実在するならば感謝してもしきれません。