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俺が”一途”に求めていたもの

おばんです。メリークリスマス。Aohです。お久しぶりか。

ちまたで話題の呪術廻戦。その映画が昨日公開されました。その主題歌を担当するのは何とKing gnu。いいっすねKing gnu。
呪術廻戦もKing gnuもどちらも”それなりに”好きなので、めちゃくちゃ期待してました。俺得コラボってやつですね。

しかしながら、本日は厄介なオタクにありがちな「主題歌、ちょっと違くね」って話についてやっていこうと思います。

King gnuが好きな人はこの時点でわりと死ねやって思ってるかもしれませんが、死ねやって思いながらとりあえず読んでください。

それから残念ながら呪術廻戦のネタバレ(ここでいうネタバレは本編17巻まで、アニメのみ見てる方は見ない方がいいです。)を多少含みますので、「King gnuが好きだけど呪術見てない!死ねや!」って思った人は宇宙人にさらってもらってこの記事の記憶を抹消してください。頑張ってください。

呪術廻戦について

あらすじ

2018年6月の宮城県仙台市から物語は始まる。

常人離れした身体能力を持つ高校生・虎杖悠仁は、両親の顔を知らず、祖父に育てられた。祖父が逝去した夜、虎杖の学校に眠る「呪物」の封印が解かれ、人を襲う化物・呪霊が現れてしまう。虎杖は「呪物」回収のために現れた呪術師の伏黒恵と共に、取り残された先輩を救うため校舎へ乗り込む。しかし、そこで窮地に追い込まれてしまい、虎杖は力を得るため自ら呪物「宿儺の指」を食べ、特級呪物・両面宿儺が復活する。

その後虎杖は「宿儺の器」として呪術師に捕らえられ、死刑を宣告される。しかし、特級呪術師の五条悟の提案により、「すべての宿儺の指を食してから死ぬ」という猶予が与えられる。

かくして虎杖は都立呪術高専に入学し、呪術師としての人生をスタートさせる。

Wikipediaより

そういう感じで、主人公である虎杖が自らの中に本来敵である呪物を飼いながら、呪物を討伐する呪術師として仲間と共に成長していく物語です。

王道ジャンプ漫画っす。めちゃくちゃ面白いです。

ジャンプ漫画の王道パターンって

僕、漫画ってあんま読まない人間だったんですよ。マジで読み切った漫画はNARUTOくらい。

ですけども、この世の中便利になりまして毎日無料で漫画読み放題的なアプリの登場や、このコロナ禍も相まってバリバリにハマってしまいまして、この呪術廻戦も例外ではなく。

そんな漫画というものはおろかジャンプ漫画ってものに対してくそにわかなんですけど漫画を読まないなりにクソおもろいなって思った点を言語化してみますと、登場人物のバックボーンの深さなのかなあと考えています。

鬼滅の刃ってあるじゃないですか。あれもわりと面白いなって思った人間なんですけど、何が面白いかって、やはり登場人物のバックボーンでして。鬼になってしまった者も元は人間で鬼になったあとの行動にもそのルーツってものがある点だったんですよね。

分かりやすいのは下弦の鬼の蜘蛛編のくだり。最初の敵となる蜘蛛糸で人を操ってるウーマンは蜘蛛のボスに拾われて戦っていたんですけど、そのボスはDVの気がありまして、人間の時にはあまりできなかった「家族と暮らす」感じが楽しい反面、横暴には辛がっている様子。炭治郎はそれを察して苦しくない倒し方をする。みたいな。

そして恐怖の支配によって自分の部下の統率を取っていた蜘蛛のボスについても、その行動は”家族”ってものにあこがれた末である。家族ごっこにあこがれた末にちょっとDV息子になっちゃったわけです。

といった感じで、敵味方問わずそのバックボーンっていうのが回想含めて語られる感じが、ジャンプ漫画ってとっても面白い点だと思うんす。

語られたバックボーンが敵についてだったら、
そいつにはそいつの正義があったんだな
ってことで憎めない。
語られたバックボーンが味方についてだったら、
それを乗り越えてどういう風に成長するのか。ってか乗り越えてくれ頼む
って感じで、応援したくなる。

そして、その正義たちがぶつかり合うことで起こる化学反応っつうのが胸を熱くさせるわけですよ。
っていう風に考えてるんですけど、どうなんですかね読者さん。あってますかね。まあ合ってなくても私はそう感じてる次第であります。

自分のルーツに”呪われる”

そんなジャンプ漫画たちですが呪術廻戦も例外ではないんすよね。

主人公の虎杖くん。
ひょんなことから呪術師の世界へ飛び込むこととなった彼なのですが、その呪術師としてのルーツとなるのは序盤で亡くなってしまった祖父の「お前の図抜けた身体能力は人のために使え」という言葉

この漫画は”呪術廻戦”っていうタイトルだけあって”呪い”っていうものがとても主題になっていると思うんですよね。

そりゃ相手が呪物だからそうでしょうっていう単純な理由ではなくて、それを祓う呪術師である彼ら自身も”時に言葉に、時に仲間の死に、呪われながら”生きているのだなと、それが感じ取れるストーリー展開っつうのがめちゃくちゃ痺れるんすよね。

っていうのも、人が良く死ぬんですよ、この漫画。死ぬんですけど、くっさい口上をさせてもらいますけど、その死たちが生きている人間の中でしっかりと生きている。

例えば七海先生。仲間の死を受けて心が折れてしまったことで一度呪術師を辞めてサラリーマンとして生きていた彼なのですが、陰ながら世間の役に立つ呪術師というもののやりがいに気づき、脱サラ呪術師として虎杖の講師もしていた彼。

いつも冷静で合理的な判断を下すキャラってのもあってめっちゃ好き。

最強ってこともあって大人気の五条悟は、いわば虎杖の担任であるわけですが、虎杖に先生やってたのは七海先生だったと思う。

なんだろう、NARUTOで例えたら虎杖をナルトとしたら、七海先生は自来也の位置。五条悟は伏黒っていうサスケを抱えたカカシ先生かなあ。

別に最強の必殺技教えてもらってたとかではないけどね。冷静沈着合理的なキャラゆえに説明口調が馴染むってのもあって、”虎杖の師匠”としての印象が強め。

そんな彼も亡くなってしまったんですよね。
その死に際っつうのが何とも七海先生らしくなくて。

先述した通り、虎杖の先生やってたのは七海先生って印象強くて、虎杖もななみんって呼んで懐いてた始末。その逆に、虎杖のことをよく理解していたのは七海先生だったんすよね。

虎杖のルーツになっているのは、さっきも言ったように亡くなったおじいさんの言葉。虎杖よりも”虎杖はおじいさんの言葉に呪われている”ことを客観視して理解していて、その呪いは、呪物に堕ちて救えなかった友達の一件を通して強まっており、色濃く虎杖を縛っているんだということも理解していた七海先生。

自分が昔に呪術師してたときの仲間の死っていう経験も相まっていたんだと思う。マジでいっちばん虎杖の理解者。

だから、自分が死に際に何か後を託すことを虎杖に言ってしまうと“自分の死を通して虎杖はその言葉に一生呪われてしまう。”それを一番理解していて、いつも冷静な判断を下していた印象の強い七海先生が、死に際にはそれを破って「後は頼みます」って言いながら死んでしまうんですよね。

この言動の七海先生らしくなさがその言葉の重みをより一層際立たせてるし、それ故にその死に際に読者は心震わされたし、それを刻んで虎杖は前に進んでる。

この一件はマジで呪術廻戦の主題が色濃く映ってると思う。
登場人物は彼らのバックボーンである”自分のルーツに呪われながら”生きているんだなって。

他にも虎杖の先輩である真希さんは自分を虐げてきた家族を見返すという目的に縛られており、その双子の妹である真依さんは真希さんという姉の存在にある意味縛られている。

五条悟の因縁の敵である元呪術師の夏油は、星漿体の一件を通して呪術師として人を守ることに疑念を持ったことが裏切りの発端。その行動も九十九さんっていう今のところなんもしてくれないフリーの先輩呪術師が放った言葉に呪われていた。

出せばキリがないんすけど。
とにかく彼らが、死と隣り合わせの呪術師を続ける理由にはそれ相応のルーツがあり、時には呪術師としての経験を通して、成長するとともにそのルーツにより強く呪われていくという流れが、呪いを祓う彼らが呪われていくという相反性として見えてとても面白い。

それに付随するストーリーに心震わされるのが面白いと感じる由縁。


『劇場版 呪術廻戦 0』

というわけでそんな『劇場版 呪術廻戦 0』公開中!!

このストーリーの原作となる呪術廻戦 0巻も絶賛発売中!!


あらすじ

幼少のころ、幼なじみの祈本里香を交通事故により目の前で失った乙骨憂太。

「約束だよ 里香と憂太は大人になったら結婚するの」

怨霊と化した里香の呪いに苦しみ、自身の死を望む乙骨だったが、
最強の呪術師・五条悟によって、呪術高専に迎え入れられた。

そして、同級生の禪院真希・狗巻 棘・パンダと出会い、乙骨はある決意をする。

「生きてていいって自信が欲しいんだ」
「僕は呪術高専で里香ちゃんの呪いを解きます」

一方、乙骨たちの前にかつて一般人を大量虐殺し高専を追放された最悪の呪詛師・夏油 傑が現れる。

「来たる12月24日 我々は百鬼夜行を行う」

呪術師だけの楽園を標榜する夏油は、非術師を殲滅させんと、ついに新宿・京都に千の呪いを放ち――

果たして、乙骨は夏油を止められるのか、
そして、里香の解呪の行方は‥‥。

『劇場版 呪術廻戦 0』公式サイトより引用

物語は虎杖が入学する約一年前に遡り、幼馴染である里香を失ってから呪物に取りつかれた乙骨憂太が主人公であります。

彼が入学して間もなく、因縁の敵である夏油が起こす妖怪大戦争ともいうべき百鬼夜行が今回の舞台。

以上を踏まえて”一途”に求めていたもの

そういうわけでやっと本題だわ。どんだけ語るねんこの人。

今回の映画主題歌の”一途”はこちら。

導入でも書いた通りKing gnu、"それなりに"好きなんですよ。

それなりにって言っとかないと、結局お前はKing gnuが好きじゃないだけだろって信者様にボコられるので敢えてつけてますけど。本当はめちゃくちゃ好きです。

んでめちゃくちゃ好きだからこそめちゃくちゃ今回の主題歌にも期待していたんですよね。映像作品において主題歌は切っても切れないものだと思うので。

バナナフィッシュではストリートギャングであるアッシュの心情みたいなのが暗めの世界観でPrayer xでは表現されているように思えたし。

坂口健太郎主演のイノセンスでは「消せない過去」ってのにわりと焦点があっててこれが世界観にあってたようにとても感じました。

三文小説は「35歳の少女」の主題歌なんですけど、柴咲コウが何十年越しに目覚めたら、もともとあった家庭が崩壊している感じを、こんなにもきれいな曲調なのに明るくはない歌詞とそのタイトルのアンバランスさという曲全てで表現していて、作品の世界観とマッチしてて凄いと思ったんすよね。

そんなこんなでKing gnuは今までこんなにも合うものかってくらい作品の世界観にあった曲を世に送り出してきた方々なんです。だから今回も、前述したような呪術廻戦の主題に沿っている、めちゃくちゃマッチした歌を期待していたんです。

ですけど、ちょっと違ったなあっていうのが率直な感想でした。

なんでしょう、King gnuに描いてほしかったのは先述したような呪いっていう方の世界観だったんですよね。

白日やTeenager foreverでも描いているような、こんなにもアーティスティックな曲を作るのに誰よりも人間らしい後悔の念みたいなのを曲にする感じ、その負の感情を心に響かせてくる感じを今回も描いてほしかったなあと。

別に暗い曲調じゃないからなんか違うって言いたいわけではないんです。「King gnuといったら負の感情でしょ」みたいな決めつけで言っているわけでもなくて。むしろ疾走感ある千両役者とかどろんとかむしろ好きなんです。

でも今回描かれているのはどちらかというと呪術廻戦の主題よりも、里香⇔乙骨の”一途さ”が完全にテーマになっている感じがちょっと違うなあって。

いや合ってるんすよ。だって呪術廻戦0の主題歌なわけですから。めちゃくちゃ合ってるんです。

でも今回、夏油が百鬼夜行を起こすきっかけとなった裏には、やはり人間というものへの因縁があるわけでして、敵である夏油の正義みたいなのにも焦点もっと当たってもよくないかっていう感じっすね。ある意味で呪われている夏油がないがしろにされてる感が否めなくなくなくないっすかって感じかなあ。

それに、表現されている一途さを持った少年、乙骨はどちらかというと優柔不断というか、か弱い少年という印象が強いから、もうちょいこの疾走感に伴った一途という主題の中に、葛藤みたいなものが見える歌詞ないのがうーんってなってしまった感じすかね。あるんですけどね。「矛盾に脳を惑わして」ってあるんですけども。

ですが、乙骨の成長譚、最終的に迷いを振り払って“一途に向かいます”ってなった乙骨の成長譚って意味では合ってるかなあ合ってるかあ、って程度には合ってる曲なんだけども。

木を見て森を見ずと言いますか、乙骨⇔里香っていうピンポイントへの歌になってしまってる感じが否めなくて、もっと呪術廻戦全体の”呪い”っていう主題に沿った「呪いとも言える愛」っていう感じが欲しかったのかなあっていうのが感想ですかね。

それに伴って、もう少し”迷いや葛藤”みたいなのが「前面に出てる潔い疾走感」にもっと勝って欲しかったっていう印象です。

というのが呪術廻戦とKing gnuがj好きなきっしょいオタクによる感想です。

決して批判ではなく感想です。何度も言いますがKing gnuが好きです。曲を聴いて感じたことを殺して脳死で称賛するのは違うだろってことで言語化してみたかった”感想”なので悪しからず。

以上。

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