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ロンドンでデザイン留学をしてきた

2018年の春、就活が解禁された。

私もぼんやりと、まわりと同じようにふつうに就職活動をしてデザインの仕事につくのだろうと思っていた。なのに、モヤがかかったようにいきなり自分が何がしたいのかわからなくなった。

必死にがんばったつもりだったこの大学3年間、自分は何をしていただろう。

デザインのデの字も知らず、「生活デザイン学科」に入った理由は、美術の授業が好きだったから。とにかく、なにか作ったりして、それを職業にしたかった。推薦入試で面接なんてしてたら、落ちてただろうなと思う。

1年生で基礎を学んで、2年生でグラフィックデザインと出会って、3年生ではゼミでコンペに応募して入選したりもした。デザインの展示を見に、ひとり夜行バスで東京にもなんども行った。それなのに、就職活動を目の前にして、なぜ急に足がすくむのだろう。

とあるデザイン事務所の募集要項をみて、理由がはっきりした。

「自分の考えるデザインとは何か」について書くというもの。ああ、そんなこと考えたことなかったなと気づいてしまった。何してたんだ今まで、と頭が真っ白になりかけたところで、先生との会話を思い出した。

「留学してみたら?」

会話の流れで、本気なのか冗談なのかわからないテンションで言われたこの言葉を思い出して、あ、いいかもしれない、と思った。

日本の大学院とも迷ったけれど、そもそも大学院に行くには「わたしの考えるデザインとは」が必要なわけで、お門違いだと気づいた。留学を通して、自分の核となるものを築き上げたい。自分は日本のデザインが漠然と好きだけれど、外からだとどう見えるのかも気になった。ついでに、帰国子女なのに英語を話せないコンプレックスも解消できたらいい。これについては安直な考え方ではあったけれど。

親に頭を下げて、ようやく留学をするための準備にとりかかったのは8月だった。エージェンシーに相談にいったところ、入学試験の面接は12月ということで、わたしはかなり遅いスタートではあった。それでも、何とかIELTSなるもののボーダーを達し、東京での面接にも無事受かった。そのあとは、遅れ気味だった卒業制作にてんやわんやし、なんとかギリギリといった感じで2019年3月に無事大学を卒業することができた。

一度、芸大のグラフィックデザイン学科で学んでみたかったこと、期間は1年だけという条件などがあり、ロンドン芸術大学のファウンデーションコースに入学することになった。その中でも、セントラル・セント・マーチン(CSM)という、デザインとアートの境界線を探るというコンセプトで、自由な校風に定評のある歴史あるカレッジで学べるということでウキウキしながら入学を待ちわびた。

そして、2019年の9月から今年の春まで約7ヶ月(コロナの影響で2ヶ月早めに帰国)留学してきたわけだけれど、間違いなく、80歳のおばあちゃんになって振り返ったとしても、5本の指に入るだろう貴重な体験ができた。両親には本当に深く感謝をしているし、わたしも両親のように将来は自分の子どもを全力でバックアップできるようになりたい、という新しい夢もできた。

いま思えば、英語も話せないで、どういう授業があるのかもあまり分からないで、よくいきなり留学なんて決意したなと思う。

楽しいばかりの留学では決してなかった。ロンドンにいる間は、帰りたくて帰りたくてしょうがなかった。たった半年がこんなに長いと感じたのは、記憶の限り初めてだった。その分、学びはたくさん、本当にたくさんあった。ぎゅうぎゅう詰めだった。

帰国して2ヶ月。

テレビなどでロンドンの街並みを見たり、2階建バスなんかを見ると、やっぱりもう一度ロンドンで暮らしてみたいと思う。カフェで課題を頑張ったあと、夜遅い時間の静かなバスに乗るのがとても好きだった。A2サイズのアルタートケースを引っさげて乗ったあのうるさい地下鉄も今ではすこし恋しい。人も優しくて、都会なのに東京に比べるとゆったりと時間が流れていて、素敵なところだった。

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