本日閉店のアリオ仙台泉へ感謝を伝えたい / 3月11日寒空の下、勇敢な店員さん達の姿に感動した話
泉中央駅の近くにある「アリオ仙台泉店」には小学生の時から通っている。(2013年頃まではイトーヨーカドーという商業施設だった。)地下鉄終着駅で多くの人が利用したアリオ。地元のシンボルとの思い出を、書き残そうと思う。
買い物客として利用した思い出が大半だが、一つ、どうしても感謝したいことがある。
2011年3月11日、あの日、あの時間、私はイトーヨーカドーの5階のゲームセンターにいた。中学校1年生だった。
午前中に3年生の卒業式があり、午後は授業が無い日だった。平日の休みが嬉しくて、友達と3人でプリクラを撮りに行ったのだった。
地元の小中学生が安全に遊べる場所
泉の小中学生は地下鉄に乗って仙台駅の方に遊びに行くとかはもってのほかで、外で遊ぶといえば100円マックを食べるか、100均でお揃いのキーホルダーを買うとか、とにかくお金のかからない遊びをしていた。
(スタバやカラオケは、高校生になってからの選択肢)
イトーヨーカドーに遊びに行く、なら親の許可も出やすい。
色々なお店を見ているだけでも楽しいし、街中にしかない‘プリクラ’があるのが特に嬉しかった。
しかも泉中央のヨーカドーはフリューの最新機種がどんどん入る場所で、
フレームや落書きに飽きてしまうこともなく、楽しかった。新台が入ったら学校でこの機種はどうだとか女子たちの噂になり、皆んなこぞって撮りに行った。(パチンコ屋か)
ちなみに私の推し機種は「cherrycherry」シリーズ。
モデルのmimmamちゃんとコラボしてた機種も何回も撮りに行った記憶がある。
3月11日、イトーヨーカドーで体験したこと
そんなこんなで2011年3月11日、私たち3人はプリクラを撮っていた。
その日の一台目か、二台目だったと思う。
落書きコーナーの椅子にぎゅうぎゅう座り、持っていた時。
椅子が微かに揺れた。
「隣のAちゃんが座り直したのかな?」と思ったが、じっと感覚を凝らすと地震のようだ。
「なんかちょっと揺れてない?震度1くらいかねー」
プリクラ機の幕を中からめくって外を見てみたが、
他のお客さんに特に変わった様子もなかった。
座ってるからわかる小さい地震。
そう思った次の瞬間。
これまで体験したことのない激しい横揺れに襲われた。
大きい大人に突き飛ばされたような衝撃。
最初、何が起きたのか全然わからなかった。
気づいた時には椅子から振り落とされていて、冷たい床の上だった。
私たち3人は散り散りになりへたり込んだ。
激しい揺れのせいなのか、腰が引けたのかは分からないが、とにかく立てない。
「地震だ!!!椅子に潜って!!!」
私はAちゃんとBちゃんに叫んだ。
私たちが座っていた椅子だけでなく、どこのプリ機から飛び出してきたか分からない椅子が散乱していた。
Aちゃんは自力で椅子を確保し、既に身を守っていた。
Bちゃんは少し離れたところにいたので、何とか呼び寄せて、すでに椅子を確保した私のところまで這ってきて貰った。
そうしてBちゃんと私は2人で椅子の下に潜った。
程なくして電気が消えた。
電気の消えたゲームセンターは暗くて、怖くて怖かった。
暗闇の中の音、おさまらない揺れ
ガタガタすごい音をたてている色々なゲーセンの機種。
女の人のものすごい悲鳴。
「大丈夫大丈夫!」と誰かを励ます人の声。
天井?なのか、建物の一部が凄い勢いで崩れてくる音。
どこかで水が降る音。
「あ、訓練で口酸っぱく言われた宮城県沖地震が来たんだ。これが宮城県沖地震に違いない。」
「建物が崩れそうだ。本当に死ぬのかもしれない。」
「絶対震度7だ。震度7ってこんなに破壊的で凄いのか。」
心臓がバクバクして、色々な考えが高速で頭をまわる。
で、全然揺れがおさまらない。
「ダメだ…早く終わって…お願い…」
もう涙目で祈ることしかできなかった。
だが非情にも、ドカン!と第2波が来た。
これまたものすごい凄い衝撃だった。
椅子にしがみつきながら目に映ったゲームセンターは、まるで暗闇の中のスケートリンクだった。
激しい横揺れに沿って、あらゆる機械がシューシュー床を滑る。
鉄の塊なのに、重力がなくなったようだった。
椅子でかろうじて頭は守っているけど、いつ、その機械にぶつかってしまうか、潰されるか分からなかった。
完全に揺れがおさまるまでどれくらいの時間が経っただろう。
もう、ゲームセンターの中はめちゃめちゃだった。
3人で支え合いながらヨロヨロ立ち上がり、店員さんの誘導で開けた場所へ。
フロアにいた人全員が非常口の近くに集められた。
取り残された人がいないか店員さんが確認している間しばし待機。
その間も余震が秒単位で来て、その度にビクビクしていた。
そして、合図があり、階段を降りて外に出た。
外(ペデストリアンデッキ)に出ると、当時泉中央にいた多くの人が呆然と立ち尽くしていた。
その中にはベガルタ仙台の手倉森誠監督(当時)もいらっしゃった。
向かいのセルバや駅ビル近くにいた人もたくさん混ざっていたと思う。
停電もしているし、バス地下鉄も止まってるだろう。
家族に電話している人もいたが、全然繋がってないようだった。
あんなに大きな揺れを経験して、「すぐ帰ろう」とはならない。
スマートフォンがない時代の災害
今では考えられないが、スマートフォンがない時代だ。
大人がガラケーを持っていて、裕福な家の子がキッズケータイを持っているくらい。
ガラケーは基本電話とメールのための機械だから、インターネットにアクセスする手段はまだPCが主流だった。
だから「大きな地震が起こった」以上の情報が皆んな分からなかった。
私たちも当然携帯なんて持っておらず、もう何が何だかわからなかった。
周りでワンセグに繋がった1人の大人がNHKを見て「津波警報が出ている」と喋っていて、それで、沿岸部に津波が来るんだ、ということは分かった。
イトーヨーカドーの店員さんがとった行動
15時を過ぎていたくらいだったと思うが、空が薄暗く不気味な色になった。そしてなんと雪が降ってきた。
東北といえど、3月だ。
しかも太平洋側で、山間部でもない仙台で雪が降るなんて本当に珍しい。
「なんでこんな時に…」
時折風も吹いて、外で過ごすには本当に寒かった。
その時、人々が次第に毛布のようなものを手にし始めた。
なんだろう?と思って周りを見てみると、ヨーカドーの3階くらいのところから店員らしき女の人がかわるがわる何かを下に落としている。
それらはタオル、布団、毛布、ベビー用品……
タグがついたままの、イトーヨーカドーの商品たちだった。
代わりばんこに店内に戻って、何度も何度も、重たい寝具をありったけ落としていた。
「え、商品を配るの…?」子供ながらすごく驚いた。
あのスピード感だ、現場の人の即断だったのだろう。
受け取ってありがたく暖を取る人、遠慮して受け取らない人、それぞれだったが、店員さんたちの勇敢さには本当に胸を打たれた。
こんな大変な時にもらっていいものか、どうしようか……
私たち3人がモジモジしていたら、
あるママさん集団たちが毛布をとってきてくれ、私たち3人を毛布で包んで、「大丈夫〜?怖かったよね、頑張ったね」と、毛布ごと抱きしめてくれた。
雪の中で感じる毛布と人の暖かさに、涙が溢れそうだった。
この後、イトーヨーカドーの一階はおそらく安全だとのことで、帰宅を待つ間、寒さと予算を凌ぐ簡易的な避難スペースが作られた。
店員さんも何人かいてくださった。そこにいた人を置き去りにはせず、店を閉めるまで一緒に居てくださった。私はそこで夜まで待ち、日付が変わるくらいに親と合流でき、生き延びた。
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ちなみに、この時貰った毛布は是非そのまま持って帰ってくださいとのことだったので、ありがたくいただいた。高校卒業までは実家で使い、関東の大学に進学して一人暮らしをする時も持って行った。ボロアパートの寒い冬もこの毛布で乗り切った。震災以降も10年間私を温めてくれた、もはやパートナーのような毛布。
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今日で閉店するアリオに伝えたいこと
そんな思い入れの詰まったアリオ仙台泉(旧イトーヨーカドー)が今日、1月31日に閉店となる。
やはり地方のスーパーは業績不振に抗えないのか…
子供の頃からの思い出の場所が無くなるのはとても悲しい。
アリオ仙台泉には心から感謝の気持ちを伝えたい。
あの日、取り残された人がいないか何度も確認して、避難口の安全確認をし、パニックにならないよう利用客を誘導、しっかり避難させてくれたこと。
余震が続く中勇敢に店内に戻り、使える商品を引っ張り出して多くの人に配ってくれたこと。
帰りの目処がつくまで、一時的な避難所として場所を提供してれたこと。
イトーヨーカドーの店員さんをはじめとする、多くの大人たちの勇気と助け合いの精神は、死ぬまで忘れないと思う。
地震を乗り越えてアリオとしてオープンしてからも、本当にお世話になった。
相変わらずプリクラは撮ったし、
スイミングに行く前に腹ごしらえもした。
塾の迎えを待つ間の待ち時間を過ごしたり、
ベガルタの試合を見に行く前にお惣菜を買ったりもした。
成人してからも、仙台に帰るたびにお土産コーナーにお世話になった。
震災からもうすぐ14年。
大袈裟だが、私の命はアリオに生かされたと言ってもいい。
もしあの時アリオにいなかったら、今どうなっていたかはわからない。
今はすっかり大人になり、東京で会社員をしているけど
物理的にも精神的にも、アリオで得たものは大きい気がする。
いつも胃袋を支えてくれたし、いつ泉中央駅に帰っても明るく迎えてくれたアリオはもういない。
ありがとうイトーヨーカドー。
ありがとうアリオ仙台泉。
もう会うことはできないけれど、
目を瞑ればそこには、あの日の温もりが、確かに残っている。
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