「ことば」と日本刀
梅雨の終わりを告げると言われていた雨が降った前日。夕方近所の石垣の道に向かうとひぐらしが鳴き始めていた。梅雨あけ前からひぐらし。ずいぶん進行が早いような気がする。けれど、もう近年になるとこういった順番はまったく分からなくなって、「どうだったかな?」と思うようになった。
日頃日本刀を見ることは無く、どちらかというとあまり関心がない。刀に付随する拵えなどは鑑賞するのが好きなのだが(だいたいこりに凝っているものが展示されている)刀身となると鑑賞のしようがわからないというのが大きいのかもしれない。美術館展示でしばしば見かけるけれど、普段見ていないから「意外な形だな」だとか「こんな大きさなのか」だとか思ったり、見た目の怖さや輝きなどに目を止める以外は、横に附記されている来歴に目を止めて、へーと思うぐらい。見所がわからないのだ。
好きなものや興味のあるものについては放っておいても自然に情報に触れたり、それなりに楽しめる。そうでないジャンルやもの、分からないものについてはプロの話を聞くのが手っ取り早い。そう日頃から思っているので、東京国立博物館で月次開催されている月例講演会「「ことば」と日本刀」があると見て、いそいそと参加することにした。
東京国立博物館かんの工芸室の方の講演だ。楽しみ。そして「ことば」とは日本刀に関わる言葉だろうけれど、どういうことだろう。と楽しみにしていた。
講演内容は「言葉」つまり日本刀の専門用語、日本刀の主に様子を表すために生み出されたさまざまな表現はなぜ発展したのか、ということを中心に、いくつかのその表現がどういったものなのかといった例を示したものだった。なるほどと思うとともに、その言葉があるということを知ると、そこを中心に注目して実際の刀を見ることができ、そこを起点に鑑賞を進めることができる!とヒントをもらった喜びがあり、大満足の講演だった。
さまざまな言葉、例えば刀にを表現する「沸」(にえ)という言葉がある。これは(刃文部分のキラキラと光が湧き立っているように見える様子)が多いとか、少ないといった表現に使われるのだけれど、この「沸」などは他では使われない、あるいは他のものに使われるのとはまた違った使い方だろう。講演は、こういった表現が多くあるのだけれども、それはなぜそんなにたくさん表現しなければならなかったのか(表現するために多くなった)を教えてくれた。
刀は古い時期から「鑑定」の対象だったから。ではないかとのことだった。誰が作り、誰が使ったどんな姿のものなのか。刀を手に入れた人にとってそれは意味があることだった。確かに刀は持っている人にすれば主な自分の武器でありそれほどほいほいと手に入るものでもなく、ステータスであり、また、上のものから下賜されたり、名誉の印に送られたり、お祝いの贈答として贈られる対象でもあったと思う。
講演では、元々そういった「どういうものか」が重要なファクターであった上に、誰が作ったかが重要であったのに、安土桃山時代にそれより古い時代に作成された刀を短く作り直すという作業が盛んに行われた結果、銘がある部分(多くは元の方にある)が切り落とされたり削られることがあり、「あれ?これ誰が作ったの?」という状態になってしまった刀が多く発生し、銘頼りだけで誰作か判断せず、全体の作風でなんとか誰のいつのものなのか判定、つまり鑑定する必要があり、盛んに鑑定されたから、それにつれてどんどん、それが「どんな刀なのか」を言葉で表現し尽くしていくうちに刀言葉が増えていってしまたところがあるのではないかとのこと。確かに、物を言葉で表現するのは難しい。見た目や感覚、使った感じなどを言葉であらわせと言われても既成の言葉では間に合わないところがあるだろう。それに鑑定という他に伝えてしかもそれを共有しなければならない情報の場合、共通の共有できる感覚、これを言えば大体他の人の頭の中にも同じものが浮かぶといった言葉が必要だろう。
安土桃山時代にどうしてちょっとだけ短い刀がいいね!となったのは分からないけれど、もしかしたらそれより古い戦い方とは違う戦い方が主になってきたのではないかと思う。長い刀より短い刀で小回りが効く必要が出てきたのだろう。昔は「やあやあ我こそは」の戦い方だったのが団体戦へ混戦へと変わったのかもしれない。この辺りは不案内なのでさっぱりだ。
とにかく、昔の良い刀を刃長の元の方を削り、柄に入る部分が全体に上に上がる。という作業をしていたらしい。これを磨上(すりあげ)と呼び、銘が打ってある部分までも魏せにして上にあげる場合を「大磨上」(おおすりあげ)と呼ぶそうだ。この大磨上を行ってしまうと銘が失われる。
この「磨上」もそうだけれど、言葉があれば「刃の下の部分を削って・・・」という話をせずとも「磨上」が行われた、で済むわけだ。言葉便利。
とにかくそういったこともあり、刃文の様子だとか全体の形や印象、刃と反対の背の部分の作り方だとか、そういったものを「どんな刀なのか」から「誰の作風なのか」を推理し、誰が作ったか、を判定するのはとても大事なことだったらしい。
本阿弥光悦の家は刀の鑑定の家で、確かこの人も刀について色いろ手紙を書いていたと思う。あまり記憶が定かでないけれど、「この刀こうだと思うけれど、念の為おじさんに確認する」といった手紙があったような。
とにかく「鑑定の家」があるぐらい鑑定作業は必要な作業だったのだろう。
今回、鑑定に使われる言葉を教えてもらえて、鑑定がどんな視点で行われるのか、といった話のほんの一部ではあるものの触れていた。そういう話を聞いたことで、例えば「刃文の沸が多い」という話を聞けば、「そうか、刀をみたとき刃文に沸があるかどうか、それがどんな様子なのか見ればいいのか」と思うし、背の部分、棟の部分が「庵」になっているよこの庵部分が屋根みたいになって「三つ棟」だよ、と鑑定案内となる書物に書いてあるよ、と聞けば、なるほど背の部分もみんな同じではなくて、いろんな造りがあるんだな、今度見よう。と思う。
こんなふうに、鑑定は関係ないようでいて、まったく鑑賞の手掛かりがなかった私には鑑賞の最初の取り掛かり、最初のスタートを教えてくれるものとなった。
なんでもそうだが、多くのものを見ると、なんとなく目の前のものの位置、質やなんとなくの位みたいなものを感じるようになる。それは全てのものを見れば全体のマッピングができるものなのかもしれないけれど、大体が、このジャンルでこの括りでこの中でこれ、といった形になることが多い。知識も重要だけれど、感覚がおおいに関係しているものなので、見ているうちによくわからなくなるというのも面白く、そこも含めて楽しんでいるところがある。これからも鑑賞者といては、迷いつつも目の前の「これは好き」「いいな」「どうして好きなのかな」「どうしてこんな気分になるのかな」という感覚を過去の経験と照らし合わせながら見ることになるのだろうと思う。刀に対してそこまでするとは思えないけれど、展示を見て、ある程度見どころを見るといった意欲は以前より増したと思う。
詳しい話は最近書いた本に載っているので読んでね!と講演者の方がおっしゃっていたので、「もちろん読む」と思う。次に読む本ができてその点でも嬉しい。