見出し画像

手紙

おてがみのプレゼントありがとう。
お母さんは、お父さんやあなたたちのために、
いつまでもげんきで、いえのしごとや、みんなのおせわをします。
だからあなたも、お父さんやお母さんのために
まいにちげんきでよい子でいてくださいね。
さいごに、お母さんのやさしさは
あなたたちが、やさしいく、しょうじきな人になってもらうために、
いっしょうけんめいしかることです。
これがお母さんのしごとです。わかってね。
ではまたおてがみを出してね。ありがとう。
ごご10時30分 おやすみ
ー5月10日 母の日ー

これは母からもらった手紙で、おそらく私が残している手紙の中で一番古いもの。母がいまの私よりも若い時に、いまの私の息子より少し小さい私にあてた手紙。
目をつむって、この手紙を書き終えたばかりの時間に戻ってみる。
「おやすみ」の文字を書きおえた母のそばで私は眠っていて、小さな寝息をたてている。

***

午後10時30分、日曜日
今日が母の日ということを誰に教えてもらったんだろう。
まきちゃんのところか、けんちゃんのところか。分からないけどそんなところかしら。
ぐずぐずと歯磨きもしないでいるからまた私に怒られて、手紙を渡すタイミングを失ったのだろう。パジャマ姿で寝る段になってから「お母さん、これ」って照れ臭そうに出してきた。正直おどろいて、それから喜ぶ顔を期待されてるのが丸わかりで可笑しかった。大げさに喜んだら嬉しそうにして。
ふふ…。スースー言ってるわ。
あんな姿で寝てたら、明日の朝はすごい寝ぐせがつく。

私がこの子と同じ年のころ。
私は土佐の小さな港町の、木造校舎に通う小学校の1年生。姉さんに連れられてお下がりのぼろの運動靴をひっかけて、土の道を歩いていた。
母の日なんて知らなかった。

「お母さんと交換日記がしたい」
そうあの子に言われたのはいつだっただろう。

***

前の日に雪が降ったから…3月。ちょうど2か月前の事になるのか。
朝からよく晴れて、芝生の上に薄く積もった雪が少し残っていた。
昼に焼うどんを食べた後で、あの子を連れてスーパーに行ったのだ。風は冷たかったけど気持ちのいい午後だった。
買い物を終えたあとで、あの子がどうしてもあそこに寄りたいと言いだした。見るだけだからと懇願されてランランへ入った。ランランはサンリオのキャラクターグッズを取りそろえた、このあたりの子供たちに絶大な人気を誇る店だ。

少ししたら両手に何個か商品を持って、入り口で待っていた私のところにやってきた。買ってほしいって、やっぱり言う。だから入りたくなかったのに。
腹が立って「見るだけっていったでしょ。」ときつく咎めた。しょげてうつむくあの子の手から、持っていたノートを何気に取り上げた。それはキャラクターのノートで中を開くと、左に1週間の日付、右に罫線が書かれた日記のようなものだった。
・・・・。
「これ日記よ。毎日ちゃんと自分で書くんならこれだけ。あとはあかん。」
あの子は全てあかんと思っていた様子で、ことのほか喜んだ。ちゃんと書く!と飛び跳ねて、別に持っていたシールと消しゴムと髪留めを、元の場所に戻しにいった。

あの子が欲しいのは、バービー人形、新しく出たゲーム機、ルービックキューブ、コマーシャルでしょっちゅう見るしゃべる人形と、それと…。
はぁ、あかん、あかんばっかりでうんざり。でもほんとうに辛いけど買ってやることはできない。

あの時一瞬迷ってこのノートなら良いって言ったのは、あの子が我慢している色んなことのうちで、考える自由ぐらいは止めてはいけないと思ったから。
あの子は親の事情にさんざんふりまわされて、耐えている事がたくさんある。あの年でもう人の顔色を伺うようになった。言いたいことも言えずにいるのだと分かる。その心の端っこがこのノートに出て来るかもしれない。嬉しかった事ももちろん。
母として不器用な私は、娘の心の中を上手くすくってやることができない。あの子が不安そうにしているのを可哀そうと思っても、どうしてやればいいのか分からないのだ。教えて欲しい。あの子が眠った後で、ノートを開いて気持ちの中を覗いてみたい。

「日記つけるなんて、お姉さんになったみたいね。」
荷物で重たくなった自転車を押して、団地までの坂道を上っていく。
あの子はノートが入ったランランの紙袋を大事に抱えて、寒さでほっぺを赤くして、隣でずっとはしゃいでいた。

その夜、ノートを出してきて言ったのだ。
「お母さんと交換日記がしたい。」

「え、交換日記??お母さんと?」
てっきり自分だけの日記と思っていたら、友達で誰かやっている子がいるのだろうか。あの子はすぐ人のこと羨ましがるから、自分もやってみたくなったのだ。

買い物から帰ってくるまではよかったのに、私は夜になってまた随分イライラしていた。
せっかく作ったひらめの煮つけを、目が怖いだの骨がどうのとかで、ほとんど残されたこと。
ぐずぐずして風呂に入らないこと。
毎夜のことながら、夫と言い合いになったこと。こっちは今月どうやり繰りしようと必死なのに、そんな苦労知りもしないで気楽にビールなんて飲んで。

「お母さんそんな暇ない。自分で書くって言ったじゃないの。
 一人でやんなさい。お母さんはできない。」

そういった時、あの子の目に涙がにじんで、それが私をもっとやるせなくさせた。なんで?と食い下がってきたけれど、とにかくできないとはねのけた。心が逆立っていた。

やめてよう。そんな顔しないでよ。
余裕のなさが小さい者へいってしまう。私はいっつも怒ってばかりだ。
でもしょうがない、だってあの子たちが寝たあとでも私にはやることが山ほどある。一袋で何円にしかならない釣り針の内職も、この時間から数をこなさなければならない。誰がやるの?私しかいないでしょう?
しょうがないのよ。
寝た後まであなたにかまってあげる時間なんて、全然ないの。

出来ない理由を胸の中で並びたて、発する言葉は「できない」とだけきつく言った。あの子はしばらくぐずって、それから、お母さんと交換日記をするという憧れをあきらめたのだ。
あくる日から、あの子は一人でノートに何かを書き始めた。机にむかって何か書いている姿は、私をヒリヒリとさいなんだ。
だから私はそのノートに関わらないようにふるまった。あの子の前でも、あの子が寝た後でさえも、意地になって見なかった。
でも、やがてそれも忘れた。
日々の諍いと心配事と、子供らと家のやることと、なんだかんだでそれどころではない。やっぱり、しょうがなかったでよかったのだ。

++

午後10時5分。
勉強机の上に、本や教科書が放り出したままになっている。母の日だからと言って不意に手紙をもらってしまったので、怒るタイミングを逸してしまった。今日ばかりは仕方ないと片付けていたら、あのノートが本と本の間にはさまって出てきた。ぎょっとした。それから少し迷って、恐る恐るそのノートを開いた。

3月〇日 きょうわまきちゃんのいえであそびました。みんなげーむおしていたのでバービーおかしてくれました。
3月〇日 きょうわごむとびしました。たのしかったです。
3月〇日 きょうわどろけいとごむとびしました。

日記のようなものは最初とその次のページの数行程度で終わっていて、そのあとは自由帳のように、あの子が描く女の子の絵が何ページか描いてあった。女の子は片目がウインクしているいつものお姫様の絵。そして、何も書かれていない白紙のページが連なっていた。

交換日記だったら、続いていたのだろうか。
交換日記だったら、この白紙のページがいまも埋まっていて、毎日のあの子とのやり取りが書かれていただろうか。
4月には入学式があった。そのあとすぐ仲良し遠足もあった。私が髪を切ってやったら気に入らなくて泣いたし(私はすごく怒った)、新しい紙の着せ替え人形を買ってもらってすごく喜んだ日があった。団地の友達に仲間外れにされたと言って押し入れに閉じこもった日もあった。
そんなことがここに記録されてきたのだろうか。

私はこのノートの後ろの方から、白紙の1枚を切り取った。
それからあの子にあてて、母の日の手紙の返事を書いた。

***

1枚の古い手紙。
この手紙をもらった私と書いた母がいる。もらった私はこの手紙を捨てられずに40年も持っていて、今は私もお母さんになった。お母さんになったから、この手紙をお母さんの気持ちでも読んでいる。
そして多分、書いた母は書いたことなんて忘れていて、手紙を見せてもこんなの覚えてへんわと言うのだ。自分の文字を不思議そうに眺めながら。

どんな思いがこの手紙に存在していたのかを考えるのは、受け取った人の自由でしょう。
だから目をつむって、この手紙を書き終えたばかりの時間に戻ってみる。
これは事実と虚構をおりまぜた、ある年の母の日の夜のおはなし。

この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,412件

興味をもって下さり有難うございます!サポート頂けたら嬉しいです。 頂いたサポートは、執筆を勉強していく為や子供の書籍購入に使わせて頂きます。