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短くしてください。もう大丈夫と思えたから。

週末に髪を切った。
ここしばらく肩上ぐらいのボブが定番で、2か月に1度のペースで美容院に通ってきた。変化をつける事いえば、後ろを少し短めにしたり、前髪を短めにするぐらいなのであまり代わり映えはしない。
切りたてのすっきり感も手伝って、毎回夫に感想を求めるのだけれど、「あんまり変わらないね」だの、下手をすれば「切った?」とまで言われる始末。これは”あるある”なのだろうか。
期待はしていないのだけど正直がっかりすることも多い。

昨日も定番ボブをどの程度いじろうかという思いで鏡の前にすわったのだけれど、急に気分が変わった。
「今日は短くしてください。」そういって、髪先を耳たぶに並ぶぐらい持ち上げた。
「いつもの長さじゃなくていいの? ショートでいく?」
「はい。それでお願いします。」
長い付き合いの美容師さんなので、私の頭の形状や髪質、好みも大体わかってくれている。長さのイメージだけ伝えたあとはお任せだ。

「久しぶりだねぇ、短くするの。いつぶりかな?」
「手術の前に短くして以来だから、3年ぶりかな?」

***

3年前のちょうど今頃、私は手術を控えていた。
その春先、あまりにも肩の凝りがひどくなり接骨院に通うことにした。レントゲンでストレートネックと診断され、現代病ですねぇと言われ、姿勢への注意と治療として首のけん引をしてもらうことになった。
けん引治療がはじまってすぐに右手の親指に痺れがでた。先生に痺れを訴えても、けん引以外の治療はないと言われる。そうかと思い、しばらく通ったのだけれど今度は人差し指まで痺れてきたので、「すいません」と思いながら別の病院を受診した。

そこでは、レントゲン以外にCTを撮ることになった。
その気はなかったのに轟音が鳴るあの機械に吸い込まれて動揺し、検査が終わったときにはどっと疲れがでていた。
まずレントゲンを見せられて、ストレートネックであることを言われ、数回のけん引治療で治るはずもないのだなと思ったところで、先生から「それよりも別の問題があります」と言われた。
CT画像に切り替わった。
「腫瘍がみつかりました。」
頭から首にかけての縦切り画像に、素人がみてもくっきりとわかる丸い異形なものが映し出さされていた。延髄の下の腫瘍の大きさは3cmにもなっていた。

この病気に罹るのは10万人に1人の確立です。
詳しい検査をしないと分からないけれど、この大きさならば恐らく10年以上かけて脊椎の中で大きくなっていったと思われます。
放っておくと徐々に運動機能に障害がでてくると思います。
そして摘出してみないとこれが悪性か良性なのかは判りません、このまま大きくなれば延髄を圧迫して命に関わる事象も引き起こすかもしれません。
痺れは同時に見つかった首のヘルニアによるものでけん引治療は今後NG。
とにかく偶然見つかったこの腫瘍についての対処が急務です。


肩こりと痺れ以外の自覚症状のなかった私は、文字通り頭が真っ白になった。専門医のいる大学病院を紹介されてそのあとはどうやって家にかえったのかを覚えていない。
ー子供だ!息子、どうする?
 しばらく会えなくなることと、病気の事どう話せばすればいい?
ーそうだ!パパがワンオペになっちゃう。
ーあぁ、仕事だ、月末の経理作業どうしたらいい?
ーいや待って。
 腫瘍って…。私は死ぬかもしれないの?

震えながら家族に伝え、職場に話して理解を求め、紹介された大学病院を受診してからはとんとん拍子に手術の日も決まってしまった。
その後の検査と専門医の見立てで、この病気の場合の腫瘍は悪性の割合がすくないことを聞いた。でも症例が少ないので専門である私の主治医の先生でさえも、この部位(延髄の真下)を最後に手術したのは5年前と言う。
「全ては開けてみないと分かりません。」

順番がごちゃまぜになった感情が押し寄せてぶんぶんと私を振り回した。e
地震やなにかで何度か死が目の前にあることを意識したことはあったけれど、今回のように「…かもしれない」ことに期限が示された事にどう向き合えばいいのかつかめなかった。


何を聞いても安心できるものはなかったけれど、まるで濁流にのまれたかのようになす術もなく手術の日は近づいて来る。
準備してしまうと負けになるのではないかという思いが押し寄せる中、念のため息子に手紙を書き、何かあった場合の書類(いろんな保管場所やパスワードとかのメモ)をこっそり準備した。
離れて暮らす両親に会いに行き、一段と老いた姿に心配を掛けられないと思い直し、全てを打ち明けられずに簡単な検査入院だけしますと言って帰ってきてしまったけれどもう仕方ない。

日常生活では平静を装いながら、心の中では不安の嵐が吹き荒れていた。
入院の1週間前に、肩まであった髪を短く切ってもらった。
手術で髪は一部剃られてしまい、術後はしばらく頭は洗えないのだ。
その時も当然ながら彼に切ってもらい、頑張って!と送りだしてもらった。
家に帰って鏡に映ったショートカットの自分をみて、命を預けようとやっと腹をくくった。

***

あれから丸3年になるんだなぁ。
ばさっ、ばさっと床に落ちていく自分の髪を見ながらこの3年を振り返っていた。
手術は成功し、摘出した腫瘍も良性だった。後頭部に一部麻痺はのこっているけれど日常生活にはほとんど支障がない。
見た目でいうと、後頭部の真ん中あたりから首の一部にかけて手術跡の傷が残っている。指でそこにふれるとぼこんとへこんでいるのがわかる。自分で後ろ姿がみれないので、傷の残り具合も写真に撮ってもらわないと分からないのだけれど、知人には「ジッパーみたいで、着ぐるみみたいでしょ?」とおどけてみせる。でも、本当は見えてしまうことに痛んでいる。
それ以降、髪の長さは暑くてもうっとおしくても、傷が見えないラインをキープする事だけは死守してもらっていたのだ。

「久しぶりだねぇ、短くするの。いつぶりかな?」
「手術の前に短くして以来だから、3年ぶりかな?
 ・・・・・・まだ傷わかるだろうけど、切りたいな」
「見えるけど、ほとんど分からないですよ。
 せっかくショートにするから、いい感じにしましょうよ!大丈夫」

久しぶりに軽くなつた頭がこそばゆい。涼しくなった首元を夕方の風がなでていく。
ー軽いかるい。久しぶりだこの感じ、この気持ち。ー
傷はもう見えていても大丈夫。
振り返ると美容師の彼が店先で笑顔で手をふってくれていた。

こうしてまた日々暮らせる命をつなげてくださったお医者様たちと支えてくれた家族には心から感謝している。
あたりまえの1日なんてない。




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