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初めてのくやし泣き

週末に息子のサッカーの試合を観戦した。
リーグ予選を首位で立ち上がり、シードで臨んだトーナメント戦。息子は夫と出かける際「絶対勝つからママも見に来てね!」と言って玄関で飛び跳ね私に抱き着いた。
サッカーができる嬉しさとか意気込みとか、自信に満ちたお日様色の感情を、ピンボールみたいに弾ませている。
ーはいはい、頑張っといで。ママも後から行くよ。

私は炊き立ての二合のお米をおにぎりにして、少し遅れて競技場へ向かった。途中、神社を横切るのでここぞとばかりにお参りなどしてみる。
二礼二拍手一礼
「勝てますように!」
…。ちょっと思い直す。
「あの子たちが満足するプレーができますように…!」

***

ところが。
残念ながら、息子のチームは初戦で敗退してしまったのである。試合開始すぐに失点し、最後までリズムが取り戻せないままに負けを期してしまった。
試合終了後にコーチに促され整列。観戦している親に向かって「応援ありがとうございました!」と大きな声で一礼する子供たち。親側にもまだ敗戦の動揺が漂う中、大きな声が胸をついた。

礼が終わったあとで息子はうな垂れながら腕で顔を覆った。
風の強い1日だった。風はくるくる渦を巻きながら子供たちに近づいて、彼らを後ろから撫でるようにして土埃を舞い上げ、グラウンドを走っていく。息子は泣いているようだった。

今まで何度も試合経験はある。勝ったり負けたりは子供たちも経験済なのだけれど、今回は何かが違うようだった。彼らはこのリーグ戦に選手として掛けていたのだ。そして、それに敗れて”負けた悔しさに涙がこみ上げる”という経験を息子は初めてしているのだ。友達と喧嘩したり、母に叱られたりして泣くのとは訳が違う。

私も夫も種目は違えどチーム競技をしてきたので、それなりに悔し涙の経験はある。あの感情をいま息子が8歳にして味わっているのだと思うと、なんだか不意打ちをくらったようで心が波立った。

こんな気持ちを味わうのはもう少し後だろうと、何となく思っていたのだ。

息子の泣いている姿が、自分が「する」側にいた時の気持ちを運んできたようだった。負けを受け入れないといけないこの苦い時間を、私も知っている。中学生や高校の部活の時に自分が味わっていた気持ちと同じ。同じ思いで今、息子が悔し泣きをする姿を見ている。
これまでもたくさん息子の試合を観てきたのに、こんな気持ちになるのは新鮮だった。

チームメイトがひとり、息子に寄り添って肩を抱いてくれている。声を掛けられて何度もうなずいているのが見えた。ちなみに泣いているのは息子だけではなく、試合に出た子も出られなかった子も、感情を溢れさせたり、励ます子がいたりと様々だ。
幼い、まだ小さい、と思っていたいのは親の方で、彼らは十分に立派なのだった。存分に悔しがって、励ましあって、その背中を見ている親達にも響くジーンとする光景だった。

ほぼ週末子供のサッカーの予定にあわせて動くのが、時に(いや、実施は多大に)窮屈だと感じているけれど、こういう姿を見ちゃうと応援するしかない。ほんと何かに打ち込む姿ってすごい説得力だよ。

これから何度もこの悔し泣きを味わうだろうけど、今日の涙は母が覚えておこうと思う。
息子よ強くなれ。次頑張ってこ。


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