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よかにふる まで

はじめに「余花」という言葉に出会った。
ちょうどその時、私は文章を書くことに疲れて椅子一つ使ってうず高く積んである本の山から文庫本を1冊抜き出して、パラパラページをめくっていた。綴りたいのに相応しい言葉が当てられなくて、ぼやけて曖昧になった景色を見続けているみたいになったから、少しそこから視点をそらせるつもりで。

手に取った「雨のことば辞典」には、一冊まるまる様々な雨の言い表しや意味や成り立ちが収められてていた。霧雨、天気雨、狐の嫁入り、ゲリラ豪雨、それから…。私が知ってる雨を表す言葉はほんのわずかである。ページをめくりながら今まで私が見てきた雨の表情を照らし合わせて想像してみる。さっきまで知らない言葉だったのに、頭で覚えている雨がこの言葉に吸い寄せられるように、イメージが形を作っていく。乾いていた頭がほんの少し濡れて、柔らかくほぐれていくようだ。

そしてパラパラも最後の方になった時に、「…花の雨」と書かれたページで手が止まった。「余花の雨」よかのあめ。ふぅん、そんな言葉があるんだ。素直に綺麗だなと思い、あと自分の名前にかつて「花」という字がついていたから、なんとなくいつも目に留まるとも自覚していた。

余花の雨 よかのあめ
余花に降る雨。「余花」は、春過ぎて初夏、寒冷地や高い山などに遅れて咲いている桜の花をいう。俳句で「残花」は春、「余花」は夏と決まっている。「余花の雨」は、山の高いところで夏になっても咲き残っている桜花をぬらす雨で、風情のある美しいことばだ。
妻の禱りこのごろながし余花の雨 五十嵐播水

雨のことば辞典 倉嶋厚著 講談社学術文庫

なんとなくひっかかったので、なんとなく小さな付箋を貼っておいた。それ以降、本は部屋のあちこちを移動して、せっかく雨が降っている時に開こうと思ったも見当たらなかったりした。なんだよ、ちょうどいい雨なのに。この雨をなんと言えばいいのか調べたかったのに。そんなことを思いながら、不思議と余花の雨の事は覚えていた。
「余花の雨」と口にしないでも、心が呟くだけでひとりでに情景が立ち上がる。
雨露にぬれる新緑の葉と桜のほのかな花の色が、湿度をまとって胸にくっついたような気がした。花という字にひっかかったのとは違う。何かの情景が見えてくるような気がして、それが私が度々書けないな、言葉が拾えないなと思う気持ちと響き合ってしまったから、余計にこびりついた。

その頃、たまたま二作目のZINEを作ろうと考え始めた時期だったので、頭の中の「題」と書かれた引き出しにこの言葉をしまっておく事にした。まだ今は何かよく分からなくても、霧が晴れるように現れてくるような気もする。
これが昨年の年末の頃である。

私が次のZINEに入れたいと思っていたのは、誰に見られることもなくどこかの山や森の奥でひっそりと雨に打たれる孤独な木のような情景なのかもしれない。
そう思っても、俳句や季語としての強度が強いのか不勉強なもので分からず、題として相応しいのかわからなかった。
最後まで変えるつもりでいて、これ以上の相応しい言葉がある気がして浮かぶのを待ったのだけれど、結局ずるずると手放せなかった。

(仮)を取ってこれで行こうと決められたのは、校正を担ってくれた友が「このタイトルだからいい」と背中を押してくれたからだ。デザインを担当してくれた友が、よかにふるの世界観を視覚的に美しく表してくれたからだ。
(にしても、常に自身のなさが先行するのが情けないですね・・・。)

「よかにふる」できました。
文学フリマ岩手でお目にかけます。

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