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夜眠らなくてはならないのは朝起きなければならない人だけ


 

 寝れない寝れないと考える方が余計に眠れないのでもう眠れなくてもいいやと諦めてしまうと、案外入眠できる。そして朝もちゃんと目が覚める。睡眠不足だろうがそこはどうでもいいとする。一つ学んだ。考えすぎはよくない。


 朝は『未成年』を読んだ。

 フィオーナがいかに優しい裁判官であるか、そして、難病で正当な治療を受けられずに苦しむ子どもたちのためにどれだけ救いの手を差し伸べてきたかを読むと、ますます夫の言い分が意味不明だと思うとイライラしてきた。仕事のためとはいえ、子どもたちのためにプライベートな時間も犠牲にしてきたのである。しかし、そのため夫婦の間には子どもが産まれることはなく、二人きりのままの生活を余儀なくされていることは事実であり、無論、そういった行為に及ぶこともなかなかなかったため、夫の言い分の中のほんの一部分には、理解できる部分もあるのだ。まあ他人の生活なので私がとやかくいうことではないのだけど、今のところはフィオーナの全面的味方である。

 その後なんとなくブローディガンの『愛のゆくえ』が読みたくなり、パラパラと読んだ。秋の選書には入れてないけれど、時々読み返したくなる。こんな図書館が本当に存在していたら、年間何冊の本が保管されるのだろう。作家や著名人ではなく、ただ、人々が思いを込めて綴った本だけを保管する特別な図書館。そしてそこで住み込みで働く図書館員になれたらどれほど幸せだろうか。私も自作したものを置きたいし、置きながらもみんなの本を管理したい。埃くさい本棚をぼうっと眺めたい。そんな思いを膨らませて妄想に浸っていると、いつの間にかお昼となっていた。トマトを齧って、満足した。仕方なく掃除した。

 最近食べたいもの(料理)が全く思いつかなくて、思いついたとしても素材そのもので、鯖食べたいから焼くとか、トマト丸齧りたいとか、茄子、焼く、とか、至極シンプルなものを作るっていうか焼くだけっていうか。が増えている。酸っぱいもの食べたいから柴漬け食べようとか、本当にそんな感じ。油分をあまり欲してないというか、本当に、ご飯…ちょっと今はめんどくさい、って時期。よく、無性にカレーが食べたい時は疲れている時とか、体に何かしらのビタミンなどが不足しているとき、そのビタミンなどが摂取できる料理が食べたくなるようにできてるとかできてないとか、聞いたことがあるので、多分そんな感じ。リコピン足りないからトマト、それなりに食物繊維とカリウム足りないから茄子。疲れているのでお酢摂りたいから漬物(塩分は控えめにしましょう)みたいな。単純。でもそれでいいような体になってきてるならそれでもいいと思う。とか言いながら急に作りたくなって、凝ってしまうのだけど。シンプルな料理が一番好きです。ご飯と漬物と味噌汁でいい。あと卵焼き。卵は毎日4個くらい食べたいくらいに好き。

 角田光代さんと堀江敏幸さんの『私的読食録』という本がある。これを読むと、物語の中でさりげなくでている食べ物がとても魅力的に見えてくる。『ただの』なんてものは存在しないというか、物語の登場人物たちも、それらを食べたくって食べているのだ。さりげないものでも、美味しいと思うから食べている。たったそれだけのことだけど、とても意味があるように思えるのだ。

 たとえば、物語の中で少女が食べる「甘パン」。あるいは、殺し屋が飲む一杯の「珈琲」。小説、エッセイ、日記……と、作品に登場する様々な「食」を、二人の作家はあらゆる角度から食べ、味わい、読み尽くす。その言葉が届くとき、あなたの読書体験は、まったく新しいものに変わる。読むことで味を知る、味を知ることで読みたくなる。すべての本好きに贈る、極上の散文集。(本書裏のあらすじより引用)

 角田さんは、向田邦子さんこそ、家庭の食事、普通に食べるごはんに言葉という光をあてたのだと述べられている。

家庭の食事、ふつうに食べるごはんに、言葉という側面から光をあてたのは、向田邦子だと私は思っている。この人は、たとえばこんな風に書く。      「カレーライスとライスカレーの区別はなんだろう。(中略)金を払って、おもてで食べるのがカレーライス。/自分の家で食べるのが、ライスカレーである。厳密にいえば、子供の日に食べた、母の作ったうどん粉のいっぱい入ったのが、ライスカレーなのだ。」向田邦子という作家は、まさにカレーライスではなく、ライスカレーを書くことに心を砕いた人である。エッセイに登場するのは、気張った料理ではなく、ごくふつうの料理だ。たとえば味醂干し、たとえば薩摩揚げ。この人にかかると、海苔巻きのはじっこ、大根の切れ端までもが、光を浴びて生き生きと輝きだす。 (本書 『向田邦子の、ふつうのごはん革命』より)

 …ということは、私の生活の中でも当たり前に存在する食もまた、実はとても魅力的なものなのだ。ふつうのごはんが美味しい。うまいものはうまい、と思う気持ちを丸ごと肯定してくれている。どんな食べ方をしようと、美味しければそれで良くって、物語の中でもそうやって、当たり前にうまいものを食べているのだ。私もそれに乗っかろう。

 明日は何を食べ、何を読もうか。



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