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猫も人もみんな気まぐれ


 ここ数日、日記を書くための体力すら奪われている、12月の2日目。
 冬になったからなのかどうかはわからないけれど、本を全く読んでいない。けれど、寒さのせいで動きがよりぎこちない。
 とにかく創作を楽しむようにしている。そのうちに時間が過ぎている。冬。
 冬に読みたい本をいくつか見つけたいものだけど、積読から消化していくことになりそうだ。海外文学と古典文学を交互に行き来したい。新刊でいくつか読みたいものも見つけている。それもチャンスがあればお迎えしたいところ。そうしているうちに年が明けてゆくのだと思う。

 
 昨日、妹の家に新しい家族が増えた。二匹の姉妹猫。野良猫だけれどお風呂に入れると毛艶はふわふわになり、すっかり可愛い女の子たちになった。
 実家にいるのは雄の黒猫だけれど、今回は二匹とも雌。雄猫と違って骨組みが柔らかいというか、細いというか。とにかく小さくて柔らかくて、大事に大事にしなければ、力加減を間違えてしまうと傷つけてしまうような存在。実家の🐈‍⬛は、幼少期から骨組みがしっかりしていて、手も大きかった。絶対大きくなると思っていたら結果筋骨隆々な猫になっていて、もう5キロオーバーしている。重い。


 彼女たちは姉妹だけれど性格が全く違うように思う。

おとなしくてとっても繊細。隅っこ隅っこに行って寝ようとする。でも寂しがりやで、一匹でいるのは嫌らしい。こたつですら隅で寝ている。こたつから出てこない。
もらってきた当初はすごくおとなしかったのだけれど、慣れてくると自分で餌も食べるしおもちゃでも真っ先に食いついて遊んでいた。結構やんちゃである。人の膝に自らのっかってくるほどの甘えん坊。こたつが天国だと気付き彼女も出てこない。


 可愛い二匹が一気に増えたものだからお世話できるだろうかと心配したけれど、そんなに心配するようなことではないみたいだ。本人が楽しそうだからそれで良い。

 命あるものは全て限りがあるとわかっているからこそ、安易に生き物を飼うことはできないんじゃないかと考えていた時もあったけれども、こうして人間を癒してくれる動物の存在が、確実に私の心の支えになっていることは間違いなく、いつか来る未来で必ず尽きる命に大きな悲しみを抱くことは容易に想像できるとしても、限りあるからこそ大事にしようと思えるのだ。責任を持って共生する。

 そうして小さな猫たちに存分に癒されながらも、実家に帰ると🐈‍⬛がいるので、とてもふくふくとしている。

 実は最近、短歌も詠めていなくて、今は難しいな、と感じているので一旦離れている。言葉を集めて、インプットして、それからしたいようにアウトプットして、自分の最適解を見つけ出したいと思う。何が正しいとかは、創作の中に今は持ち込まないことにする。まずは土台を作るところから。何事も闇雲に模索していいのだと気づいた最近。とはいえ人生の舵はまだ取れていないのだけれど。大きな喜びを求めないで、読みたい本が読めて、可愛い猫がいて、どうにか普通に、生活していけるようになれたら、人生はそれで上手く転がっていくと信じたい。続いていく地続きの一生を、一つ一つに後悔を作ってしまわないようにしたい。できるだけ。本当に、できるだけ。

 上手くなりたいこと、できるようになりたいこと、生きていきたいことを、うまく調整していけるように、まずは一旦、自分の歩みを止めないで、進む勇気を。

 悲しい夜を数えている人。
 寂しい夜を過ごしている人。みんな弱くて、みんな優しいと思う。
 
 また明日。

 今夜は『西瓜糖の日々』を読みたい。

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