【短編小説】夏夜の海辺で過ごしたあの時間は学生の特権だったのかもしれない
都内の居酒屋でふとおもう。
ーーお酒を飲んで楽しむのにこんなに金かかるんだな。
・・・
わたしが通っていた大学は都心からは程遠い、人口12万人ほどの町にポツンと門を構えている。
海沿いのこの町は自転車を30分も走らせれば市内を縦断できるほどの小さな町だ。5分も歩けばどこもかしこも知り合いだらけでダル着でコンビニなんて行けたもんじゃない。おまけにいつも潮風でベタついた風を運んでくる始末だ。
そりゃあ夏なんてたまったもんじゃない。
じとーっとした温風が私を覆い、べたついたTシャツを何度も取り替えなければならなかった。
そんなところだが、私たちはここを気に入っていたんだ。
「伊勢谷、中田!今日何限までだ?」
「今日は5限で終わりだけど。」
「お、じゃあ今日終わったらうちに集合な。」
授業もほどほどに、教授の話が終わりかけるその前に荷物を片付け講義室を飛び出した。
「こらっ!まだ終わっとらん!」
そんな先生の怒号を今日だけは無視して一目散にバスに飛び乗った。
17時を過ぎたころ、私は家に着くなりすぐにみんなを迎える準備をしていた。
畳まれずにベッドの上に広がった洗濯物、シンクに積まれた食器類。それらを急いで片付け掃除機をかけた。
「ふう、これでとりあえずみんな来ても大丈夫だな。」
ーーピンポーン
ちょうど伊勢谷と中田がインターホンを押し、うちに来た。
「遅かったな!待ちくたびれたわ!」
「うるせー、そんなに汗かいてどうせ急いで掃除でもしてたんだろ」
ふたりは両手いっぱいに金麦やら一番搾りやら氷結、それと既に袋が開けられたさきいかを持ってきた。
「そうだ!海の目の前なんだしさ、たまには砂浜で飲むのはどう?」
満場一致で私たちは海へ出た。
日が沈みいつもなら不快に感じるべたついたこの風も、缶ビール片手にすると心地よい風に様変わりする。
夜風がなびき、松の葉がしゃらしゃらっと擦れ合う音、ボラがパシャんと水面に跳ねている音、ばしゃんと波が堤防に打ち付ける音、しゃーっと私たちの目の前で引いてく波の音。真っ暗で視界が閉ざされる代わりにみな耳を澄ませ、あたりいっぱいに広がる自然を全身で感じながら乾杯した。
私たちは砂浜に座り、将来を語りながら酒を飲み続けた。
互いに応援しながらも、負けじと緩やかなマウント合戦を繰り返しながらもみんな心の底でその瞬間を楽しんだ。
仕舞には浜辺に三人で寝転がり、澄み渡った空を眺めながらそっと目をつむった。
深夜をまわろうとしたちょうどそのころ、中田の様子が急変した。
「うぅ、うぅ」
どうしたかとおもうと急にうなりだして、突如海に飛び込もうとしたのだ。
酒癖の悪さは以前から知っていたが、こんな夜中に海に飛び込まれては危険が過ぎる。
パッと目を覚まし、わたしと伊勢谷は慌てて中田を捕まえ、半ば強制的に飲み会を終了し、家まで引っ張っていった。
なんとか寝かせつけ、ぐったりしながらそれぞれ帰宅した。
・・・
社会人になり、同じようなことをしようと思っても、もちろん飲む場所も節度も考える。
第一、都内にいると海なんかで飲もうもんなら帰れやしない。
缶ビール片手に夜中まで海辺で語り合ったあの日は、あらゆる条件がそろい許された特権だったのだろうか。
おわり。
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