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【短編小説】好きにも嫌いにもなれない彼女(前編)

今日もまた、あの嫌味ババアに呼びつけられた。

“嫌味ババア”こと芳子よしこは、ファストフード店「バーガーキッチン」の勝手口の裏で、両手の握り拳を腰にあてながら私を待ち構えていた。また今日もいびられるのかと思っていると、違った。

早苗さなえさんあなた、クリスマスは休みたいでしょう。私シフト入ろうと思えば入れるから、早苗さんの代わり、入ろうか。うん、絶対そっちの方がいいと思う」

嫌味ババアがそう言うので、私は「はあ」と気の抜けたような声を出した。嫌味ババアは、たまにこういうことがある。説教をするかのような雰囲気で、もったいつけながら、恩を売ってくるのだ。

長ったらしい説教を聞くハメにならなくてよかったけど、とはいえ、この提案は別に嬉しくもなんともない。だってクリスマスはどうせひとりぼっちなんだし、そんなことならバイトをしていた方が気が紛れる。

このバーガーキッチンは、本社から送り込まれた35歳の店長と、バイトの若手達やおばさん達で成り立っている。嫌味ババアはおばさん達の中でも最年長のお局だ。たしか、50歳くらいだったと思う。


帰り道、バイト仲間の美香ちゃんに、嫌味ババアとの今日のやりとりをLINEで伝えた。
1分も経たないうちに既読になり、既読になるやいなや、美香ちゃんから「なにその嫌味ババアの恩着せがましい言い方、ウザすぎ」と返信が届いた。

そのあと私が「しかも嫌味ババア、せっかくのクリスマスなんだから早苗さんは恋人とイルミネーションでも見てきたらいいじゃない、早苗さんもそっちの方が絶対楽しいでしょ、とか言うワケ。私、彼氏いないっつーの」と書くと、美香ちゃんからは「うわ!嫌味ババアっぽい!」と即レスが来て、その15秒後には「嫌味ババアはさ、自分はなんでも知ってる、自分は人の気持ちがわかると思ってるんだよね」と連投してきた。
私は電車に揺られながら、「嫌味ババアが自分は人の気持ちがわかると思ってる」って言い得て妙だなと、美香ちゃんの言い回しに感心した。


翌日。
私は午後から美香ちゃんと同じシフトだったので、いつものように嫌味ババアの話で盛り上がった。今日は私たちのことを嗅ぎ回る嫌味ババアがいないので、美香ちゃんと私は休憩時間に控室で堂々と好きな話ができる。

私は、この美香ちゃんの存在に救われている。
美香ちゃんは、私の一つ上の22歳。お互い別々の大学に通っているけど、「バーガーキッチン」のバイト仲間として知り合い、仲良くなった。

美香ちゃんは、茶髪にピアスにキラキラメイクで、読書モデルみたいな容姿。見た目はギャルっぽいけど、頭がよくて、自分の意見をしっかり言うし、それでいて思いやりもあるし、よく笑うから、みんなから好かれていた。
美香ちゃんには当然彼氏がいて、クリスマスは彼氏とディズニーシーに行くと言っていた。

そんな見た目も中身もキラキラの美香ちゃんが、このバーガーキッチンの中で私と一番仲良くしてくれているのは、ただ単に一番年齢が近いからだと思う。
美香ちゃんは私のことを「サナちゃん」と呼び、いつも私に面白い話をしてくれる。
私は徹底的に美香ちゃんに合わせるので、美香ちゃんが私と仲良くしてくれているのは、そのせいもあるかもしれない。私は美香ちゃんと話すときだけは、美香ちゃんに寄せた話し方になるし、美香ちゃんに対して反対意見は絶対に言わない。

そもそも私は、美香ちゃんとは対極のところにいる女だ。根暗だし、オシャレにも興味がないし、異性に対して愛嬌を振りまくこともできない。
それでも、美香ちゃんといるときだけは、自分が少しだけ上のランクの女になれたような気がして、気持ちいいのだ。だから私は、バイト先における美香ちゃんの親友という座を今後も死守していく。

私と美香ちゃんが盛り上がっていると、店長が控室に入って来た。
店長が視界に入ると、私は自分の胸が締め付けられるような感覚に陥る。店長のキリッとして整った顔立ちや、笑ったときのくしゃくしゃになる笑顔がタイプなのだ。異性とうまく話せないような私にも、店長はとても優しい。でも店長は奥さんも子どももいるから、絶対に好きになってはいけない。
私は店長との距離感が掴めずに長いこと経つが、美香ちゃんはそんな壁をいとも簡単に飛び越える。店長と美香ちゃんがごくごく自然に楽しそうに話しているところを、私はいつもじーっと見つめることしかできなかった。


閉店時間の21時になったので、店を閉めた。
いつもは美香ちゃんと駅まで一緒に歩くのだが、今日は違った。
美香ちゃんは、「大学のサークルの飲み会に2次会から参加するんだけど、ちょっと時間潰してから行くから、サナちゃんは先帰ってて」と言った。
私は駅までの道を、一人で歩き始めた。歩いて数分経ってから気がついた。財布がない。控室のロッカーに置き忘れたのかもしれない。私は急いでバーガーキッチンに戻ることにした。

バーガーキッチンに着いて、裏口から回って控室に入ろうとすると、中から美香ちゃんの声が聞こえた。その声は、普通じゃなかった。

私は混乱した。美香ちゃんの喘ぎ声が聞こえたからだ。
さらに私を混乱させたのは、店長の声も聞こえたことだった。
2人が事に及んでいるのは明らかだった。
私はショックでその場からしばらく動けなかった。

2人の行為中に、控室に入るわけにはいかなかった。
どういう顔をして中に入ればいいのか、わからなかった。
早く家に帰りたいけど財布がないと帰れないし、だから、事が終わるのをひたすら待つしかなかった。
かといって控室周辺にいるのも耐えられなくて、私は近くにある小さな公園まで歩いて行って時間を潰すことにした。

スマホで何かを見て気を紛らわしたかったが、スマホの充電が切れたので、何もすることがなくなった。
私は夜の公園で、一人ブランコに乗る。
数年ぶりにブランコに乗って揺れてみると、すぐに目まいがして吐きそうになったので、ブランコを降りてベンチに座った。


美香ちゃんと店長が、不倫をしている。
一体全体、どういうことなんだろう。
私のバイト先の親友である美香ちゃん、そして私の憧れの存在である店長、私の好きな2人が一緒になって、いけないことをしている。
店長は妻子持ちだし、美香ちゃんには同い年の彼氏がいるはずだ。

涙が止まらなかった。
どうしてこういう感情になるのかわからないけど、自分がみじめで、悔しくて仕方なかった。
店長をたぶらかす美香ちゃんにも、美香ちゃんと楽しんでいる店長にも、どちらに対しても、嫉妬なのか嫌悪なのかわからないが、嫌な感情が溢れ出てきて止まらなかった。

どうして私はいつだって蚊帳の外なのだ。
2人は今、私のことを噂でもしながら、楽しくセックスしてるんじゃないか。
「サナちゃんって、バカな女の子だよね。あの子、私と仲良しの顔して、私のことなんにも知らないんだから」
「早苗さんってさ、ときどき、視線が怖いんだよね。僕が美香ちゃんと話してると、あの子、睨みつけてきてる気がしてさ」
こんな会話をしているのではないか。いや、しているに違いない。

ふざけんな。
私は美香ちゃんのことも店長のことも許せなくなって、こんなバイトやめてやると心に決めた。

夜の公園をあとにして、バーガーキッチンに戻ることにした。
もうどう思われたっていい。控室で行為中の2人に会ったって関係ない。こちらは自分の財布を取りに戻るだけだ。


バーガーキッチンに戻ると、ちょうど控室から出てきた美香ちゃんと出くわした。
美香ちゃんは一瞬ギクっとした表情を浮かべたが、すぐに平静を取り戻して、「あれ、サナちゃん、どしたの?」と言った。
「え、えっと、お財布忘れちゃって」
堂々としていればいいのに、私はつい慌てて声が上擦ってしまう。
「えー、マジ?ロッカーかな?控室もっかい開けるから、ちょい待ち」
「うん、たぶんロッカー。あれ、店長は?」
「え?店長?店長は…もうとっくに帰ったよ」

その後、ロッカーに置きっぱなしになっていた財布を取って、駅までの道を美香ちゃんと一緒に歩いた。
2人で歩く駅までの道のりは、たった5分ちょっとなのに、30分にも1時間にも感じられた。
私から放たれる異様なオーラを汲み取ってか、美香ちゃんは話しかけてこなかった。
沈黙の中で、私は、美香ちゃんになんて言ってやろうか、ずっと考えていた。

私、知ってるんだから。美香ちゃんが店長と不倫してるの、知ってるんだから。
美香ちゃんは、悪い女だよね。妻子持ちの店長とそんなことしてさ。美香ちゃん自身も、彼氏のこと裏切ってるわけだし。美香ちゃん、私、あんたのこと、理解できないよ。あんた、ほんとは私のこと、友達だなんて思ってないでしょう。私みたいなイケてない女のことを、心の中で笑ってるんでしょう。私はもうバイトを辞める。もう二度と、あんたの顔なんて見たくない。

そう言ってやりたかった。
でも、私はそんなこと、絶対に言えなかった。美香ちゃんを前にして、言えるはずがなかった。

私は、美香ちゃんのことが憎いんだろうか。それとも、憎めないんだろうか。私は、美香ちゃんのことが好きなんだろうか、それとも、嫌いなんだろうか。


先に口を開いたのは、美香ちゃんの方だった。

「今から行くサークルの2次会なんだけどさ、よかったらサナちゃんも来ない?実は、女の子紹介して欲しいって言ってる男子がいてさ、いいヤツだし、顔も悪くないし、いつかサナちゃんに紹介したかったんだ。そいつも今日いるみたいだから、よかったらと思って」

急な話に私はドキッとして、なんと答えればいいかわからなくなった。用意していた言葉が、一瞬にしてかき消された。美香ちゃんは話を続ける。

「もし今日会ってみて気が合えば、そいつとクリスマスにデートしてみるのもアリじゃん?それでサナちゃんにとって楽しいクリスマスになれば、嫌味ババアとシフト変わった甲斐もあるってもんだし。どう?」

私は何を思ったか、気付いたら「行く」と答えていた。


つづく




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