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『もうあかんわ日記』書評〜喩えとツッコミの鬼・岸田奈美〜

岸田奈美さんの『もうあかんわ日記』を読み終えた今。
なんというか、とんでもなく疲れた。

これは、良い意味で言っている。
読んですごく疲れたのは、一人の人間の迫力に、やられてしまったからである。

この『もうあかんわ日記』は、刺さる言葉に溢れていて、読書中は息つく暇もなかった。
刺され過ぎて、あとから自分の体で刺し傷がない部位を見つける方が難しかったぐらいだ。

僕は今年10月にnoteを始めて以降、noteの女王・岸田奈美さんの記事をいくつか読んでいたのだが、全てを読めていたわけではなかった。
そんな折、読書感想文のライツ社提供の課題図書として『もうあかんわ日記』が紹介されていたので、これはいい機会と思い、本書を購入し、全もうあかんわ日記を一気読みした次第である。

岸田奈美『もうあかんわ日記』とは

本書は、2021年3月10日から4月15日までの37日間に渡り、岸田奈美さんが直面した壮絶な体験が記されたものである。

母親が生死をさまよう大手術を迎え、長期入院となる。
ダウン症の弟や、もの忘れが度を超えて激しくなってしまった祖母(作中では『タイムスリップ』という表現)がいて、つまり頼れる人が母を置いて身内に誰もいない。
そんな崖っぷちの状況でも、岸田奈美さんは「ただ、笑ってほしい。悲劇を、喜劇にする、一発逆転のチャンスがほしい。」と言ってのけ、辛い話もコメディに変えてしまう。

岸田奈美の凄まじさとは

死や病気、障害などをはじめ、様々な問題に立ち向かうこととなった彼女は、当時の状況をこのように記している。

現代社会のいろいろな問題が、かっぱ寿司の寿司特急に飛び乗って、わたしのもとにやって来た。
やめてください。注文してません。寿司を食わせてください。
ひとつひとつ、問題をクリアしていっても。息も絶え絶えなところで、さらにでかい問題が立ち塞がり、気力がスリの銀次に持っていかれる。

「もうあかんわ」
心から思った。

「『もうあかんわ日記』をはじめるので、どうか笑ってやってください」より

この状況を「もうあかんわ」と言いながらエンターテインメントに昇華し切り、読者を爆笑・号泣させる彼女の手腕にはただただ脱帽である。

彼女の生き様や人間力に惹かれ、ファンになる人も多いのだろう。

ただ、自分が注目した彼女の凄まじさは、もう少し細部の別のところにある。

それは、突出した喩え力ツッコミ力である。

作家・岸田奈美は、喩えとツッコミの鬼なのである。

これらの力は、作中でも出てくる彼女の形容詞の一つ「ユーモア」を細分化したものの一要素とも言える。
僕は常々、売れっ子作家や売れっ子芸人は喩え力やツッコミ力がズバ抜けているなぁと思っているのだが、とはいえ、売れっ子作家や売れっ子芸人ですら、これらの力を特別な状況下で自虐的に使える人は、そういないと思う。

父親は既に亡くなっていて、母親が死んでしまうかもしれなくて、10年以上入院していた父方の祖父が他界して葬儀があって、母方の祖母がボケてしまって、弟はダウン症で、愛犬の散歩中は肩身の狭い思いをして(愛犬の梅吉は人にも犬にもギャンギャン吠えるので)。

このような精神的に追い込まれる状況で、毎日のように、家族や自分のことを自虐的に喩えたりツッコんだりしながら読み手を爆笑させられる人を、僕は岸田奈美を置いて他に知らない。

他人事なら俯瞰して見ながら好き勝手に冗談を言えても、自分事となると急に視野が狭くなってしまうのが人間だから、自身の悲劇のときに彼女のように振る舞える人が他に全然いないのは、考えてみれば当たり前のことだ。

喩え力

さて、ここからは、岸田奈美の喩え力とツッコミ力について、深掘りしていく。
まずは、思わず唸った作中の比喩表現を2つ紹介したい。

家族きっての健康なわたしが東京へ出稼ぎにきているいま、要の母を失った岸田家の運営は、ピッチャーを引き抜かれた弱小球団または砂上の楼閣のごとくサラサラと崩壊している。
バグだよね。わたしもバグだと思うよ。どんな家庭状況やねんと。
でも生きるためにしかたないんだわ、この布陣は。

「もうあかんわ日記前夜1」より

母が入院中の岸田家の運営状況を、「ピッチャーを引き抜かれた弱小球団」、「砂上の楼閣のごとく」、さらに「バグ」と、これでもかというぐらい喩えている。

わかりやすい喩えをとんでもないスピードでえげつない量投げかけてくるのが、岸田奈美の凄まじさの一つだ。

自分自身が極限状態の、いわゆる藁にもすがりたいようなときに、こんなに明快な喩えを連発できてしまうことが驚きである。

もう1つ紹介したい喩えがこちら。

30分間が、万象一切灰燼と為してしまった。
30分間を待つことは、苦ではない。それで失敗したとしても、得られるものはある。人は、成長するものは愛すことができる。
でもこの30分間の消え方は、本当に「虚無」でしかない。あちらのミスなので、わたしは成長しないし、この時間でだれかが救われたということもない。ただ、意味もなく、消えた。

「もしも役所がドーミーインなら」より

「相手のミスのせいで30分間を無駄にした」という単純な事象を、比喩表現を用いながらここまで書き切れるのが凄まじい。

他にも触れたかった喩えがちょうどあと49個あるのだが、長くなってしまうので割愛する。

ツッコミ力

ツッコミというのは、奥が深く、難しい。
純粋にツッコミ能力が高い人というのは、案外少ないと思う。
くりぃむしちゅー上田晋也さんの『経験』の中に、こんなことが書かれていた。

30年近く前から常々思っていることがある。この世の中、圧倒的にボケの人間が多い――と。

(中略)
巷で行われている人々のやり取りを聞いていても、決してボケと突っ込みにはなっていない。ほぼボケとボケである。この場合のボケは、必ずしもあからさまな、いわゆるふざけているボケだけではない。笑いを取ろうとしたボケはもちろん、言った本人がボケたつもりのない、ちょっとした言葉の間違いや、主語、述語、接続詞の間違い、テンションやトーンにいささか違和感がある、話の流れ、展開が不可解である、常識的な考えから多少ズレている、などなど面白いかどうかではなく、要するに間違えている、ズレているというものをボケ、それを訂正するのを突っ込み、と考えていただきたい。

(中略)
意気揚々と突っ込んでいる人も見かけないわけではないが、突っ込んでいるつもりでも、その突っ込みがズレている人がほとんどであるし、ズレているということは、結果的にボケている、ということに他ならない。そもそも、そのズレに疑いすら持っていない人が大半である。

くりぃむしちゅー上田晋也『経験』ポプラ社より

これには妙に納得した。
僕もこれまでの人生で、「ズレてる人が多くて、訂正できる人が少ないな」とか、「あの人は一見ツッコんでいるようだけど、突き詰めて考えれば、その発言はボケでは?」とか思うことが何度かあった。

ツッコミそのものへの解釈はこのあたりにして、岸田奈美さんのツッコミ力について語ることとする。

彼女のツッコミは、タイミングとワードセンス、そして強度が抜群なので、凄まじい威力を誇る、まさに匠の技となっている。

これについても、いくつか作中の例を紹介したい。

かつて、父は言った。 
「好きなもん我慢して長生きするんやったら、好きなもん食べまくって死んだ方がマシや!」と。そしてチキン南蛮やUFOを浴びるほど食べていた。
それで健康だったなら、いい民話の1つにでもなりそうだが、父は39歳で心筋梗塞を起こして死んだ。とんでもねえ。例が極端すぎる。子が受け継いではいけない民話だ。どっちかっていうと教訓だ。

「他人のためにやることはぜんぶ押しつけ」より

父のセリフをボケと見立て(ボケというには不謹慎すぎるが)、冷静なツッコミ。

ボケの強度が高すぎるので、ツッコミの温度感は、これぐらいがちょうどいいのだろう。ツッコミが強過ぎれば引いてしまうし、淡々と書かれればどうしても「可哀想」が勝ってしまう。

この事例は極端だが、こうして当事者が皮肉チックにツッコんでくれたおかげで、読者としても「笑っていいんだ、笑わせてもらいます」となれる。

もう一つ、紹介したい。

4月14日水曜 15時21分ごろ、大阪府太子町で、母が走る。それまでに、体力と筋力を戻して、リハビリをがんばるとのこと。それもそれで楽しみらしい。
主治医は「いけるいける!」と言ってくれてるものの、トーチを持ちながら、車いすを1人でこぐのはかなり厳しいので、例外中の例外で、弟が車いすを押すことを認めてもらった。
……姉は!?!?!?!?!?!?!
姉の仕事がなくなってしまった。岸田家においては不動のセンターで踊り狂っていた自負があったので、これには誠にびっくりである。

「退院ドナドナ」より

オリンピックにノリツッコミの競技があったら、このくだりで金メダルを狙えたであろう。
それぐらい、美しい流れだ。

母親の聖火リレーの本番の様子は涙無しでは見られなかったし、そのあとのインタビューもとても感動的だった。
それでも僕は、岸田奈美さんの、順調に物事が決まっていくのを側から見ていて気がついたら自分が戦力外だった、というノリツッコミのくだりを思い出して、また笑うのである。

他にも触れたかったツッコミがちょうど煩悩の数ほどあるのだが、キリがないので省略する。

ちなみに、タイミングとワードセンス、そして強度が抜群のツッコミ力を有しているということは、ウケるコツを知っているということなので、ボケとしても超一流であることも疑いようがない。

おわりに

『もうあかんわ日記』の感想文として、岸田奈美さんの喩え力とツッコミ力についてここまで書いてきた。

まだ『もうあかんわ日記』を読まれていない方は、彼女の喩え力とツッコミ力の凄まじさを本書で体感してほしい。

それにしても、岸田奈美さんは、どんな逆境に立たされても、人を笑わせる勇気と愛情を失わない、驚くべき人だ。

誰もが彼女のように、喩えたりツッコんだりしながら、もうあかん日常を喜劇に変えられるなら、世界はもっと優しく、そして人の世はもっと面白いものになるだろう。


おわり


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