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じりつして生きたい(2024/05/14 23:19:09)

じりつという言葉は二種類ある。
自分で立って生きるという意味の「自立」と自分を律するという意味の「自律」だ。
僕は両方大切にして生きたいと思っている。

しかしだ,自立して生きるには,まだ僕には年齢が満たない。
僕は自立して生きていくために必要なものは以下の三つだと思っている。

生活をする上で必要なものを自分で買えるお金。

ある程度の事を自分で行う能力。

困った時に助けを求められる人間関係。

これら全ては自分で見つけて貯めていかなければならない。
生活をするお金は自分で稼ぎ,自分で行動し,自分から頼りに行く。
そう,まずは大人にならなければならないのだ。

自分のものは自分で買える,一人暮らし,実家ぐらし関わらずに生活費を払えるお金を稼ぐという行為は,大人になって働かなければ無理である。

だから僕は,今すぐにでもできる自律した生き方から学んでいこうと思った。

自律して生きるとはなんだろうか。
僕が思うに,自分で考え判断し,それに責任を持つことであると思う。
何かに対して盲信的になるのではなく,自分の考えを持った上で他の意見を受け止める。これが自律であると思っている。

しかし,だ。人間というのは矛盾を持って生きる生き物である。
自分の考え,意見,感情,行動に矛盾を持っていることこそ,人間らしさだと思う。
矛盾があれば意見は持ちずらいだろう。Aと思う,けれどもBとも思うとなってしまえば,どれが己の意見なのか分からなくなる。

けれど,それでいいのだ。

大切なことは思考することを辞めないこと。つまりは思考停止しないことである。
思考停止をしてしまえば,流されるがままになってしまい,自分の意思で生きれない,つまりは自律していない状態であると思う。
だから僕はこれから先,考えることを辞めずに生きていこうと思ってるいる。

これらが僕にとってのじりつ(自立と自律)だ。
けれどそのじりつの基準だって人それぞれ。僕は僕の中のじりつの基準を満たすためにこれからを生きていくが,これができていない人間がほかにいたとして,僕は何も思わない。何故ならばその人の中のじりつの基準を,その人自身は満たしているかもしれないからだ。
(そもそもじりつをしようと思ってなかったらそれはそれでまぁいいが)
そうやって自分の中の基準を人に押し付けない,けれど僕の基準が誰かの役に立つなら話す,それくらいがきっとちょうどいいのだろう。(と勝手に思っている)

最後にここまで読んでくれたあなたへ。
あなたがあなたの思うがままに生きれることを願って。


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