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ホウカイ 第一話 【創作大賞2024 漫画原作部門】


あらすじ

夢は、希望か絶望か─

進路希望通りの職業に就けなかった者は、AIが決めた職業に就かなければならないという、適正職業就職法により、国民のほとんどが就職出来る国になった日本。

しかし、夢を叶えられないかもしれない恐怖心から、若者が高い目標を持たなくなっていた。

政府に反発して監視される兄、望まぬ道へ進まされた親友の彼女、サッカーを諦めた友達、LGBTQ+への偏見と戦うカップル、政府から手術の成功と失敗を強制される医者、親の後ろ盾で政界を好き勝手操る虐めの常習犯。

法に翻弄される大切な人たちを救うため、金森奏羽は総理大臣になる決意をした。

奏羽と元クラスメイトたちが協力と対立を経て、今、法改正を目指す。

金森かなもり奏羽かなうは進路希望を五秒で書き終わり、担任の鈴木先生に渡した。

「本気か?」

先生は目を丸くして奏羽を見る。

「進路希望に嘘は書きません」

クールにそう言い自席に戻った。

内心、全くクールではいられない。人生最大の選択に、相応しい進路ではない事を分かっている。
それでも、自分がやらねばならないと奮い立たせる。大きな敵を倒すには、自分も大きくならなければいけないのだ。

春の教室は少し肌寒く、古びた窓からすきま風が吹いている。

空を飛ぶ鳥が目に入った。

「とんび?」

鳥の種類はよく分からない。
鷹ととんびの違いなんて、見分けられる日が来るとすら思えない。

「正しくは、トビだぜ」

隣の席で、あぐらをかきかながら座っている近田が言った。

「鳥博士か?」

尊敬の意味も込めて訪ねる。

「博士になる気はねぇよ」

大きな文字で“サッカー選手”と書いた紙をヒラヒラと手に持ち、近田は教壇へと歩いて行った。


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止められない少子化問題、高齢化社会、労働者不足による経済不安で、日本は窮地に立たされていた。

そんな時、総理大臣になった世義よぎ達成たつなりはその正義感から新たな法律を作ったのだ。

その名も、“適正職業就職法”

就職先が分からず就職先が決まらない若者への支援や、海外からの移民による無秩序な違法労働を制限するのを目的に、その人の性格や育った環境と両親の職業、年収などを見て適正な職業をAIが決めるという法律だ。

法案成立後こそ反発やデモが起こったが、実際に適正な職業に付いているという意見が多く、離職率も低くなった為、施行後は一気に市民権を得て行った。

自分に向いていると判断された職業に就いたおかげでニートが減り、適正な人物が適正な会社に就職する事で、人材不足が解消されたというデータもある。

一方、選択権の自由を奪われたと反発する声もあり、未だに不安定な法律ではある。


八歳年上の奏羽の兄、誠也せいやもその一人だった。
法律に反発し政府に反発した後、AIに危険人物と見なされて、現在は大分県にある政府が管理する製紙工場で働いている。

三年に一度の再検査を受けて、適正な職業に変化があった場合、転職が認められるのだがそれもまた、決めるのはAIだ。

誠也は未だに、転職は認められていない。


適正職業判断を受けなくて良い方法がある。
それは進路希望通りの進路に進む事。
つまり、夢を叶えるか、AIに決められるかの二択なのだ。


国民は全員、高校三年生、もしくはその年齢になると進路希望を提出する。
その進路希望はデータとして住民票に取り込まれ、進路達成の年齢になると、それまでにその職業に就けていない者は通知が届き就職が決まる。

進路達成の年齢は、その職業によって様々だ。

企業に就職するサラリーマンや教師、スポーツ選手、芸能人、その他高校卒業もしくは大学卒業と共に就職出来る職種については二十三歳まで。

大学院に進む場合は二十七歳。

弁護士や医師、税理士などの難関資格が必要となる職業は三十歳。

企業の社長や議員など、ある程度の社会経験が必要となる職業は三十五歳。

官僚は四十五歳、そして、総理大臣は五十五歳まで。

転職の際は審査に通れば好きな企業に就職可能。

この年齢制限の為、多くの者が大学への進学を希望する様になり、その結果、進学率と共に就職率も上がっていった。



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「奏羽はなんて書いたんだよ?」

サッカーボールを蹴りながら、近田が訪ねた。

「総理大臣」

少しの間もなく答える。

「マジか!」

近田と、その隣にいた廿日はつかが声を揃えた。

「奏羽ってバカなのか天才なのか分かんねぇ」

そう近田が言うと、「紙一重と言うより、天才よりのバカなのかも」と廿日が言った。

「つまりバカって事?」

「そんなにバカバカ言うな」

「そんなには言ってねぇよ。大袈裟に騒ぐと蛇が出るぞ」

「聞いた事ないことわざで脅すな」

「ことわざって言えばさ…」

「いや、ことわざで話広げるな」

「奏羽って真面目で大袈裟でバカで天才だよな」

「肩書きすごいね」

「もっとすごくなるんだよ、なぁ?奏羽総理大臣」

ふんっと鼻を鳴らし、奏羽は近田からサッカーボールを奪う。

「おっ」

嬉しそうにそれを取り返して、その場でリフティングを始めた。

「近田はサッカーバカだよな」

「なるほど」

まんざらでもなさそうに近田は笑う。

「だから俺はサッカー天才なのか」

「聞いてたか?サッカーバカって言ったんだけど」

「つまり、天才って事じゃん」

どこまでもポジティブな近田は、見ていて清々しくなる。
自分自身を肯定して自信たっぷりでいられる若者が、この国に何人いるのだろう。

「で、誰よりも天才の廿日は何になるんだ?」

「僕は…」

廿日は頬を膨らませて考える素振りをした。これは廿日の癖だ。
何か考えている時や、嬉しい時にもこの顔をする。

「エンジニアって書いたよ」

「ピッタリだな!」

今度は奏羽と近田の声が揃う。

ゲームが上手く、パソコンに詳しい廿日にピッタリの職業だと思った。

「それにしても…」

廿日は立ち止まり、二人を見た。

「奏羽も近田も、イバラの道を行くね」

二人はその意味を十分に理解しているし、確かに目指す場所として高過ぎで、無謀だ。

しかしこんな言葉がある。

《人生から努力を奪ったら楽しみなどない》

奏羽はこの言葉が好きだった。どこで聞いたかも、誰が言っていたかも覚えていないが、子供の頃から心の中で何度も唱えた言葉だ。

「イバラの道でも整えちゃえば歩道になるだろ?」

決まったと思ったが、「何それ?」と近田に聞かれ、廿日に関してはそっぽを向き頬を膨らませていた。


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進路希望を提出してから一ヶ月後、放課後に図書室で勉強をしていたら、友成ともなり圭太が話し掛けてきた。

「次期総理、コーラでも飲まない?」

奏羽はノートを閉じて、圭太を見る。
屈託のない笑顔で立つ圭太は、明るくて絵が上手く、クラスの人気者だ。

二人は幼なじみで、産まれる前から同じ団地に住む母親同士が仲良く、産まれた病院も同じだった。

「奢るからちょっと来いよ」

そう言い、二人は図書室を出た。
英語教師専用の教員室の隣を通った時、中から広尾優芽の声が聞こえてきた。

すかさずそちらへ目を向ける。
優芽は、奏羽の想い人だ。
入学前の制服合わせの時に見て、一目惚れをした。
一年と二年の時は別のクラスで校舎も離れていたが、三年になり念願かなって同じクラスになったのだ。

二年間で育てた恋を、最終学年で実らせたいが、まだ、挨拶を交わすことすら出来ていない。

優芽の声を耳の奥にしまい込み、グラウンドへと進む。

「進路希望って書き直せるの知ってる?」

「あぁ。年齢制限までに二回まで変えられるんだろ。でも、わざわざ変える奴なんているのかな?」

「あんまりいないって聞くよ。みんな中学入学くらいから職業考え出すからね。でもさ、成長するにつれて得意な事とか出来る事とか増えたり減ったり変わったりするし。特にスポーツ系の人達は怪我の問題もあるだろうから、変えるつもりないけど第二希望とかは考えてたりするのかも」

「圭太も考えてるのか?第二希望」

「俺は…」

圭太は立ち止まり、歯を見せて笑った。

「第一も第二も第三も、同じようなもんだから」

「そうか」

何かは聞かなかった。
なんとなく想像出来たからだ。
おそらく、漫画家か、画家か、美術教師だろう。
圭太にとって、絵を描くという事は、どんなジャンルでも楽しい事で、収入も地位もさほど大切な事ではない。

だから、漫画家になって本を出そうが、画家で成功しようが、教師として固定給を貰う生活だろうが、絵を描けるならそれで良いのだ。

「次期総理大臣の奏羽からしたら、俺の夢なんて叶いやすいよ」

奏羽より五センチ以上小さい圭太が、肩をポンポンと叩いた。

「夢に叶いやすいも叶いにくいもねぇよ。なりたいなら、なるしかねぇじゃん」

「そうだね」

飲み物を買いグラウンドに出た二人は、木の影を見つけて並んで座った。

圭太は空を見上げ、「奏羽って、好きな人いる?」と訪ねる。

長年友達で、裸の付き合いに等しい関係だが、互いの恋愛を深く語り合う事はしてこなかった。

それは一般的な家族のように、近くて、だからこそ照れくさくて好きな人の事は言えない、と言うそれだ。

《圭太はいるのか?》と聞きたかったが、質問に質問で返すのは、なんだか卑怯な気がして「いるよ」と短く答える。

「広尾さん?」

当てずっぽうにしては、勘が鋭い。もしくは、自分の態度があからさまな時でもあったのだろうかと考えてみるが、心当たりは見つからない。

「なんで、そう思うの?」

その答え方はもう“イエス”なのだが、圭太がなぜそう思ったのか、純粋に気になった。

「なんとなく。見てたら、好きなのかなって」

「俺ってそんなに分かりやすい?」

「はっきり言って、奏羽は分かりやすい。昔から、奏羽の考えてる事は良く分かる」

「そう言えば、かくれんぼでも缶けりでもいつも見つかってたな」

子供の頃、二人で空が暗くなるまで遊んだ事を思い出す。

「俺、日野りのと付き合ってるんだ」

突然の告白に、奏羽は固まりじっと圭太を見つめた。

「三年になってから、付き合いだした」

その言葉は熱を帯びていて、聞いているこちらまで熱くなる。

「あの、日野りの?」

「そうだよ」

「マジか。圭太、やるじゃん」

日野りのは、学校のマドンナみたいな存在だ。
美しく、明るくておまけにスタイルも良い。
こう言ってはなんだが、圭太と並ぶと付き人か、良くても姉弟にしか見えない。

「だからって言うわけではないけど、俺……俺たち、奏羽に総理大臣になってもらわないと困るんだよね」

圭太の声は真剣だった。
“俺たち”と言い直したのは、圭太とりのの事だろう。

「お前は黙って日野りのの絵でも描いとけ」

りのを好きなわけではないが、悔しくて堪らない。
彼女いない歴=年齢なのは、圭太も同じだったはずなのに。

「日野さんね、アナウンサーになりたいんだって」

「良いじゃん。ピッタリだよ」

「そうなんだけどさ、ほら、日野さんってあんまり勉強が出来なくて。進路希望にアナウンサーって書いたんだけど、実際は大学に行けるか分からない成績なんだよ。だから、もし叶わなかったら別の職業に付かなきゃいけなくなる。それが怖いって言ってるんだ」

「それは、そうだな。みんな、怖いよな」

「もちろん、本人も進路希望通りになるように努力はしてるけど、もし駄目だった時は……」

圭太はそこで言葉を止め、持っていたお茶を一気に飲んだ。

「奏羽に法律を変えて欲しい」

真っ直ぐ奏羽を見つめる目は、希望と絶望が入り交じっている。
この国の子供たちが夢を語る時、みんな同じ目をする。
未来への希望と同時に、夢を叶えられなかった自分への恐怖だ。

「別に、お前と日野りのの為に総理大臣になるわけじゃない。俺は自分の夢として総理大臣を目指すだけだ」

「分かってる。それでも、お願いさせてよ。奏羽が総理大臣になって、みんなが自由に夢を選べる世の中を作って欲しい」

大袈裟だな、と思う。
奏羽自身は世の中を作ろうとは考えていない。
人間は誰しも、この世界では偉大な力を持たない。だから助け合い、協力し合う事が大切なのだ。

「俺は、出来ない約束はしない」

奏羽は噛み締めるように言う。

「うん」

「だけど、これは約束してやる。お前が幸せになれる道が日野りのとの未来なら、俺がその未来に連れて行ってやる。圭太は俺にとって、家族と同じだ。それはつまり、アニキと同じくらい大事って事だ」

「ありがとう」

「ただし、俺が考える戦略に圭太の力が必要になった時は協力して欲しい。どんな形でも構わないから、ずっと、俺の味方でいて欲しい」

「もちろん。俺はいつでも奏羽の味方だし、一番の協力者だよ」

「その言葉を聞けて幸いだ」

「俺こそ、無理なお願いで奏羽にプレッシャーかけて申し訳ない。奏羽なら出来るって信じてるから、俺が必要になったらどんな無茶でも言ってくれ」

二人は目を合わせグータッチを交わす。
産まれた瞬間から共に生きてきたのだ。これからも一番近くで助け合いたいと互いが思っている。

グラウンドでは、サッカー部が練習をしていた。
一際背が高く、スタイルの良い近田が大声を出して後輩を指導している。

進路希望にサッカー選手と書いた近田と、総理大臣と書いた自分では、どちらの夢が叶いにくいだろう。

叶わなかった時、よりリスクを追うのは自分だ。

サッカー選手を諦めるのは二十二歳だが、総理大臣を諦める時、奏羽は五十五歳になっている。

その頃の日本は、五十五歳でも転職しやすい環境だろうか。



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夏休みに入る前の期末テストで奏羽は学年十五位になった。

今までの最高位が二百人中、四十位だから、まぁまぁの成績だが、東大を目指すにはまだ少し力が必要だ。

その日は蒸し暑く、ジメジメとした湿気が汗に絡みつき、気持ち悪かった。

土曜日の午後なので、校舎内に生徒はほとんどいない。

部活によっては既に三年生が引退しているから、三年生の教室がある東校舎はひっそりとしていて音もない。

勉強するには持ってこいだと思い、教室に足を踏み入れた瞬間だった。

揺れるカーテンの奥で二人の人影が見えた。

制服はどちらも女子生徒の物で、唇が重なっている。

目を凝らさずとも分かった。

同じクラスの鳥羽楓と海坂百合子だ。

楓は小柄で可愛らしく元気な性格で、百合子はスラッとした長身の美しい生徒だった。

あの噂は本当だったのかと、ぼんやり考える。

仲の良い二人は、時折、付き合っているのではないかと噂になる程だった。

「ちょっと待って、誰かいる?」

百合子が奏羽に気付き、咄嗟に手でカーテンを抑える。

奏羽はすぐに踵を返し、教室を出た。

声は出していないので、自分だとは気付かれていないだろう。

胸が熱く、鼓動が早くなっていく。
ドラマや映画以外で誰かの、しかも女子同士のキスシーンを見るのは初めてで、見てはいけない物を見てしまった興奮が湧き上がる。

逃げるようにその場から離れた。

汗をかきながら廊下を走り、図書室に向かう。ドアを開けると、図書委員すらいなかった。

一番奥の席に座り息を整え、さっき見た光景を思い出していた。
誰にも共有したくないと思える程の、美しいキスシーンだった。

卒業まで、二人の関係が周囲にバレない事を祈りながら、静かに参考書を開く。

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勉強を始めたと思ったのに、いつの間にか寝てしまい、夢を見た。
小学生の頃、夕方まで圭太と遊んだ日の夢。
団地に帰る途中で、奏羽は猫を見つけ、圭太を置いてその猫を追いかけた。

猫が入って行った道は初めて通る道で、近所にこんな場所があったのかと驚きと戸惑いが入り交じる。

見失わないように必死で追いかけた先に、女の子が立っていた。

「猫見なかった?」

奏羽が訪ねる。小さいポーチを持った女の子は、「多分、あっちに行ったかな」と答えた。

年齢は同じくらいだ。奏羽より少し大きくて、色の白い、可愛い子だった。

「一緒に探さない?」

自分でも驚く程、自然と口から出た。人見知りの奏羽は初対面の、しかも女子に自ら声を掛けるなんて初めての事だ。

「良いよ」

女の子は笑顔になる。大きい目が三日月形になり、内面の優しさが滲み出る。

二人は歩き出し、猫の後を追いかけた。

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「金森くん?」

聞き慣れた声に、咄嗟に体が反応する。
目を開けると、目の前にいたのは優芽だった。

「あっ…えっ…あっ……」

驚き過ぎて言葉にならない。

「起こしちゃってごめんね。図書室、もう閉めるって。大丈夫?」

「あ、うん」

内心ドキドキしながら、必死に平静を保つ。
初めて交わす言葉が、「うん」だけになるのは嫌だが、何を言えば良いのか分からない。

「金森くん、東大行くの?」

参考書の“東大”という文字を見つけたのだろう。
驚きながらも笑顔で訪ねる。

「あ、一応…目指してはいるけどどうなるかなってゆう」

「目指せるだけ凄いよ。頭良いんだね。もう少し早く同じクラスになれてたら金森くんに勉強教えてもらいたかったな」

優芽の、高くもなく低くもない透明な声が、奏羽の心を突き刺す。
二年半溜めてきた思いが一気に溢れそうだった。

「なんてね。受験だから私に構ってられないよね。合格出来るように応援してるね」

「…ありがとう」

「あ、猫だ」

そう言い優芽が指さした先には、白と黒の模様の猫がいた。
夢に出てきたあの猫と同じ色だ。

「学校に入って来ちゃうなんて、お勉強が好きなのかな?」

こんな時、圭太や近田なら気の利いた一言が出るだろう。
近田は男気のある優男だし、圭太はあの、日野りのを落とした男だ。
女子が喜ぶ返答を持ち合わせていない事が、ひどく悔やまれる。

「じゃあ鍵閉まっちゃうから、またね」

優芽は顔の下で手を広げ、バイバイの仕草をした。
後ろ姿を見送りながら、天使を擬人化したらきっと優芽になるのだろうと思った。



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夏休みは夏期講習の日々だった。
奏羽は天才肌ではない。努力のみが、結果を持ってきてくれると信じている。

夏も本格的になり、暑い日が続いていた。

ある日の夕方、帰り道で知った顔を見かけた。

同じクラスの牛ヶ野うしがのアタル。
割と偏差値の高いこの高校に、なぜ入る事が出来たのか不思議な程、成績が悪く、素行も悪い。

奏羽はもちろん、近田や圭太や廿日も苦手な相手だ。

面倒な事になる前に、その場から離れようと思ったが、牛ヶ野と一緒にいる人物に目がいった。

こちらも同じクラスの真野真司だ。

二人でいるのは珍しい。
父親が都議会議員で伯父は警察の幹部だという牛ヶ野は、後ろ楯を振りかざす偉そうな態度が嫌われていて、校内で親しい友人はいないはずだ。

ましてや、真面目で大人しい真野と一緒だなんて、どう考えてもおかしかった。

真野と話した事は少ない。特段仲の良いクラスメイトではないが、放っておく事は出来ない。

距離を取り、二人の後を付ける。

一方的に肩を組む牛ヶ野の表情が容易に想像出来る。
いつも人を馬鹿にしたような強気な目が、余計に本人の未熟さを演出しているのだ。

小道に入って行ったので、気付かれぬよう間をあけてゆっくり歩いた。

「持って来たかよ」

牛ヶ野の声だった。
身を潜めて耳を澄ます。

「もうこれ以上は…」

弱々しくそう言う真野は、今にも泣き出しそうだ。

「これ以上とかねぇんだよ。お前みたいな奴は人権ねぇんだから大人しく俺の言う事聞いとけよ」

牛ヶ野は笑いながら言い、真野を殴る。苦しい表情で真野はその場に倒れ込んだ。

地面に落ちた真野の鞄から、財布を取り出し中の札を抜いた。

真野の家よりも、遥かに裕福なはずの牛ヶ野が、なぜ金を奪うのか分からない。

金に困ってるとは思えないから、嫌がらせだろう。
助けたい気持ちと、牛ヶ野に関わりたくない気持ちが交差して、動けなかった。

しばらくすると、牛ヶ野だけが出てきたので姿を見られないように隠れる。

真野はまだそこにいて、しゃがみ込んで泣いていた。

「大丈夫か?」

絶対に大丈夫じゃないのに、こんな言葉しか出てこない。

「金森くんどうして…」

目を擦り、顔を背ける。

「牛ヶ野といたから変だなと思って着いて来たんだけど、助けられなくてごめん」

「そうだったんだ。大丈夫だよ。いつもの事だから」

「いつも、やられてんのか?」

「まぁ、ね」

「なんでだよ?あいつ、金ならあるだろ」

「そうなんだけど…」

「弱みでも握られてんのか?」

真野は小さく頷いた。

「僕のお父さんは牛ヶ野くんのお父さんの運転手だったんだ。今は解雇されてスーパーで働いてるんだけど…」

「それが弱みなのか?」

「運転手時代に事故を起こしたんだ。相手が怪我しちゃってさ。牛ヶ野議員も乗ってたから結構問題になって。本当は捕まるところを示談にしてくれたから、逆らえないんだよね」

言い終わった後、下を向き情けないと言う顔をした。

馬鹿みたいな話だ。
事故を起こしたのは確かに悪いが、だからと言って虐めて良い理由にはならない。

「先生に相談するか?不安なら一緒に行くし」

真野は驚いた顔をする。
その顔はすぐに落胆に変わり、静かに首を横に振った。

「あと半年の我慢だから。さすがに卒業してからわざわざ会いに来ないと思うし」

「それで、良いのか?」

「僕は良いんだ。金森くんに迷惑かけられない」

「迷惑なんかじゃないよ。俺も黙って見てて助けられなかったから、同罪だ」

「そう言ってくれるだけで嬉しいよ。僕、鈍臭いから昔から目付けられやすいんだ。だから、こんな風に優しくして貰えてありがたいよ」

どう育てば、こんな綺麗な心の持ち主になれるのだろう。
“育ちが良い”とは、真野のような人間の事を言うのではないだろうか。

「あんまり無理すんなよ。優しいのと、我慢するのは別物だ。嫌なら嫌って言えば良い。それでまたイジメられるなら、多勢に無勢だ」

「多勢に無勢?」

「だって、牛ヶ野に味方はいない」

「僕にだっていないけど…」

「俺が味方だ。圭太は俺の味方だから、真野の味方でもある。もう二人も真野の味方だ」

「ふふっ」

真野が笑う。唇は切れて痛そうだが、もう涙は出ていない。

「じゃあ僕も金森くんの味方になるよ。力にはなれないかもしれないけど」

目を合わせ笑い合う。
ゆっくりと立ち上がり、肩を組んだ。
牛ヶ野の時とは違い、真野も奏羽の肩を組んでいた。



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夏休みが終わり、二学期が風のように去って行った。
そして年が明けると、登校日は段々減ってくる。
受験や就職に向かう生徒たちには、緊張の他にも様々な思いが交わっていた。

卒業式前の最後の登校日、無事に受験の出願を終えて教室に戻ると、待っているはずの圭太たちがいなかった。

代わりにいたのは優芽で、奏羽を見て照れたように笑顔になった。

突然の事に驚いて、固まったように立ち尽くす。

「金森くんこれ」

優芽が差し出したのは小さなお守りで、“合格祈願”と書かれている。

「今日まで渡せなかったんだけど、良かったら貰ってくれない?」

「俺…に?」

「うん。私に出来る事って、合格祈願だけだから」

「ありがとう。でも、なんで?」

「金森くんって、総理大臣になるんでしょ?」

進路希望を堂々と掲げた訳ではないが、こんな進路を書く生徒は奏羽しかいないのだろう。
今や、学年を問わず全生徒が奏羽の夢を知っている。

「まぁ…なれたら良いなって思うよ」

好きな人の前で格好悪いところを見せたくなくて、クールな雰囲気を出した。

「私ね、学校の先生になりたいの」

「あぁ…良いね」

“学校の先生”の優芽はどういう姿だろうと想像してみる。
今よりも大人になり、生徒の前に立つ時、その美しさでクラスがお祭り騒ぎになるかもしれない。

「この法律なくして欲しいと思ってる」

優芽は真剣な表情で呟く。深呼吸するようにゆっくりと続けた。

「夢は誰でも持つ事が出来るし、何を目指したって良いと思うの。年齢や適正なんて関係ない。好きな事をやりたいって思う気持ちは誰にでも芽生えるでしょう?だから…どんな人でも夢を持って自分の人生を進んでいけるような未来にしたい」

公布から施行されるまでは、こういう意見もよく聞いたが、最近はみんな口を開く事を恐れるようになった。

適正検査で不利になるから。

人々にとって、夢は希望でなければならない。

今の日本は人間の暮らしを守る為に、大切な何かを犠牲にしている。

「変えるよ…きっと…俺が変える」

そう、短く言った。

「ありがとう」

優芽も短く返す。

「あの…」

もっと会話をしたいが、その後に言葉が続かない。
優芽はこちらを見ながら、次の言葉を待っている。

「お守り、ありがとう」

そう言うのが精一杯だった。
好きな人に思いを伝えられない人間の気持ちがよく分かる。

受け入れられないのが怖い。

夢も、同じだ。

叶えられない事が恐怖で、本当にやりたい事を胸の奥底にしまっている。

絶対に変えなければ。

誰もが自分の夢を自由に持てる国にしたい。

「一緒に頑張ろうね」

優芽が笑う。
大きな目が三日月になり、ふと、あの夢の中に出てきた少女を思い出した。

「あ、猫だよ」

窓の向こうは校庭で、二年生のクラスが選択体育でゴルフをしていた。

その更に奥に、一匹の猫が座りながらじっとこちらを見ている。

「ねぇ私たち、よく一緒に猫を見掛けるね」

首を横に少しだけ倒して、いたずらっぽく微笑む。

教室の中に太陽の光が射し込んで、冬の静けさが一瞬、暖かい空間に包まれた。

「それじゃあまた、卒業式でね」

次に優芽に会えるのは卒業式だ。
そしてその後は、しばらく会えない。

それなのに、奏羽は何も言えずに佇んでいた。


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