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ホウカイ 第二話 【創作大賞2024 漫画原作部門】
東大現役合格、と言う言葉はどれ程の迫力があるだろう。
とは言え、六千人中二千人合格すると考えたらそこまで高いハードルではないのかもしれない。
卒業式の日、廿日や近田と写真を撮っている隣で、号泣する日野りのを圭太が必死で慰めていた。
日野りのは大学へ進学する事が叶わず、美容専門学校への進学が決まったのだが、母子家庭で決して裕福ではない為、母親への申し訳なさと、自分の不出来を嘆いていた。
そして、このままだとAIに就職先を決められてしまうという絶望を抱いている。
実際、専門学校からアナウンサーへ就職するのは難しい道のりだ。
しかし、この世に絶対と言う事がないように、“絶対”になれない事はない。
日野りのが二十二歳までにアナウンサーになれれば、適正職業就職法の適応もされない。
「専門卒だってアナウンサーを目指せるよ」
圭太は何度もそう言い、日野りのを抱きしめた。
男子平均身長より少し小さい圭太と、女子平均身長より少し高い日野りのが抱き合う姿は、なんだか魅力的で、このカップルの幸せを願わずにはいられない。
「圭太、あとでな」
今は二人にしてあげる方が良いと思い、廿日と近田と共に学校を後にした。
結局、優芽とはほとんど話せなかった。
この恋は、日の目を見る事がなく終わっていく。
「それで良い」
実っても実らなくても、優芽と出会えた事が今後の奏羽の人生において大きな希望となるはずだ。
この人の為に、総理大臣を目指したいと、初めて思った相手だった。
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大学へ入学してしばらくすると、食堂である人物に会った。
「同じ大学だったんだ?」
思わず話し掛けたが、互いに話した事はほとんどない。
「金森じゃん。久しぶり」
高校三年生で同じクラスだった花房未知だ。
肩まであった髪の毛をばっさり切ってショートヘアになっていたので、始めは気付かなかったが、独特の濃いめの顔と、小さい身長、そしていつでも自信に満ち溢れているオーラは高校の時と変わりない。
「どこの学部なん?」
埼玉から高校入学と共に引っ越して来た花房は、語尾に‘なん’を付ける喋り方をする。
そんなに社交的なタイプではないが、この‘なん’のおかげで雰囲気が明るくなり話しかけやすくなっている。
しかし、本人はそんな事に全く興味がなさそうだった。
「俺は経済学部」
「将来社長になるん?」
「いや…」
総理大臣に…とは言い難い。
何を考えているか、イマイチよく分からない花房に自分の夢を語ったところで、話は広がらないだろう。
「花房はどこ?」
「理科三類」
「えっ?」
奏羽は目を丸くして花房を見た。
当の本人は何事もなかったかのように、ゆで卵を食べながら、窓の向こうを見ている。
なんの感情もない、冷たく静かな顔だった。
「花房ってすごいんだな」
理科三類は東大の中でも偏差値が高く、合格者が少ない一番難しいとされる学部だ。
医学部と言った方が早い。
「すごくないよ別に。受けたらたまたま受かっただけだから」
「たまたま受かる程、簡単じゃないだろ。まじで、すごいわ」
高校三年生の時、全国模試で一位を取った生徒がうちのクラスにいると聞いた事があった。
あの頃は単なる噂だと思っていたが、もしかしたら花房の事だったのかもしれない。
「うちらに必要なのって学歴じゃなくて、その後の進路じゃん。だからさ、入学してからの方が大変なん」
「それは…そうだよな」
俺たちはもう、好きな夢を見られる子供ではない。
何年後には、自分で選んだ道をAIによって変えられる可能性がある。
そのタイムリミットを考えたら、大学四年間での過ごし方は最も重要だと言える。
「まぁ、お互い進路希望通りになるよう…やるしかないよね」
決意にも失意にも聞こえる声だった。
「やるしかないか」
奏羽も、ため息混じりに呟く。
どちらにせよ、慣れない大学生活で知り合いがいるというのは心強い。
「また会ったら話そうぜ。話し掛けても無視しないでくれよな」
「無視なんてしない。またね」
花房はゆで卵だけを五つ食べて食堂から出て行った。
「天才って変わってんな」
あれだけで腹が満たされるとは思えなかったが、人の食事を気にしてる場合ではない。
午後一の講義まで三十分を切っていた。
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一年次、二年次は空きコマを作らずに取れるだけの単位を取った。
バイトはせずに家に帰れば独学で語学を習得する時間に費やした。
中国語やスペイン語も話せるようになりたいが、まずは英語の習得が最優先だ。
三年生に上がる前の冬休み、リビングで流行りのドラマを並んで見ていた両親に言った。
「留学したいんだけど」
突然のお願いにも関わらず、二人は動じずに「へぇ」と頷いた。
「どこに?」
「カナダか、アメリカか、オーストラリアあたり」
「それならカナダにしなさい」
母が間髪入れずにそう言った。
「なんで?」
「良い国よ」
「アメリカとオーストラリアは良い国じゃないの?」
「良い国よ」
「なんだそれ」
「どこにいたって、楽しい事も辛い事もある。良い国なんてないし、悪い国もない。良くするも悪くするも、人間よ。国のせいじゃない」
「ちょっと何言ってるか分からないけど…」
「お母さんはカナダを推すわ。奏羽とカナダって一文字違いだし」
それを聞いて、父もそうだそうだと大袈裟に首を振る。
「行きたいところ決まったら教えてね。オーストラリアなら遊びに行くし、カナダならお土産買って来て」
「カナダには来ないの?」
「寒いじゃない。夏なら、まぁ行っても良いけど」
適当な返事をしながら、温めた麦茶を飲んでいる。
母は一年中、冷たい飲み物を飲まない。
その影響で父も冷たい飲み物を嫌っている。
二人とも浴びるほど酒は飲むのに、酒は冷たくても良いらしい。
大人は勝手だなと、奏羽は思う。
「じゃあカナダにするよ。今、決めた」
「そうね。決断は早い方が良いわよ。迷えば迷うほど、進む道が分からなくなって間違えるんだから。人の意見を採用する前に、まずは自分の心に聞いてみる事ね」
母はテレビから目を離さず言った。
テレビに出ている俳優は、最近売れ出した若手だ。
噂によると、彼の夢は俳優ではなかったらしいが、本当のところは本人にしか分からない。
「ありがとう」
「夢が叶うまで応援するのが親でしょう」
「助かるよ」
夢が叶うまで…
その日まで、両親は元気に生きているだろうか。
こんな風に、母のそれらしい格言を聞いたり、それを聞いて隣で笑う父を見られる時間は、あとどのくらいあるだろう。
その間、自分の事で精一杯なはずで、今進んでいる道は親孝行か親不孝か、最後まで行かないと結果は分からない。
それでも、奏羽がどんな道に進んでも、この両親はいつでも笑顔で見届けてくれるはずだ。
兄の時もそうだった。
周りの陰口や近所の噂話などで、辛い事もあっただろうが、常に明るく息子の成長を信じてくれた。
だからこそ、誠也は安心して「この法律に反対だ」と声を上げられるのだ。
そのおかげで離れ離れになってしまったが、息子を誇りに思っていると、話しているのを聞いた事がある。
「休学届出して、来年の四月から行くよ」
「分かった。必要な物があれば言いなさい」
「そりゃ大きいキャリーバッグだろう?土産たくさん買わなきゃいけないんだから。頼むぞカナダの奏羽」
「来ないつもりなんだね」
「飛行機は…」
父は母を見て続ける。
「揺れるから恐い」
「お父さんが宇宙飛行士になれなかった理由はこれよ」
あはは、と大きく笑う。
「父さんって宇宙飛行士目指してたの?」
「目指してない」
「なんだったんだよ今の会話」
「でも、目指した職業には就いたわよね?」
父は、大手不動産会社に務めている。
疲れて帰って来る事も多いが、根本的には楽しいのだろう。
契約が取れた日などは、家族でお祝いをするのが決まりだ。
「だから奏羽もお父さんの血で目指した職業に就けるはず」
「血ってありがたいね」
「そうよ。なんかあったわよね?そういうアニメ。血の、なんか」
「なんかじゃ分からないよ」
「はっきり思い出さなくたって死にはしないわ」
「母さんが言ってきたのに」
「奏羽」
「なに?」
「元気でね」
「俺死ぬの?」
「死なないでよ」
「留学するだけだよ」
「だけ、じゃない。遠い国に行って一人で暮らすの。大変よ。向こうで何かあってもお母さんもお父さんも助けてあげられない。自分で自分を守る事と、一人で生活する能力を手に入れるの努力を忘れないで」
「分かったよ」
フワフワとした中に、真をついた発言がある。
母は昔から、現実と理想の間に生きているような人だ。
この母に、奏羽たち男三人の家族は救われている。
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