見出し画像

コロナに2回感染して号泣して後遺症も発症した話

タイトルが全てです。単純にどうなって、どうして、どう思って、今どうしているのかを備忘録として書いておきます。感染したのはどちらも海外にいる時です。

1回目の感染

2020年の暮れにメキシコで仕事をしていた頃です。仕事はコロナ最前線ではないですが医療従事者として働いていました。ただ仕事ではPPE着用、またコロナか疑わしい人を院内に入れる事はしておらず直接的な接触はありませんでした。

感染源として考えられる所としては、仕事、同棲していたパートナーかその家族(別居ですが)、または不特定多数のスーパー・レストランの店員など。いずれにしても疑わしい症状を持っている人との接触はありませんでした。

ある朝、体のだるさと胸の痛みが気になったものの出勤。当日本当にたまたまレントゲンを撮影できる機会があったので、念のために撮影しておきました。時間が経つにつれ頭痛と体の痛みが増ししんどくなってきて熱っぽさもあったので薬を飲みましたあが落ちつがず、夕方にPCR検査を実施。結果が出るのは2日後でした。

次の日からは在宅勤務+休養という形をとり家にいました。症状はほとんど変わらず、夜は体の痛みとだるさでなかなか寝付けませんでした。前日のレントゲンの結果には問題ない事が判明。

発症してから3日目、PCR検査の結果が出る前の朝。元々メキシコでは胃の調子がよくなく食中毒や食道炎にもなっていたのですが、胸の痛みが食道からきている気がして薬を服用。その後症状がみるみる軽くなっていきました。それを受けて「コロナじゃなくてお腹が関係していただけだったのかも」と割と本気で思っていましたが、その日の夜PCR検査の結果を受け取ると陽性。

泣きました、しかも号泣。その理由は後ほど書きます。

一緒に住んでいたパートナーがいたのですが、発症の少し前に彼の家族にも会う機会があった為そこにまず私が陽性だったことを連絡をしてもらいました。その時点でも、その後も全員何事もありませんでした。

職場で接触した人もPCR検査を行ったり様子をみたりしてもらいましたが誰も何もなし。

パートナーは私と生活を共にしていた為、ほぼ感染しているだろうということでPCR検査はせずに14日間隔離を行いました。熱など私の様な症状は出ていませんでしたが、味覚に少し異常があった様でした。

3日目以降はほぼ症状も回復しましたが、14日間自主隔離をし再度PCR検査を行い陰性が確認できた為職場に復帰しました。

1回目に感染した時の号泣には色んな感情が混ざっていたと思います。

私も誰かから感染した=元を辿れば私が発端ではないけど、発症しているのは私だけなので、自分のせいで周りの人に迷惑をかけたり嫌がられる事になる。でも私はその中の誰かで無症状だった人から移っただけかもしれないのに全部の責任を感じないといけない、という気持ち(当時はそれを自分で勝手に誇張して被害妄想していた)

今落ち着いて考えると普通の精神状態ではなかったのがわかります。あとは仕事のストレスとかもちろん症状のしんどさも重なっての事だと思います。検査結果が出るまでは完全に休養はできず在宅で仕事を余儀なくされていたのもあり。

完全に誰にも会わず過ごしていた訳ではなく、人と接触する機械を受け入れたのは自分なので、リスク管理ができていないと言われたらそれはごもっともであり自分に落ち度がない訳ではないのに、当時はこういう考え方が頭から離れませんでした。

陽性が分かった日の夜、パートナーに私がその気持ちを泣きながら話すと「それについては理解しているし、自分の家族もわかっている。もしかしたら最初に感染していたのは自分で、ただ無症状だっただけかもしれないし、今の状況では誰も誰かを責めることはできないし君が責められることは無い」と言われました。

その言葉を他人から言ってもらえた事で、救われたというか自分の精神状態を少し正常に戻すことができました。

当時感染拡大はしていたものの、知り合いの内ではコロナに感染した人がいない状況でついに自分の感染が判明した為、全ての人からウイルス扱いをされる、という様な気持ちが膨れ上がって他の感情も入り混じって爆発したのだと思います。

2回目の感染

メキシコでの感染から3ヶ月と少し経過したころ、私は同じ仕事でインドに渡航していました。あの日本のニュースで流れまくったインドでの第二派が起きる直前のことです。

メキシコにいた時とは変わって、インドではコロナウイルス感染疑いのある人の対応も直接(PPEなどは着用して)する機会があり、逆にプライベートでは人に全く会わない生活をしていました。

渡航後仕事を開始してから1週間ほど経過した頃、喉の痛みや鼻水の症状がみられましたが当時はコロナの疑いはなく、異国への渡航による環境の変化によるものだろうと診断を受けました。

しかしその後咳なども出る様になってきた為、在宅勤務に切り替えそこから急激に症状が悪化していきました。

咳、頭痛、関節痛、だるさ、胸の痛み、息苦しさ、食欲ゼロ。かなり熱っぽかったですが、この時期に測った限りでは高熱を出している時はありませんでした。

胸の痛みと息苦しさが強かった為、独断で肺のCTを取りにいく事にしましたが、当時第二派が始まっていたインドでは肺のCTスキャンをとるのにかなり待たされました。

総合病院の外、炎天下で1時間半ほど待ち、あまりに辛かったので花壇の縁に寝そべっていると警備員がベンチへ誘導してくれたので、そこで横になりましたが後半は寝ているのか気絶しているのかよくわからない状態で警備員に呼ばれ目が覚めました。病院の中では、廊下に並ぶ移動式ベッドの上で呼吸器をつけた人が何人もいるというまさにニュースで流れる映像を目にしました。

CTスキャンは結果が出るまでに数日要しましたが、先に薬をもらって(抗生物質とステロイドなど)服用を開始。翌日自宅でPCR検査を受け、これまた検査結果が出るまでに5日ほどかかりましたが、その間にCTの結果が出てこれはコロナ感染はほぼ確定だろうと言われました。当時はPCR以外でコロナと診断されることがあるなんて思っていませんでした。(その後PCRの結果はもちろん陽性)

結果から言うとそこから1週間ほどは、頭痛や息苦しさが続きかなり辛い状況が続きました。インドで死ぬかもしれないと本気で何度か思いました。入院していた訳ではなく自宅療養していたので「夜に息ができなくなったら救急車を呼ばないと、でも自分で話せなかったら何もできないよな」とネガティブなことしか考えられませんでした。

薬の服用を続け2週間後くらいにはかなり回復してきた為再PCR検査を受け陰性になったことがわかり仕事に復帰しました。

後遺症について

コロナウイルスの後遺症については、正直はっきりとしたことがわかっていないものが多いです。コロナに関連していなかったとしても後遺症だから仕方ないと判断されたり、逆に後遺症だったとしても、そうではないと判断されることもあります。

私が後遺症の様な症状(100%ではありません)として経験したのは以下です。

・ブレインフォグ(回復直後〜)

・発疹(回復後2週間〜)

・胸の痛み(時々)

・血栓の疑い(回復後3週間後〜)

どれも辛かったですがブレインフォグは、今まで経験したことのない感覚で精神的にとても追い詰められました。

「集中できない」「数秒前にしようとしたことが思い出せない」「相手が話した内容をすぐに頭に落とし込めない」「自分が言いたいことを頭で組み立てられない」「言葉が思いつかない」「気分の浮き沈みが激しい」など、自分で明らかに以前までとの違いを感じていた時に後からこのブレインフォグという症状について知り、気のせいだと思っていたものが後遺症によるものかもしれないと気づいた瞬間どこまでコロナで苦しんだらいいのか、という気持ちになりまた辛くなりました。

その他の症状は血液検査や薬の服用などを繰り返し現在では落ち着いています。

感染者が時とともに増えていく中で、コロナ後遺症の治療や後遺症に苦しむ方への理解というのは増えてきていると強く感じます。特に目に見えない症状で苦しんでいる人にとっては医者から蔑ろにされたり大したことないよ、と言われたり理解されない事が続くと、出口のない暗闇から抜け出せない様な気持ちになります。

感染したからこそわかる症状の辛さやその時の感情は、自身の感染予防に対しての意識ははもちろん、同じ様な状況で苦しむ人の気持ちを理解し役に立つ事にもつながればと思っています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?