前回マティス展のことを書きました。
マティスの晩年を支えた「リディア・デレクトルスカヤ」
という女性に興味が沸きました。
※トップ画像は《夢》1935年
リディア・デレクトルスカヤを描いた、マティスの作品のひとつです。
相当な「強い意思」の人だったのでは?と思いました。
紹介したいと思います。
以下、こちらからの引用です。
リディアとマティスの最初の接点
マティスが生涯を終えるまでの22年をともに過ごす
リディアの生い立ち
献身的なサポート
夫婦関係が破綻したのはリディアの存在があったから。
しかしマティスの晩年の作品は、間違いなくリディアの支えがあったから生み出されたのですね。
マティスの死後もマティスのために
故郷への思い、ロシア人としてのアイデンティティ
それでもなお「自分はロシア人である」という思いは、
私たちには想像しがたいものがありますね。
87歳の最期
マティスは生涯最期の22年をリディアと過ごし、
リディアはその後40年あまりもの年月を、
このような形で過ごしたんですね。
終始一貫して、自分のためでなくマティスのため。
それが、彼女が全人生をかけるべきものだったんですね。
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