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マティス展で「50代からの未来」に大きな希望を感じた話

先日こちらの展覧会へ行きました。

※記事を見て行こう!と思った方、20日までです(-_-;)

そこで、50代から「これから」に大きな希望を感じた話です。


若い時は大変だった


マティスは、1869年生まれ、1954年没です。
その時代にしては長寿な、85歳までの生涯でした。

マティスは中学のあと、パリの法科大学に学び、そのままいくと弁護士になるはずでした。
20歳の時に盲腸炎で入院し、隣の病床にいた人が風景画を描いていたことに触発され、絵を描き始めます。
代証人事務所に勤めるかたわら、画塾へ通います。
のちに事務所をやめ、絵を勉強するためパリに出ます。
パリに出てからは、装飾美術夜学校、ジュリアン画塾などに通いましたが、
いずれも長続きしませんでした。
美術学校の試験も受けましたが落第。
学校の庭にあった自由画室で勝手に勉強することになったのです。

世界の名画15.マティス 中央公論社

画家として活動し始めた30代では、経済的に困窮し、
妻と子どもを伴い、一家で実家へ戻っています。


私たちのよく知るマティスの絵

マティスといえば、「明るい色彩」ですよね。
これらが、見覚えがあるのではないでしょうか?

赤の大きな室内  

Artbar Tokyo - Paint and Wine Art Studio: Let Your Creativity and the Wine Flow!

イカロス(版画シリーズ〈ジャズ〉より)

https://www.asahi.com/event/photo/AS20230725003397.html

これらは、マティスが何歳のときに制作されたものか、ご存じですか?

答えは、
「赤の大きな室内」79歳(1948制作)、
「イカロス」78歳(1947年制作)です。


最晩年に終結した


これらの「切り絵」も見覚えがあるのではないでしょうか?

かたつむり マティス84歳(1953年制作)

Aterier Branca

王の悲しみ マティス83歳(1952年制作)

http://blog.meiga.shop-pro.jp/?page=1&month=202101

制作の背景にはこのようなことがありました。

マティスは、1941年十二指腸癌を患います。

絵がかけなくなってカットアウトへ移行した
1940年代初頭から中ごろにかけて、マティスの容態は悪くなって筆を持って絵の制作はできなくなっていた。そうした環境でベッド上で手軽にできる制作として始めたのがカットアウト作品である。

https://www.artpedia.asia/the-snail/

私たちのよく知る「切り絵」が生まれたのは、
絵の制作が体力的に厳しくなったからなんですね。

体の自由が利かないながらも、制作は続きます。

https://art-whitecanvas.com/matisse-life/
https://art-whitecanvas.com/matisse-life/

棒の先に絵筆をつけ、描いています。

こちらも、体力的に厳しくなったために、線画になったと思われます。

オレンジのあるヌード マティス84歳(1953年制作)

This is Media

最晩年に身体の自由が利かないなか制作された作品が、
もっとも「マティスらしい」作品として、
認知されることになるのですね。


人との出会いが人生を支える


いろいろな画家の生涯を見ると、
いかに人と出会うか
支援してくれる人が現れるかだと感じます。

どこの美術学校にも入れなかったマティスは、ギュスターヴ・モローと出会い、非正規ながら指導を受けるようになります。
そこで生涯の友人となるジョルジュ・ルオーやアルベール・マルケと出会います。
1906年 大コレクターのガートルード・スタインのサロンでピカソと出会います。

https://art-whitecanvas.com/matisse-life/

そして、晩年の制作を支えたのが、
リディア・デレクトルスカヤというロシア人女性でした。

《夢》1935年

アトリエでのアシスタントを務めたのちに、秘書・お気に入りのモデルとして、1954年の画家の死までその傍らにいたリディア・デレクトルスカヤを描いた作品のひとつ。
安息する彼女の上半身が画面全体に配置され、心理的かつ造形的な充足が表現されています。

https://matisse2023.exhibit.jp/highlight/

マティスの、1941年の大病以降の制作は、
介護人として、助手として、モデルとして、秘書としての、
彼女が存在していたからできた、とのことです。

言葉を変えると、私たちがよく知るマティスの作品は、
最晩年の不自由な体と、
それを支えるリディアから、生み出されたのです。

人生の奥深さを感じますね。
50代どころか、最後の最後まで
人生には可能性があるのですね。

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