棟方志功(むなかたしこう)という方をご存じですか?
先日こちらを見てきました。
そこで感じたことを書いてみたいと思います。
棟方志功とは
皆さんも、一度はこのような作品を目にしたことがあるのではないでしょうか?
棟方志功は青森出身です。
私は実家が青森で、高校卒業まで青森で過ごしました。
小さい頃に、新聞に棟方志功の作品がよく載っていました。
朝日新聞の、青森版のおそらく日曜版とかだったのかなと思います。
このような本人の写真もよく憶えています。
囲炉裏の煤で眼を病み、以来極度の近視となり、57歳には左目を失明したためのようです。
棟方志功の作品と制作の姿は、
私の原風景ともいえるほどに、目に焼き付いています。
そのため、棟方志功はずっと青森で活動していると思っていました。
青森には21歳までしかいなかったんですね。。(笑)
後半生に、青森をテーマにした作品が制作されたようです。
人とのかかわり
青森人コミュニティは、棟方に大きく影響したようです。
青森は棟方を形づくるひとつのキーワードですが、
版画家としての成功は、彼の「ひととなり」が大きかったのではないでしょうか。
戦時中に6年余り疎開していた富山県福光市で、
このようなエピソードがあります。
偶然の出会い
また、このような偶然の出会いもあったようです。
ちなみに、このことがあってから、展示サイズに柔軟に対応できる
「屏風」型の作品が多くなったようです。
さて、このときの二人との出会いから、縁は続きます。
画家になることを決心させたゴッホの絵は友人が教えてくれた。
苦境の時代に手伝ってくれる人が現れた。
大きく影響を受けた民芸運動も、偶然の出会いから始まった。
棟方志功の「ひととなり」が出会いを生み、
運を呼び込んだのかもしれませんね。
この笑顔です。
才能とか、恵まれているとかより、「どんな人か」。
運って、そういうものかもしれませんね。
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