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給与はあなたの価値を決めるものではない

50代は、人生折り返しです。
今までは家庭や仕事の「役割」がありました。
言葉を変えると「やらないといけない」ことをこなしていればよかった

子どもが巣立ち、家事の必要性は減り、
仕事も終わりが見え。。

このとき、自分の「存在価値」をどこに求めるのか?
考えてみたいと思います。


「評価」にこだわるシニア


今私は、ある仕事の求人募集と採用のお手伝いをしています。
職種がら応募してくるのは60代、70代の方ばかりです。

応募者の方と接して感じるのは、
「高齢になると給与が下がる」ことへの不満です。

前職でも、60歳を超えた人たちの
「同じ仕事をしているのに、給与が減るのは納得いかない!」
という声を、何度聞いたことでしょう。

今の職場がこの先給与が減るために、転職活動をしている。
しかしどこの会社も、
「高齢になると給与が下がる」という、
世の中のシステムに乗っかっています。

変わらない会社
納得いかないシニア

応募者には「生活のかかっている」人もいます。
しかし、年金もある程度もらえ、
おそらく「生活には困っていない」人も多くいます。

それでも、少しでも「高評価」を求め
強い主張を繰り返す人がいます。


こんな仕事の仕方も


一方でこんなおじさんもいます。
私の関わっていた(いったん終了しました)もう一つの仕事、
「損害保険の査定」で、隣に座っていたおじさんです。

おじさんは6枚の名刺を持っています。

現場監督として会社勤めをしている傍ら

マンション管理士として、
マンションの長期修繕計画を作成したり、
年に一度の定期点検をしたり。

住宅性能評価員として、
建物調査をしたり。

損害保険の査定をしたり。


人からの評価を求めない


おじさんの趣味はバイクと釣り、食べることなんだそうです。
休日は朝早くに目が覚めるので、キッチンの食器を片付けていると、
奥さんに「うるさいっ!!」と怒られるそう(笑)。

朝ご飯は「おろしそば」。
大根は辛みのある何とか(忘れた)大根を
「鬼おろし」で荒くおろすのだそうです。
もちろん、用意するのはおじさんです。

釣りも、釣った魚はすべて自分でさばいて家族に食べさせる。
バイクで朝早く市場へ行き、美味しい魚を仕入れ家族に振舞う。

査定の仕事では、20代の若者に「こうしてください」と言われて、
「勉強になるねぇ」とつぶやきます。

見えるのは、人からの評価を求めていないこと。
(やる気がないということではありません。)
おじさんは、楽しんでいるのです。


給与は「自分の価値」?


おじさんだって、お金が欲しいから6つも仕事してるんじゃない?
そう思うかもしれませんね。

確かに、お金は無いよりあった方が良いですよね。
また、給与は安いより高い方がモチベーションが上がります。

同じ仕事なのに給与が低い。
給与が働きに見合わない。
それもわかります。

でも、それだけでしょうか?

「どちらが条件を飲むか」を
まるで勝ち負けのように、会社へ主張するシニア。
「自分の価値を認めろ」と言っているように見えるのです。

給与は「評価」=「自分の価値」
こう思ってはいないでしょうか?

自分の「市場価値」
よく聞く言葉ですよね。
私たちは、知らず知らずのうちに、
言葉が刷り込まれていることがありますよね。

でも、シニアになってもこの価値観を持ち続けると辛いですよね。

年齢を追うごとに市場価値は下がり、
最後にはゼロ=働けなくなります。
その人の価値は無くなるのでしょうか?

「何もできない人間は、生きている価値がない」
ということにならないでしょうか?

競争社会の意識のままシニアに突入し、
敗北感に打ちひしがれる
。。

今こそ、価値観をアップデートしたいですね。


「給与」と「評価」と「生活の組み立て」を分ける


人から評価されることを望まない。
「給与」
は、自分の価値を決めるものではない
「給与」
は、生活を組み立てるツールとして考える。

自分を評価するのは自分
評価基準「満足感」
自分で決めるのです。

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