失ってその価値に気づくもの
失って初めて、その価値に気づくもの。
第一に「命」。
災害で身近な人を亡くしたり、自身が余命宣告を受けたりして、
「命の大切さ」について語る場面を見ます。
「いつか必ず訪れる」ものなのに、一番「現実味のない」もの。
それだけに、身に迫ったときの切実さは、計り知れません。
第二は「健康」ではないでしょうか。
あまりにありきたりな答えです。
「命の大切さ」くらい、聞き慣れた答えです。
失って初めて、その価値に気づく「健康」。
今日は改めて、考えてみたいと思います。
運動が出来ていいね
私の86歳の母は、青森で一人暮らしをしています。
母と兄と私のライン。
毎朝、母の安否確認を兼ねて「おはよう」を入れています。
ある朝のことでした。
兄:「昨日はビーチテニスをやったよ。」
母:「運動が出来ていいね。」
母は60代半ばで骨粗しょう症を発症しました。
背骨の圧迫骨折を繰り返し、
身長は10センチほども縮んでしまいました。
一時はそのまま寝たきりになってもおかしくありませんでした。
本当にわずかずつですが、一時期よりは改善し、
86歳の今まで、日常生活を送れる程度に「持ちこたえて」きました。
しかし、ここ1~2年で「首下がり症」という症状もあり、
日常生活にかなり支障をきたしています。
母は、昔からとても体に気を使っていました。
食べ物はもとより、毎朝ストレッチを欠かしませんでした。
骨粗しょう症になってからも、グランドゴルフや散歩などをしてきました。
しかし、ここ1~2年でそれらも難しくなってしまいました。
その母の言葉です。
「運動が出来ていいね。」
何かと忙しい
私たちの日常生活は、何かと忙しいです。
仕事、家事、子どものこと、老親のこと。
遊びにも行きたいし、人との付き合いもある。
買い物や美味しい食事といった、自分へのご褒美
本や動画やSNSを見る「ダラダラ時間」も必要
ヘアサロンやネイルサロンといった「身だしなみ」
新しい商品の情報があると「買おうか」と悩んだり
「今度の休みはどこに行こうか」と計画を立てたり
でもこれ、全部「健康」だからできることなんですよね。
情報はすでにある
余命宣告をされ、「命の大切さ」を実感する。
命に限りがあることを、私たちは知っているはずなのに。
健康に関して「大切さ」を実感するのは、
病気になったときでしょうか。
命に寿命があるように、「健康」にも寿命があることを、
私たちはもっと切実に受け止めるべきなのかもしれません。
また、人一倍健康に気を付けてきた母が、なぜ骨粗しょう症になったのか。
母は「骨粗しょう症」については、知りませんでした。
私たちは今や、どんな情報をも知ることが出来ます。
その情報を自分にどう生かすか、
私たちは決めることが出来ます。
「筋力」が左右する
骨粗しょう症による圧迫骨折や、転倒による骨折は、
「筋力」があれば防げることも多いです。
今母に訪れている「首下がり症」も、筋力の低下によるものです。
筋肉も歳とともに減りますから。
健康寿命と平均寿命のギャップ
このデータが示すもの。
「病気は直せるけれど、“老化”は直せない。」
母に付き添った病院で、医師に言われた言葉でもあります。
この年数は「“筋力”が左右する。」
そう言っても過言ではないのでは?
そして、母が示すように、
必要な筋力を備えるには、
「ウォーキングやストレッチ程度では足りない」と、
私は思っています。
「健康」を優先させよう
しかし、皆さんに朗報があります。
「筋力」は、努力で手に入れられます。
50代の今なら、充分に間に合います。
日常に追われ「忙しい」。
どんどん時間は過ぎていきますよね。
「一番優先すべき」ことがされず、失ってから後悔する。
情報はあり、私たちは十分に「備える」ことができるのに。
あなたは、あと何年ありますか?
今、何をすべきでしょうか。
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