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必要とされたいは捨てた。【自分らしさってなんだろう】


アルバイトで生活費を稼いでいた20代のとき。アルバイト先のみんなが集まる飲み会。私は当時新人だったので、その時が初めての参加だった。

で、まあ結論から言えば、楽しくなかった。

終始しょうもない話で盛り上がった。しょうもない話に文句があったわけではないのだが。


ある男の子が言った。
「月に休み2日しかなくて全部バイトしてた。」

(おお。すごいな。なにか欲しいものでもあったのかな。)と思いながら黙ってしばらく話を聞いてみる。


「いや、別に欲しいものはないんだけど。で、バイト掛け持ちしてて、もう頭おかしくなりそうでさ。」


(うん、そんなに働けばね。)と思いながら、うんうんと聞く。


「でも嫌だけどさ、なんかいいんだよな。俺必要とされてるっていうか。学校つまんないもん。」

彼は自慢げに話す。


横から女の子が話に入ってくる。


「あ、それわかります!学校行くよりバイトしてる方がいいですよね!!人手足りないとかで、呼ばれる方がなんか必要とされているんだって感じで。」

人手不足を埋めてくれる人=必要な存在。彼らの”必要”の概念に疑問を抱く。

確かに必要とされている事実には変わりはない。仕事もそれなりにできる人たちだし、なんの問題ない。でも私はどうも納得いかなかった。その2人の必要とされているは、何か履き違えているような気がした。


その後も、2人は波長が合ったのか意気揚々と話を続けた。私は新人ということもあり周りの様子を伺っていた感じで居場所がなく、とりあえず愛想よく相槌をして、その会話を静かに見守った。そして会はお開きになった。


飲み会が終わって、2、3週間たった後も心の中で自問自答を繰り返した。

”必要とされる”ということについて。

モヤモヤをすっきりさせる解答は、結局のところ今も出てきていない。

ただ唯一時間が経って整理できたことは、好きでもないこと、やらされているという気持ちが圧倒的に占めた状況で、人の求めに答えるというのは、私にとっては耐えられないことであるということだなって。

我慢して一生懸命頑張っている姿は、もちろん尊敬する。世渡り上手、強い人間なのかもしれない。でも私は尊敬とともに滑稽に思えてしまうんだ。


必要されるされない、人にどう思われたい。

そんなことずっと死ぬまで考えて生きるの?
出かけても、ネットしてても、人、人、人。


人は数え切れないほどいる。

毎回人と接する度にそんなこと考えてたら疲れちゃう。窮屈でなにもできなくなっちゃう。誰もそこまで見てないのに、自分で勝手にこう思われるかもって決めつけて。自分で自分を苦しめているだけと気づいてほしい。



どんなに毎日人と一緒にいたって、

どんなに地位を築いたって、

どんなにお金持ちだって、

結局はみんなひとりだ。


もっと自分のために、時間を使ってもいいんじゃないのか。


そんなこと考える自分って結構冷たい人間なんじゃと一瞬思ったが、これもまた、誰も自分のことなんか見てないから気にする必要もない(笑)


こんな人になりたい、こう思われたい。

じゃあ自分は自分にどう思われたい?

働くことはとても大事なことだけど、それ以上にもっと自分を大切にしてみる。


それだけで、人生もっと楽しいかな。

一人の時間、ばんざい。

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