随想

「今はもうその道には行きたくないわけ?」
履歴書に堂々と書いたものだから、文学や芸術関係の職で飯を食いたかったこと、文学に興味があって大学で勉強してきたことについて職場の偉いさん方は知っている。
顔を合わせれば、状況を聞かれてこの質問。
「趣味でやっていた方が、良いと思うのです」
いつからそう答えるようになったか。
燃え残りの夢を抱えて、毎朝起きて職場へ行き、仕事をする。
同期の仕事ぶりを見る機会があったときは、出来ることもなく、ただ見ているばかりであった。
ああ、彼女もきちんとやりたいことがここにあって、そのために頑張っているのだ。
いずれ、彼女が教えを受けた先輩と同じ道を辿って、役職持ちになるのだろう。新卒入社、教えを受けた先輩と同じ道を辿って役職持ちなど、素晴らしい響きではないか。
私には何もない。此処にやりたいことも、追いかける背中も、夢も希望も何もない。
あるのは客と話を合わせることのできる知識のみである。
自分にはそれ以外、何もない。

「正直誰か辞めていると思った」
研修の後、同じところに配属された同期が言った。
私が同期の中で一番最初に抜けるかもしれないのに。
だんだん仕事が嫌になってくる。
「学問に戻る」という考えもだんだん霞んでいく。
疲労だけが溜まっていく。何もできずに一日が終わる。
私は何がやりたいのか、それすらも分からなくなっていく。

神奈川に来た。
川端康成の展示を見る。
私の学生時代の、思い出の作家の一人である。
常設展示の模型を使った展示手法に惹かれ、メモを取る。
そうだ、やっぱり楽しいんだ。
私は今の仕事をするより、こうやって展示を見て、何かを考えている方が良い。文豪を追いかけて、作品や資料を読んで、調べている瞬間。
私が私で居れるのだと思った。
「大学生に戻りたいな、四回生をもう一度……」
ぽつりと呟いて、そっと目を拭った。

「学問に戻ることも選択肢にはありますが、就職も決まりましたし、今は……」
ゼミの先生との最後の面談で、大学院への進学が話に上がった。
それほどの熱意、愛があるならば……それは私も分かっていた。
「もったいない」
そんな声が聞こえてきた。
才能、運、機会に恵まれながら自ら手放そうとする人間を許せないと思うのは悪いことなのかとずっと考えていた。
私は今、自ら将来を、チャンスを手放そうとしている。
許せなかったことを犯そうとする私が居た。
そして手放した。疑問を持ちながら卒業して、4月1日の入社式を迎えた。

自分の好きなこと、やりたいことで飯を食っている人間はどのくらいいるのだろう。
やりたいことをやりたいから仕事を辞めた。
それで成功している人がどれほどいるのだろう。
この作者には才能があり、それを生かせるだけの能力があったではないか。
私には何がある。それすらも分からない。
今は収益化や自分を売り込める環境に恵まれている。
それすら生かさず、周りに嫉妬して喚き、自身の才のなさに嘆くなど甘ったれではないか。

役職を持てば役職の、夫を持てば妻の、子を持てば親としての立場が考え方の基礎に入る。
変化して別人になっていく友人達を見るのは怖い。
その中で変わらないままでいる自分が居るというのも怖い。

受験を終わらせる前、試験を受ける前に勉強したいことを見つけたのは幸福だった。
もう少し早かったなら、さらなる上を目指すこともできたかもしれない。
が、今の興味や知識を持って高校入学からやり直したとて、何か変わるわけではないだろう。
しかし、「若いのに珍しい」ともてはやされる期間が長くなったことは確かである。


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