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「自分の責任」ってどこまで背負えばいいのか?【日々これ #50】

あんざきです。

久しぶりに会社から歩いて帰宅してみました。
特に何もありませんでした。

さて今回は、責任の話をしようと思います。

責任ってなんだか重たいし、できれば避けたいような、でもそうも言ってられないやっかいなやつですよね。

この話は、自分の気持ちを健康に保つために、と、結果的に物事を前進させるために必要なことだと思います。

責任の線引きをする

社会に出ると、責任というものが多少なりとも誰にでもついて回ると思います。
とりわけ仕事になると、「責任の所在」という言葉が飛び交い、「誰のせいか?」みたいなものが、場を混乱させることも珍しくありません。

責任というものから逃れようとする気持ちがあったり、逆に背負いすぎて苦しくなってしまったり、

人は責任に悩まされるものです。

ただ、これについては、考え方次第で少しは楽にできるんじゃないかなぁと思います。

「課題の分離」という言葉があります。

アドラーさんという心理学者が言ってたことで、簡単にいうと「他人の課題を解決するんじゃなくて、自分の課題に向き合おう」という話です。

例えば、「部下が真面目に仕事をしていない」として、それに対して怒ってしまうと、課題を分離することができていないことになります。

「真面目にやれ」と怒ったところで、真面目に働き、成果が出るところを想像できますかね?多分なかなか難しい。むしろ反感をかい、よけい真面目にやらないかもしれません。

真面目に仕事をしないことで、給料が下がり、生活に困るのはその部下なので、「真面目に仕事をしない」というのは部下の課題です。

この部下の課題に踏み込んでしまうと、人間関係はこじれ、互いのストレスになってしまいます。

誰かが言ってましたが、人の悩みの9割は人間関係です。
で、この9割の中のかなりを占めているのが、「他人の課題」に取り組んでしまうことによって引き起こります。

他人の課題には向き合う必要はないわけです。

他人の課題について、自分には責任はないんですね。だからもう負わなくていいんだと思います。

***

とまぁここで終わってしまうと、「ダメなもんはダメ」で、それはそれでストレスが残るので、もう少し踏み込みます。

例えば、全部下が仕事を真面目にしない場合、もしかすると、「人が真面目に仕事できない設計」になっているのかもしれません。
その設計にしてしまっているとしたら、それは「自分の課題」となるでしょう。

人が集中できないような職場環境になってないか、無駄な業務を一方的にさせてしまってないか、やる気が出るような目標設定がなされているか、などなど。

きっとどこかに問題が潜んでいます。

それによって、部内の結果が悪ければ、自分が困るので、これについては「自分の課題」になります。

また、例えば、サボっているように見えた部下が実は単純に能力が低くて、自分に相談してきたら、「自分に持ちかけられた問題を解く」という、自分の課題に転じることもあるかもしれません。

その時は、全力で応えてあげれば良い。

向き合っている課題が、「他人の課題」なのか「自分の課題」なのかによって、自身の行動が大きく変わります。

ここまでの例で、

同じように部下がサボっていたとして、

「相手の課題」に向き合ってしまうと、相手を注意して、怒って、言い合いになってしまうんですが、

「自分の課題」に向き合った瞬間、職場や業務の設計に目が向きます。

どちらが精神的に健全か、どちらが快方に向かうか、明白だと思います。

これは大きな違いです。

そもそも「相手の課題」は、相手が解決すべき問題なのに、そこにお節介を入れるからこじれるんじゃないかとすら、思えてきます。

一度決まった政治家の施策に茶々入れしている場合じゃありません。
その施策下で、どう動けば自分が生きやすくなるかを考えた方が、前に進むし、気が楽です。

人のお節介をしている暇があったら、自分がいかに前進するかを考えた方が良いし、
みんながそう考えたら、結果的にみんな幸せです。

というわけで、責任の線引きは、「他人の課題」か、「自分の課題」か、です。

最後にもう少し

課題の分離の話でした。

ただこれ、簡単じゃないので、とにかくこれを意識する癖を身につけようとしています、ぼく。

常に考えるのは、何かモヤっとした時には「このまま行くと困るのは誰か?」と考えます。

その時、最終的に自分が困りそうなら手を打ちます。
もし、自分は困らないなら、お節介を焼きに行くのではなく、自分が巻き込まれて困る状況を想像して、そこに対して手を打ちます。

これはなにも、保身をしようとしているわけではなく、
しっかりと「自分がコントロールできる課題に向き合う」ということを優先しているわけです。

コントロールできない課題に無理やり手を出すからこじれるんですね。

誰もこじらせたがりな訳じゃないと思いますが、無意識にこじらせに行ってることがあると思うので、気をつけた方がいいですね。

アドラーが、「やるかどうかはその人の課題だけど、その人がやることを信じるかどうかは自分の課題」と言ってたのは、人間関係の真理にかなり近いんじゃないかなーと思って、肝に銘じたいところです。

自分にできることとは、

自分の課題に向き合うことと、

人の課題に手を出さないこと、ですね。

ではまた。

(この話が誰かの何かにつながりますように・・・) 
【今日の一枚】

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今日の一枚と言いつつ、ちょっと前にとった良い感じの景色です(ベトナム、ハノイ)。

【参考】

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