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「人々とのつながり」に拘る理由を考えてみようー ソーシャルイノベーションに生きる

ビジネスセクターと社会に溝があるわけではありません。お互いに包摂し合っていると考えるのが適切ですが、どうもそれらの2つの間に断絶を感じてしまうことも多いと思います。現実としては分離されておらず、しかも生活する本人は24時間のなかで両方を生きていると自覚しているにも関わらず、いざ頭のなかに思い浮かべる世界にはどこか仕切りがあるのですね。

今年は自宅で仕事をすることも多くなったかもしれません。もちろん、SDGsやESGといった社会性に目を向けたコンセプトは飛び交っています。だが、それらも、いわば「ビジネス脳から見た社会」との性格が強いと感じています。SDGsやESGを推進するにも、根底のところで目線のありかが何処にあるのかが鍵だと思います。したがって、この「頭のなかの仕切り」を撤去すべき時期がきたと、さまざまなところで認識されはじめているのも当然でしょう。先週末に書いた以下の「コ・デザイン(co-design)」に関する記事もこの変化を踏まえています。


それでは、どういう頭の切り替えをすればいいのか?です。この参考になるのが、ベルガンティが説明によく使う下記の2つの▽→△です。

2つの三角形

このnoteでも何回か紹介していますが、1) 左は(人間中心設計であってもこの図形の向きである限り)ビジネスとテクノロジーが目的になっており20世紀的な考え方であり、右は21世紀に目指すべき構図でテクノロジーとビジネスが人々のためにある  2)左は米国的なデザインの考え方であり、右は欧州のデザインの考え方 という2通りの説明をしています。

隔離した精神病棟の廃止を主導したバザイアに影響を受けたマンズィーニ

この21世紀的な、人々を目的として行動する考え方(ベルガンティは”People Centered”という表現を使うことがあります)、あるいは欧州のデザインの考え方を理解するに際し、エツィオ・マンズィーニ自身がソーシャル・イノベーターになる経緯を知るのがとても有益だと思います。後に世界中のアートやデザインの大学のネットワーク(DESIS Network) を作り、デザイン+ソーシャルイノベーションの拠点とするに至る彼の最初のとっかかりです。

1945年生まれの彼は、その世代の多くがそうであったように、1968年のパリにおきた5月革命に端を発した「政治・文化革命」の洗礼を受けます。良くも悪くも、欧州では古い慣習や考え方がこの機に壊され、オープンでカジュアルな振る舞いが受け入れられるようになった起点だったと言えるでしょう。新しいものの見方の萌芽があったわけです。

建築学部の学生だったマンズィーニは、その頃、まったくのマイノリティであった環境問題に関心を寄せるようになります(彼はいまだに環境問題はマイノリティだが、ずっとマシと話します)。当時、サステナビリティという言葉はなく、「環境にやさしい」との表現が主流でした(参考にグーグルで英語の書籍でのサステナビリティの掲載頻度をみれば、1990年代以降に急伸した言葉であることが明白です。それにしても、これが極々最近になって真剣度が増しているテーマなのを喜んでいいのやら、悲しむべきなのか・・・)。そして再生エネルギーなど環境政策の活動に足を踏み入れていきます。

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1970年代、マンズィーニは精神科医のフランコ・バザイアの活動に出逢います。バザイアは隔離された精神病棟のあり方(つまりは、精神障害とされる人々との付き合い方)を社会に問い、1978年、イタリアから精神病棟を撤廃する世界で初めての法律が公布されるに至るまで活動した人です。

マンズィーニは「100%健全な人がいないのと同じく、100%障害の人もいない。その間のまだらのなかに全ての人はいるのだから、人を区別するのではなく、それぞれが共に生きる道を探るべき、というのがバザイアの考え方だった。これにぼくは大きな影響を受けた」と語ります。

病棟から解放された人々も働くことができるホテルやレストランがつくられ、そこでその人たちは働くのですが、これはどのような人々にもケイパビリティ(潜在能力)があるという認識からスタートしているわけです。

誰もがもつケイパビリティを発揮しやすい条件をデザイン

以上の経験を経たマンズィーニは、後にノーベル経済学賞をとることになるインド人経済学者、アマルティア・センの理論に出逢います。ケイパビリティアプローチです。マンズィーニは「ぼくの理論基盤の半分は、バザイアとセンの考え方からきている」と話します。これによって、問題を直接的に解決するのと同時に、「問題をまえにしたとき、それぞれの人のケイパビリティが発揮しやすい条件をデザインする必要がある」と主張するマンズィーニが誕生したわけです。

ですから向かうべき方向は、どのような人も自身のケイパビリティを発揮できる土壌、またはシステムが用意されるように図っていくことです(例えば、デジタルプラットフォームで物理的な空間での出来事を話し合う場をもって、出入り自由のコミュニティに各自が自ら参加の度合いを決められる)。そこに人生と生活のすべてがある、と。もちろん、ビジネスもそこにあります。

誰もが歌を歌うことができ、上手い下手はあるが、練習すれば皆で合唱ができる。同じように、誰もがデザインの潜在能力があるのだから、それらのリソースを十分に使っていけば(言うまでもなく、滅私奉公のようなカタチではなく)、各自が幸せを感じる社会を作り得るというのです。

以下、ぼくがマンズィーニにインタビューした動画、パート4で最終回です。上で述べたことは、彼の言葉を一部、ぼくなりにアレンジして書いています。最後、『日々の政治』の日本の読者へのメッセージも残してもらいました。

写真©Ken Anzai







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