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19世紀、イタリアの文化構築は地域性を否定したがゆえに、トスカーナをモデルとした。

読書会ノート

今回からファビオ・ランベッリ『イタリア的 「南」の魅力』を読む。この1年、フランスの歴史家、フェルナン・ブローデルの本を読んできたので、今度はイタリアを現代視点でみる。今回は5-6回の読書会、つまりマックス3か月で読了するだろう。終わったら、現在カリフォルニアの大学で教えているランベッリさんにフィードバックを行う。本書が刊行されたのが2005年。それから17年で、日本におけるイタリア像にも変化があったが、なによりもイタリア自体にも大きな変化がある。その時差を逆に視点の遠近法として有効に使いたい。ぼく自身にとって10年以上ぶりの再読だ。

それでは早速、第一章「食にみるイタリア」に対して1000字のまとめと250字の「分かったこと」。

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現代イタリア料理は、ピッツァとスパゲッティのような「固いパスタ」に代表されている。ここでのパスタは強力粉を使っている。そしてピッツァもスパゲッティも、イタリアの文化的コンテクストから外れているがために、19世紀後半からのイタリア(共通)料理の「脱コンテクスト化」と結びついた。結果、味付けの標準化をもたらした。

まずピッツァの歴史だ。もともとオーブンで焼いたschiacciata (平べったいパン)が地中海で生まれた。インドのナンの源流にあたる。それが17世紀、ナポリでピッツァとして作られた。但し、今のものとは違い、生地は粗い全粒小麦粉で、具もニンニク、ラード、塩で味付けされた。高級なものにcaciocavallo(雪だるまの形のチーズ)とバジルがのった。

1850年以降に主食の味付けとして登場したトマトソース、オイル、モッツアレラ、オレガノがのったピッツァ・マルゲリータが誕生。色使いはイタリアの国旗にちなみ、女王の名前が冠されたように、近代国民国家を意識した。そのピッツァが19世紀末から20世紀初めにかけての移民により北米へ、また1950年以降の出稼ぎで北イタリアに伝播する。

2番目にパスタの歴史。パスタとは、強力粉または薄力粉の加工により得た生地を一定の小さな形に切り、沸騰する湯で茹でた食べ物である。位置としては、パンと粥の中間にある。パンと粥は、紀元前4千年-3千年における穀物の2つの調理法として記録がある。

パスタは2つの方法によって作られる。平たい薄い生地をもとにするのが一つ。もう一つはパスタの細糸をもとにする。前者からラザーニャなどのパスタ、後者からスパゲッティや子パスタが生まれた。この後者の代表としてヴェルミチェッリが中世後期以降、北フランスやドイツまで普及した。

現代の我々が知るパスタは、ヴェルミチェッリをつくる主要素材の硬質小麦粉が、それまで軟質のそれで作られていたラザーニャに適用されるようになったタイミング、即ち大量につくられ売られるようになった16-7世紀とみられる。

現代のイタリア料理のモデルは、1891年に出版されたアルトゥージ『台所における科学、あるいは美味しい食生活の芸術』にはじまる。近代国民国家としてのイタリアの料理を体系化した。

1) 地域性を否定するがゆえに中世自由都市のあったトスカーナを理想化 2) 裕福な階級のための料理本だったが、数十年にわたり民衆の料理体系となった 3) 料理用語の統一に貢献した 4)システムの中心軸としてミネストレを構築し、各地にあった料理を一つの範疇に入れた 5) トマトソースをパスタのソースとして広く認知させた。

<分かったこと>

近世イタリアの庶民の食生活が如何に貧しかったかとの記述を読み、ブローデルを読んでおいてよかったと思った。ブローデルによって、欧州の庶民が乏しい食生活を送っていたことが頭に叩き込まれているため、イタリアの食生活の歴史を相対化して眺めることができる。

日本で1980年以降におきたイタ飯ブーム、あるいは1990年代のミラノにおけるレストラン事情を思い起こしても、トスカーナ料理がリードしていた。サルディニアやシチリアの料理専門店が目につくようになったのは、今世紀に入ってからだ。スローフードのレストラン、地方料理の人気が顕在化してきたことで、ランベッリさんが危惧した全国統一のファーストフード化は回避されつつあると言ってよいのだろうか?但し、流通の発達やライフスタイルの変化で、特に都市圏における家庭料理のある程度の画一化は、逆にあるかもしれない。

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