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哲学が基盤とする「真理/虚偽」の区別を妖しくなし崩すところに、ゴルギアスの「言論」の秘密がある。

文化の読書会ノート

納富信留『ソフィストとは誰か』第2部第4章 ソフィスト術の父 ゴルギアス 5章 力としての言論

アリストテレス『ニコマコス倫理学』と本書を交互に読んでいる)

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ソフィスト自身の視点から、ソフィストの活動を明らかにするため、当事者の著作が残るゴルギアスとアルキダマスの作品を分析する。ここではゴルギアスの『ヘレネ頌(しょう)』を取り上げる。

ゴルギアスはBC485年頃に誕生して100年以上を生きた。ソクラテスより一回り年上で、長寿のため活動期間はプラトンやイソクラテスの盛期までに及ぶ。

彼はシチリアのカターニャとシラクーザの中間にあるレオンティノイで生まれた。哲学はBC6世紀初め、小アジアのミレトスで起こったが、同世紀の後半、新しい哲学の動きはシチリアに移動し、クセノフォンやピュタゴラスなどもシチリアで活動した。その最先端の潮流のなかでゴルギアスは自らの立場をつくっていたのである。

BC427年、60代になっていたゴルギアスはレオンティノイはシラクーザの圧迫に対抗するために、同盟関係にあったアテナイに救援を要請する使節団の首席となり、アテナイの民会で民衆を魅了する演説をした。これによりアテナイの援助をとりつけることができた。

しかし、結局、レオンティノイはシラクーザの占領をうけ、ゴルギアスは流浪の旅にでることになり、人生の後半は、「弁論術」を教授して報酬をうけとるソフィストとして生きることになったのである。当時、名を成した文人や政治家に教授し、大きな影響を誇った。歴史家のトゥキュディデスもその一人だ。

『ヘレネ頌(しょう)』執筆の時期は明確ではないが、アテナイで全盛期を迎えていた悲劇との関わりで書かれたと推測される。共通のテーマで時代によって作者が自分の創意でストーリーをつくり変える「ギリシャ神話」の作法に沿い、ゴルギアスの『ヘレネ頌』は、その数百年前にあったトロイア戦争を招いたとされる女性、ヘレネを題材としている。彼には、ソフィストとしての宣伝活動と言論の技量を最大限に演示するとの2つの目的があったと思われる。

ゴルギアスが展開する言論を貫くのは「力」という概念だ。ヘレネの行為を絶対的な力による他者への支配として、三つの段階(原因)で捉える。第一と第二の段階では、必然(人間に対する神)や暴力(女性に対する男性)に押さえつけられた他者があらがいながらも屈服させられ、無力化する。強者と弱者、強制力と受難者という関係になっている。

第三では、逆らう力なく従順に促される存在である。詩によって魂は魅惑されるのだ、と。これには読者の説得にも効果を発揮する、との隠れた作用もある。たとえ、論理的に納得しなくても、ゴルギアスの言論がもつ妖しい魅力に悦びを感じない人はいるのだろうか。

そして第四では愛をとりあげ、力が魂の内部に移され内からの強制に屈する、と説く。ここでも能動的な主体はなく、無力な存在である。かつ、この場合においても、語り手、すなわちゴルギアスは言論が導く結果に責任をもたない。

こうして、ゴルギアスは、自らが提示した逆説的な真理性を自身では信じておらず、人々を悦ばせる「遊び」として、ありそうもないことをあえて論証する言語を作り出しているようにもみえる。そして、それこそが「真理」であったといえる。哲学が基盤とする「真理/虚偽」の区別を妖しくなし崩すところにゴルギアスの「言論」の秘密がある。

プラトンは従来の弁論術の批判をするに、「ありそうな」という論理は「真理」の似姿、すなわち二次的なものと論じた。その後、哲学の世界の定番的な批判パターンになっている。しかし、「知識/思い込み」「ある/現れる」といった二分法を易々と踏み越えているのがゴルギアスなのである。

<わかったこと>

ゴルギアスが21世紀に生きていても、ちっともおかしくなさそうだ。曖昧性の正当性に自らを賭けている。いや、曖昧性をカテゴリーとしておく見方自体が、そもそもにおいて不自然なのかもしれない。

力でいえば、明晰性が強く、曖昧性が弱いとみられることが多いが、実は反対であり、曖昧性が強く、明晰性が弱いということだろう。

明確な区別に拘った長き西洋の考え方への「分岐点」としてプラトンをおいた場合、実はゴルギアスへの過小評価が不運であったようにみえる。ソフィストとは誰か?という探求の重要さを再認識するに十分な章だった。

冒頭の写真(©Ken Anzai)は現在のレオンティノイ(イタリア語でレンティー二と呼ばれる)の街の通り。



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