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何時間でも話そう

今年のゴールデンウィークは、割と充実していたように思う。特に、どこか遠くへ出かけた訳ではないし、会社員になった割にはあまりお金も使わなかった(楽しいライブには行った)。けれど、会いたい人と会って、それぞれまとまった時間を取って話すことが出来たから、個人的には満足しきっている。

私は昔から友人と一対一で話すのが好きだ。なぜなら、互いが「この人にならここまでは言える」という範囲で自由に話すことが出来るから。

私の場合、3人になった瞬間、「この人にはここまで言えるけど、この人にはここまでしか言えない」という、人による違いが生まれてしまう。A∪Bの範囲が話せたら楽なのだけれど、A∩Bの部分しか話せなくなるので、2人には私の考えを正確に伝えられなくなる。泣く泣く捨てられた言葉にこそ「私」が詰まっていると知りながら、言葉を意識から消していく。なので、3人以上で楽しむときは、くだらない方向に振り切って、意見を伝える方向に話を持っていかないように過ごす必要がある。

SNSというツールはそこから一番遠いので、私の場合は誰にでも言えることしか伝えられない。Twitterだと大体800人強のフォロワーがいるのだが(いつの間にこんなに増えてしまったのだろう)、同規模以上のアカウントで自分の内面をストレートにさらけ出しているアカウントは恐ろしい。たまに背伸びして自分の意見を伝えようとしてみるけれど、大抵思い通りに伝わらなくて失敗し後悔する。明らかにSNS向きではない。

一対一の対話だと、それが起こらないのが良い。この人にはこの伝え方が出来るのだと、目の前の人に100%向き合えるのが楽しい。自分の思考をひとつひとつ言葉にしていく過程で、剥がれ落ちていく部位が何一つ無いことは、自分が思っている以上に開放的だ。


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ゴールデンウィークのある日は、中学からの友人と丸1日好きなように過ごした。友人も私も印刷技術への強い興味があるので、TOPPANが運営している印刷博物館の恒例企画、グラフィックトライアルを見た。ここでコアな印刷の話をしたところで、そこまで興味のある人はあまりいないだろうから、内容については割愛するけれど、紙モノが好きな人は是非訪れてみて欲しい。



展示を見終えた後は、まだ日が出ているうちに地元に帰り、深夜まで友人の家の近くの公園で話し続けていた。友人と私は同じ中学校に通っていたが、私が校区の端っこも端っこ、学校まで徒歩25分程度の場所に住んでいる一方で、友人は中学校からほど近いところに住んでいる。生活圏としてはほとんど被っておらず、私が中学校の近くに向かうのはかなり久しぶりのことだった。

私たちの中学校は、市の中でも荒れている学校という認識で通っていて、私にとって居心地の良い場所ではなかった。この日一緒に過ごした友人を含め、数人の気兼ねなく話せる人がいたからこそどうにか乗り越えられたが、基本的に用が終わればすぐに家に帰るような生活を毎日続けた。同じ学校の人と遊ぶという発想は微塵も生まれなかったし、中3に至っては家から数歩歩くと吐き気や悪寒といった拒否反応が出て、結局学校に行けないという日も増えた。ここに通い続けるなら死のうかなとある程度本気で考えるくらいに、この学校が嫌いだった。

そうした中学時代が今なお影響を与えているのも事実だ。私はどちらかというとポーカーフェイス気味というか、相手に対して都合の良さそうな人間として振る舞うようになった。中学生以降怒りを外に表出させたことは一度も無いし、最後に泣いたのも何年前か覚えていないのだが、それはもう私が強い感情を失うことで生き延びてきたからだ。核となるような思想は脳内にあるが、不法侵入でもされない限りその思想は表出しない。数少ない友人には、私が核を見せないことも見抜かれているけれど、見抜かれていても私は核の周縁部までしか見せられない。程度の差はあるが、私は、すべての人を信用できていない。きっとこれからもできない。

そういう性格なので、私は言葉を扱う職種に就いているクセに、複数人の会話では割とありきたりなことしか言えない。突然「○○についてはどう思う?」と訊かれても、その質問に正確に答えるためには脳内で整理する時間が必要だし、3人以上の場なら上手く言えないし、という感じで普遍的なことしか伝えられない。基本的には、相手の意見を聞いて、そういう考え方もあるよなと思い、その意見を探る形で疑問ベースの会話を続けていく。その意見に同調できるかは聞いてみるまで分からないが、大概の意見には納得できる箇所が一つはあるから、批判はしない。そもそもの話、他人の意見を批判できるほど、私は価値のある人間ではない。

こうした危うさと、一生付き合っていくことになってしまったのは、間違いなく中学時代の3年間が原因だ。

今になって思えば、たかが100m×200mの長方形でしかない土地に建てられた校舎というあまりにも小さな社会で、当時の私は人生を完結しようとしていたのかと、少し馬鹿らしくなる。10年前はその小さな社会が全てだと思い込まされていたし、あの頃の私に助言が出来たとしてもきっと与えられるものはない。けれど、23歳の私はまだ揺蕩うように生活を続けているので、15歳の心の奥底から悲鳴を上げていた私はどうか安心してほしい。

話が大きくそれてしまったが、公園で何時間も話した友人とは、実のところ中学卒業後一度疎遠になっている。しかし、私が札幌から東京に帰ると決まった大学4年生のタイミングで、再び連絡を取るようになった。正直私は、LINEの連絡先は残っていたけれど、あの頃とはお互い大きく異なる人生を送っているだろうし、連絡を取ることはないと思っていた。なので、あちらから連絡が来た時は驚いたし嬉しかった。

私は過去に話していたけれど今は話していない人と、自分から関係を復活させることが無い。自分から話しかけるのは、相手の時間を無駄に取らせてしまう申し訳ない行為だとどうしても感じてしまう。その割に、一度話さなくなった人と再び話すようになることが年に一回くらいあり、恵まれた人生を送っているなと心から思う。今の私の周囲には私の人生の支えになっている人が何人もいる。それをちゃんと実感できる感性が私にあって本当に良かった。

結局、その友人とは、他愛ないけれど他の人には言わないような話を何時間もした。友人は、私と性格が比較的似ているような気がするけれど、私よりも人生の体験が濃いからか、自分から伝えられることはあまり無いなと思う。話す度に、私の方が沢山のことを貰っていて、対等に価値を交換できていないことが少し申し訳なくなる。

この日も沢山のことを貰った私は、最終のバスを逃して家まで歩いて帰った。帰るまでの道のりで、今日の夕日が綺麗だったことを思い出した。その時撮った写真は友人とだけ共有しようと思う。今でも同じ街に住んでいる友人は本当に貴重なので、これからも何回でもこういう時間の使い方が出来たら、こちらとしてはとても嬉しい。


中学校から見える給水塔


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自分の考えを外に出すことは苦手なくせに、四六時中脳内から溢れ続ける思考をどうにかして出さないと、パンクしそうになる瞬間が時々ある。

少しずつ溜まっている誰かとの感覚のズレ、たとえばある程度の人数が集まっている場所で露出された誰かの我儘な態度や、当人の能力で判断すべき事象で自己の好き嫌いを結びつけて判断する行為、言葉が精査されることなく一方的に断罪された瞬間などが、簡単には消えない粘度の高い液体となって、澱のように溜まっていく。

4月は、割とそのストレスが溜まる期間だった。決して大きくないキャパが限界を超える前に言葉にしないと、きっと私は壊れてしまう。危機を察して行動に移した瞬間が、こうして文字となって現れていたり、友人との対話として現れたりする。

それなのに、普通の人なら簡単に言えそうな単純な愚痴でさえ、いざ言葉にしようとすると上手く行かないのがもどかしい。最初は100%相手が悪いだろうと思っていた事案も、深く考えれば考えるほどに私にも非があるような気がする。結局、どうでもいい優しさが邪魔をして「相手にも良いところはあるんだけれど」みたいな弁護をしてしまい、何のストレス解消にもなっていない自分が嫌になる。

最近は、ストレス解消のために、自分と似た思考を持っていそうな人が紡いだ言葉を浴びるようにしている。それは伊坂幸太郎、中村文則、佐藤正午の小説だったり、amazarashi、BUMP OF CHICKEN、Galileo Galileiやピノキオピーなどが作った曲の歌詞だったりする。そして、5月5日、久しぶりに自分を助けてくれる新たな言葉と出会った。

昼に横浜駅で、高校からの友人と合流する。相変わらず友人は自分に正直で、バシバシと意見を言うけれど、嫌味な感じが全くないところが変わっていなくて好きだ。

人は誰しも変わっていくが、それは生活環境や社会における立ち位置の話で、中学以降で性格が変わることはそんなに無いなと思う。私は昔からカースト的なことに興味が湧かず、有利に人生を進めるためにこの人と仲良くなろうという発想がない。人生を有利に進めたいなら、強い努力をした方が圧倒的に楽だからだ。単純に性格から判断して友人を作ろうとするタイプなのが功を奏し、一度仲良くなった人と嫌な関係の切れ方をしたことがほとんど無いことは、本当に嬉しい。

友人についていき、横浜のKアリーナで開催された「ずっと真夜中でいいのに。」のライブに初めて行った。Kアリーナと言えば、圧倒的な動線の悪さで一躍話題となったアリーナだが、2万人規模のキャパとしては珍しくホール的な構造になっていて音響が非常に良かった。またここで誰か好きなアーティストがライブをすることがあれば、絶対行きたいなと強く思う。

ずとまよのライブは、セットといい、ステージ横の映像といい、空飛ぶバイクといい、センターステージ上で作られた炒飯といい(意味不明だと思うが、本当に作っていた)、あらゆる演出に度肝を抜かれる2時間強だった。が、やはり一番凄いと感じたのは曲と歌唱力・演奏力で、厚みのある楽器隊と響き合うハイトーンの声に酔いしれた。

前から、Youtube上でMVがオススメに流れてきたら曲を聴いていて、ライブに行く前から「Ham」と「サターン」はお気に入りのプレイリストに入れていた。バンド名が表すようにどの曲の歌詞も明るくはない。もっと真っ直ぐ言葉を伝えられたらこんなにもどかしくは無いのに、良いことも悪いことも自分とあなたで共有できたら良いのに。きっと叶うことはないであろう願望が歌詞に乗っていて、それが私は好きだった。




ライブはどの曲もしっかりアレンジが入っていて、リリース音源よりも歌詞と曲の噛み合い方が好みだった。アコースティックアレンジの「Ham」が流れ始めた時、ひっそりとグッときていた。

ライブ終わりの電車で、「正義」をお気に入りのプレイリストに加えた。「嘘じゃない」がリリースされたら、きっとそれもプレイリストに入る。自分のそばにいてくれる言葉が増えることほど、安心できることはないなと、家に帰ってから一人で静かに思う。誘ってくれた友人に心からの感謝を。



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ゴールデンウィーク中に、私の隣のデスクに座っていた大先輩のSさんが亡くなった。昨年夏頃から療養のため長期的に休暇を取っていたので、隣で仕事をした期間は僅か数ヶ月程度なのだけれど、それでも寂しさは募る。

考えてみれば、近しい人の死は久しぶりのことだった。祖父はどちらも私が小学生の頃に亡くなっていて、祖母はどちらもピンピンしているので、親族を病で亡くすようなことは暫くないと信じている。数少ない友人も、自分から見えている範囲では生活を続けようとしているので、ここまで死とまっすぐ向き合うことになったのは小学生以来だろう。

女性ばかりの部署で、男性のSさんが隣にいたことが私の気を楽にしていたことは確かだし、自分で本文組やカバーデザインもできる能力の高さも真似したいなと思っていた。いや、「真似したいな」ではなく、本文組や告知用画像の作成など、自分のできる範囲から真似し始めていた。

もし、隣にSさんがいなかったら、きっとここまで真剣に本としてのデザインを考えるような編集者にはなっていなかっただろう。寡黙に淡々と仕事をこなすSさんと、もっと話したかった。明日もSさんはいないけれど、隣のデスクに残された大量の資料を見ながら、私は目の前にある原稿と向き合う。しばらくは、その資料が目に入るたびに近づく悲しさと仕事をする。悲しさは、どちらかといえば暖かいものだと思っていて、私はSさんから貰った温もりを忘れないように今後生み出される本へと反映する。

6月末に刊行される担当作『難問の多い料理店』は、かなり丁寧に本文組を考えた自信作だ。もちろん物語そのものも素晴らしく、この文章を読んでくださった皆さんにも買って欲しいなと思う。



ゴールデンウィークは、世間一般が思う充実とは、少し違ったものになったかもしれない。けれど、自分にとってはこれが今の時点で欲していた充実にかなり近いものだった。

大学生の頃は一人で旅することが多かったけれど、働き出すようになってからは、一人の時間を大切にすると同時に、二人の時間をある程度確保するようになった。もちろん三人以上の時間も、大学の同期とかと過ごすのはとても楽しい。自分の中で、一人の時間、二人の時間、三人以上の時間のバランスを適切に取らないと不安定になるタイプなのは分かりきっているので、今は二人で対話する時間が多めに欲しいのだろう。

対話で得られた糧が、今の自分を動かしているのは間違いない。わざわざ私と長い時間を過ごしてくれる友人と出会えた自分って、いい人生送っているんだなと思える休暇だった。これからも何卒よろしくお願いいたします。

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