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一年の始まりはハヤカワepi文庫を読まないといけない病に罹っている

 宿痾である。

 書くのを忘れたけど、去年はラッタウット・ラープチャルーンサップの『観光』をよんだ。
 今年は『悪童日記』である。


悪童日記

 Le grand cahier
 アゴタ・クリストフ/堀 茂樹 訳 (ハヤカワepi文庫)

 この作品は、ハヤカワepi文庫のおすすめ本を調べているといつも名前が上がる名作だった。なのでいつか読もうと想いつつもどこか敬遠していた。戦争の話で、重たいものだと勝手に思いこんでいた。けれど、全然そんなことはなく読みやすく楽しかった。
 双子の少年たちがたくましく生きていく様を日記形式で書いている。戦争なんて物ともせずに頼もしい双子がそこにはいる。でもそうならざるを得なかったのは悲しいかな戦争のせいである。
 賢い双子は、自分たちで仕事をするしあらゆるものに耐える練習をするし、戦争による被害を目の当たりにしてもそれを受け止めていく。森で死体を見ても強かに銃や手榴弾を盗む。隣人の女の子がレイプされて死んで母親が火をつけてくれと頼まれても、表情ひとつ変えずにやってのける。冷徹で残酷な子どもたちにも見えるが、それが彼らの生き様なのだ。戦争がなかったら咎められてしまう行為を当たり前のようにやってのける。それが処世術となってしまわなければならない現実があった。信じられるものは自分たちのみ。自分の身は自分で守らなければならない。強く生きていく勇気をもらえる。殺らなければ殺られる場合にきちんと殺すことができる立派な大人になりたい。

ふたりの証拠

 La preuve
 アゴタ・クリストフ/堀 茂樹 訳 (ハヤカワepi文庫)

 続編!
 日記の体だった前作とは打って変わって小説の体裁。そしてうすうすというかわかってはいたけれど衝撃の終わり方をするのやめろよ。寝れなくなる。
 今回は前作の続きから始まる、と思われる。何を信じたらいいのかわからない。でも人間も人生もそうでしょう? 自分の人生は自分しか知らないんだから。他人に私の存在の何をわかろうものか。一人で寝転がってこの本を読んでいた自分は自分しか知らないのだ。自分の頭のなかにあるものを全て言語化するのは難しいのだ。今ここに書ききれなかった感情があってこの感想文が僕の全てではないし、他人にはこれしか僕を僕だと判断する手段はない。
 もちろんその展開の面白さが本書の面白い点ではあるのだが、それ以上に、とてもいい言葉がところどころに出てきて、こういう言葉に出会えるのは読書の楽しみだと気付かされる。
 それはとても慈愛に満ちた、あるいは救いの言葉、この世の真理であって本書の各地でそれらが述べられる。具体的にいくつか引用してみる。

「死者はどこにもいなくて、しかもいたるところにいるのさ」

p.134

(「きみは彼女を愛しているのかい?」という言葉に対して)「ぼくは、その言葉の意味を知りません。知っている人なんていやしないんです」

p.147

「すべての人間は一冊の本を書くために生まれたのであって、ほかにはどんな目的もないんだ」

p.166

「歳なんて瑣末なことです。本質的なことだけが大切なんです。あなたは彼女を愛しているし、彼女もあなたを愛している」

p.185

「ぼく、体になら傷を受けても大してこたえないよ。でも、もしぼくがそんな傷を誰かに与えなければならないとすると、ぼくはもうひとつ別の種類の傷を受けることになって、それには耐えられないと思う」

p.203

「ペテールに何か不幸があったの?」
「いや、不幸があったのは、ペテールにじゃなくて、彼の友だちの一人にだ」
 子供が言う。
「同じことだよ。そのほうがもっと不幸かもしれない」

p.235

「ほんとうの家族とはどういうものか、ぼくにもわかったよ。ブロンドの髪を持つ美しい両親と、ブロンドの髪を持つ美しい子供……。ぼくには家族がないんだ。ぼくには母もいなければ、父もいない。ぼくはブロンドじゃない。ぼくは醜くて、不具だ」

p.259

「われわれは皆、それぞれの人生のなかでひとつの致命的な誤りを犯すの。そして、そのことに気づくのは、取り返しのつかないことがすでに起こってしまってからなんだ」

p.265

 こんなに愛と苦しみを伝える言葉があるなんて僕は知らなかった。冬の寒い日にひとりで毛布にくるまって読むのに最適な小説だった。寒さに凍えそうで孤独でも、苦しみを知っている人がどこかにいるのだと安心ができる。それが海の向こうでフィクションの世界だとしても。わかちあうことではない。ただそこにあると認めること。言葉にされた苦しみは、そこに存在するとわかることができる。幻なんかではない。僕の苦しみを肯定してくれた気がする。

第三の嘘

 Le troisième mensonge
 アゴタ・クリストフ/堀 茂樹 訳 (ハヤカワepi文庫)

 完結篇。
 ……完結篇てなんだよ。
 二人の兄弟の双方の視点で物語が展開する。でも何が真実なのかやっぱりわからない。
 人は大なり小なり「あのこと」を心のどこかに持っていて、忘れるために、あるいは忘れないために、嘘で糊塗して自分を保とうとするのだろう。
 でもこの作品のタイトルは第三の嘘で、つまりこの話も嘘なのだ。本当は嘘なんてつかなくてもいい世界ならよかったのだけれど、時代がそれを許さなかった。その嘘で救われる心がきっとあると願いたい。その祈りの形を取ったものが物語なのだと僕は強く信じたい。それと同時に、戦争もあの時代も「あのこと」も忘れてはならないのだ。嘘で人の心に傷跡を残せるならそれも生きるための一つの手段なのだろう。
 解説に書いてあることが、この物語たちの本質なのだろうと思った。できごと、ものごと、人物を様々な視点で語ればこうもなる。人にはそれぞれ自分の物語があって、それが日記や小説のかたちをとっただけにすぎない。あるいは解説にあるように、この街が主人公で街が見た夢や幻なのかもしれない。
 何十年も経って現れた男を自分の弟だと信じないで拒絶することはもしかしたら当然なのかもしれない。自分の知っているあの人は、自分の知っているあの人でしかなくて、自分の知らないあの人は別の人なのだ。しかもそれを証明するものはその小説のような文章に書かれていることだけだと言われたら、自分もその手段をとって、例えばこの物語が真実だとしても第三の嘘だと名乗らなければ自分の存在を証明できなかったのかもしれない。

まとめ

 三部作、全部一気に読むのがおすすめです。
 そして一年のはじめにハヤカワepi文庫を読むのです。今年もいい一年だった。また来年もよろしくお願いします。今年もいい一年になりますようになんて言わない。だって確定しているからだ。
 来年も生き延びていたら、ハヤカワepi文庫を読んでいるのだろう。そういうものになりたい。やがてこの病そのものに自分自身が変貌を遂げるまで。

ハヤカワepi文庫は、すぐれた文芸の発信源(epicentre)です。


 今年も最初に読む本が、ハヤカワepi文庫であるように。


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