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オチにたどり着けない絵本

娘が生まれてから毎月1冊、娘のために絵本を買っている。

それ以外にも妻が子どもの頃に読んでいた絵本や人からいただいた絵本もあるので、娘は弱冠1歳にしてそれなりの蔵書家である。

俺も妻も読書は好きなので娘にも本が好きになってほしいという想いがあるわけだが、そんな親の想いを知ってか知らずか娘も絵本を読んでもらうのはけっこう好きみたいだ。

もちろんまだ字は読めないので読みたい絵本を渡してきて、読めとせがんでくる。

そういうわけでよく娘に本を読んでやるのだが、中には子どもそっちのけでこちらが普通に楽しんでしまうものがある。


特にヨシタケシンスケさんの絵本はすごく面白い。大人が読んでも面白くて深い絵本として有名なのでご存知の方も多いだろう。

絵本の内容は哲学的と言っていいほど含蓄に富んでいるのだが、決して押し付けがましく教育してくるわけではなく、子どもが見ていて楽しい仕掛けだらけなのだ。正直子どもにとってはかなり贅沢な本だと思う。離乳食にフカヒレ食べるようなもんだ。

ただ1歳の子にはまだあまりその良さが理解できていないらしく、それなりに長さもあるので途中で飽きてしまう。フカヒレの姿煮を3分の1だけ食べて残すのだ。贅沢すぎるぞ!!

こちらとしては面白くなってきてどんどん読み進めたいわけだが、そうは問屋が卸さぬとばかりに違う本を読めとせがんでくる。もうそのクマやネズミがいないいないばあをするだけの絵本は何十回と読んだじゃないか。


目下、全然オチにたどり着けないのがヨシタケシンスケさんの『みえるとかみえないとか』だ。

あらすじとしては主人公の宇宙飛行士が色々な星で色々なタイプの宇宙人と出会うのだが、当然地球人とは色んなことが違う。

例えば飛び出た目が3つあって前と後ろを同時に見ることができる宇宙人の住む星では、後ろを見えないことを可哀相と言われるが主人公としては見えないことが普通なので別に自分が可哀相だとは思わない。

またそんな星にも生まれつき目が見えない人もいて、そんな人はみんなとは違う世界を見ているわけだが、その人にとってはそれが当たり前の世界なのだ。

つまり見えるとか見えないとか、いろんな人がいるけど各人にとってはそれが当たり前の世界なんだからそんなことで区別しないで多様性を受け入れていこうぜ。ざっくりそんな話だったと思う


思う、と書いたのはこの絵本を買う時に立ち読みして以来、結末までたどり着けていないのでオチの記憶がおぼろげなのだ。

娘の集中は、全体の3分の1くらいのところまでしか今のところもたないので、確かな記憶があるのはそこまでである。

逆に3分の1のところまでは何度も読んだ、それも音読なのでめちゃめちゃに記憶に刻まれている。「見えるとか見えないとか暗記選手権(3分の1までのところ限定リーグ)」があったらぜひ出場したい。


しかし、父親たるもの、子どもの成長を健やかに見守らなくてはいけない。ここまできたら俺は娘にとことん付き合うことを決めた。勝手に一人で先を読むことはしない!

娘よ、早く忍耐力をつけて絵本の後半へ進もうではないか!この絵本のオチを共にこの目で見届けようではないか!

読み終えた先に何があるのか。焦らされている分だけワクワクが募る。今から楽しみだ。


うわさによると、最後までこの本を読み切れた時、筆者の本当の意図が、『みえるとかみえないとか』


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