初めて割れた風船をゴミ箱に捨てた日
娘は最近「ゴミ箱」を覚えた。
いらないものはその箱に入れるということを親の姿を見て学んだらしい。「ポイポイしてきて!」と声をかけるとゴミを持ってゴミ箱まで歩いていって、得意げにゴミを捨ててくれる。「偉業成し遂げましたけど?」という顔でこちらを見てくるのでこちらもいちいち拍手を浴びせてしまう。
いま感じているであろう捨てる悦びを忘れずにぜひ断捨離のできる大人になってもらいたいものだが、それが捨ててよいものなのかという判断はまだ一人ではつきかねるようで、こちらが「ポイポイ!」と言って初めて捨ててくれる。
中には、大人にとっては明らかにゴミだが、娘にとってはなかなかゴミだと受け入れられないものもあるようだ。
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先日、1週間くらい家で遊んでいた風船がついに割れてしまった。
風船など割れてしまえばただのゴムの破片なので大人的には即ゴミ箱行きだ。
しかし娘は「新たな遊び道具に生まれ変わったのね!?」とでも思っているのか、割れた風船に興味津々である。
風船としては割れた後のセカンドライフも楽しんでもらえた方が本望だとは思うが、親としては飲み込んだりしたら危ないので早く捨ててほしい。
そんなわけで両親総出で「ポイポイしてきて!」と娘に何度も言っていると、そのうちしぶしぶゴミ箱に向かっていった。
ゴミ箱まではたどり着いたものの、ゴミ箱の傍で割れた風船をじっと見つめている。本当に捨ててよいのか迷っているようだ。その後、一回ゴミ箱に捨てたもののもう一度拾い上げ、最後にじっくりと眺めてから最終的にはちゃんと捨てることができた。
これは逡巡というやつだ。それも絵に描いたような逡巡、見栄やエゴを知った大人にはできない純度の高い逡巡である。
逡巡するのは迷いがあるからだ。
娘はこれまでにも何か複数あるものの中からどれにするか迷うことはあったが、捨てる/捨てないという自らの行動でどちらを取るかを迷う姿は初めて見たのでハッとした。
幸か不幸か、もう自らの行動の選択を迷える年になってしまったのだ。親の言いなりではなく、彼女自身が作っていく生き様の萌芽をそこに見たような気がする。
自我が芽生えたらあっという間に大人になって「今までお世話になりました」とか言って家を出ていくんだろうな…
その日がきた暁には「お前が初めて割れた風船をゴミ箱に捨てた日から、この日が来ることは分かっていたよ…」と遠くを見ながらつぶやいて送り出してやりたい。
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