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スピリット、境遇とは何か

初冬も早くもクリスマス・イブとなり、コロナ以降の自粛を漸く抜け出し、東京都心は繰り出す若者たちで賑わっていた。
(写真は、ニューヨークマンハッタン5番街  高級デパートサックスフィフスのクリスマスイルミネーション 2015年頃撮影)

根源的にふと思う、人間の生い立ち、身の上とはなんだろう。大学時代に世界を見てやろうとバックパッカーで安宿を泊まり歩き、アジア各地を流浪した。肉を焼いてパンに挟んで売っている屋台の同年代の若者の言葉「俺たちは君らのような気ままな海外旅行など夢のまた夢だ」に戸惑い気が咎めた。バックパッカーの安旅行とは名ばかりで、いい身分なのだとはっと気づき、横柄な身の程知らずの若造であることを恥じるばかり。車とバイクが猛スピードでひしめくバングラディシュの路上で裸で物乞いする子供たちになすすべもなく。灼熱のインドで我々友人3人を乗せたリキシャーを力強く、汗だくでこいでくれたおじさんはいまでも良心の呵責を覚える。振り返るに、自分の恵まれた環境、育った自然豊かな故郷、様々な人とのめぐり合わせ、両親の愛情に深謝して絶えない。

物質的に豊かであっても精神的に満たされるとは限らないのは、先進国をみて分かる通り。バックパッカー放浪時代、貧しい国々であっても、純真な子供たちが、満面の笑みを輝かせて遊んでいる姿が忘れられない。モノが溢れかえり技術が発達し過ぎると、素朴な心からの楽しみが損なわれていることにすら気づかない。贅沢が当たり前に慣れて麻痺してしまう飽食の現代人。21世紀初頭インターネットで加速するバーチャルな関係、電車の中でも常にスマホの画面を拝む人たちばかりとなった。もはや魔薬の中毒患者といっても過言ではない。世界中を見渡しても、海川で戯れ野山をかける子供たちの姿は、いつしか絶滅危惧種となりかねない。

人はそれぞれ、授かった星々の下で、何かを学ぶために生まれてきているのだという。その諸条件の格差というのが何故もたらされているのか、深淵すぎて人知では到底し認知しえない何かがありそう。努力と才能は両輪で、才能を補う努力が実を結ぶとよく言われるが、必ずしもそうではないと感じる。人それぞれもって生まれた得意と不得意があり、苦手な分野に一途に力を注いでも、一向に上達しないことは多い。しかし、若い時分には自分の適性がよく分からずに、無理矢理に試行錯誤の連続だった。思い起こせば、若かりし頃、自分に合わないことを自覚せずに時間を費やし、労多くして功少なしだったと、年月を経てからやっと省みる。

学問、芸術、技術、スポーツ、仕事、人それぞれ向き不向きあり、自分にフィットする分野を探していくのがよい。一流大学に入る、頭の良い悪いは、一生懸命勉強したからとは言い切れない。背が高い、足が速い、力持ちなどと同じであり、ある程度は努力で克服はするが、やはりその人に与えられた素質に左右される。欧米の教育では、生まれつき類まれな能力を持つ子どもをGifted(ギフティッド)と呼び、特別に支援する取組みがなされてきた。さらに、美男美女という見た目やスタイルの良さなど身体的なものこそ、たまたま天から贈られた衣装であり、境遇と似たものなのかもしれない。東洋の神秘と絶賛されたフッションモデル山口小夜子さんは、「人は世を去る時に、与えられた衣装を脱ぐのです」と語られている。

また、英語のタレントとは、聖書のTalant(タラント)という古代ギリシャの重さや貨幣を量る単位からきている。マタイ福音書にあるタラントのたとえ話では、神様が預けてくださった賜物を活かし豊かにすることの大切さが説かれている。ただ、それは能力を磨くのみならず、失敗を恐れず挑戦する意思や信頼といった心の持ちようを含めての示唆とのこと。生まれた境遇や持ち合わせた先天性は如何ともし難いし、選択してこの世に来ているというスピリチュアルな説もある。そうだとしても、いかなる人々の境遇によらずとも、チャンスを切り拓ける社会を創ることが、大人の使命ではないだろうか。

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