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4月の憂鬱と転職 | adolescene/クラムボン

 この春は結局桜も見られず、花粉症もそんなにひどくなく、いつもの春のせわしない感じとか、どこかふわふわむずむずした感じとか、なんかよく分からない焦りとか、そんなのもすっかり忘れたまま、5月になった。


 4月はいつもこの曲を思い出すけれど、今年はまだ聴いていない。

あっというま あきれるくらいのスピード もう春だ
嘘じゃないさ 目の前を夢中で過ごしているさ
それなのに やり遂げたあの日の幸せは
どこへ消えた わたしは不安を抱えたままさ
4月になれば思い出す あぁ


 この春、私は8年勤めた会社を退職して、新しい会社に入った。
 平凡に4年で大学を卒業して、平凡に働き始めた。東京に行きたくてたまらなかったのに、結局地元での就職を選んだ。就職氷河期世代だったので、就職が決まらない友人もいたし、すぐに辞める友人もいた中、お堅い仕事に就いた私は、「やっぱりあなたは安定しているわね」といろんな人に言われて、あまり嬉しくなかった記憶がある(贅沢な話だ…)。
 仕事が仕事だけに、退職・転職する人はほとんどないし、だいたい定年まで勤め上げるのがこの仕事の定石だ。


 入社して、それなりに仕事は楽しかったが、流れるように月日は過ぎていった。
 そんな中、毎年、春になると『転職しました』『仕事を辞めて大学院に行きます』『結婚して仕事を辞めました』『ワーホリに行きます』…と、いろんな人の環境の変化を目にすることが多くなり、春はSNSを見ることがしんどくなった。なんだか自分だけが、何も変われず、人生の駒を進められていないような焦りがあり、他人の人生の変化を羨んでいた。

 大学のときも、焦燥感や、何者にもなれない自分に絶望することもあったけど、安定した仕事に就けたことで、ある程度割り切れていたと思っていた。
 社会人の方が、むしろずっとずっと選択肢が多いことに気づいたのは、春をしんどいと思うようになってからだ。

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 山登りを始めて、長野への移住を本気で考えたこともあったし、学生時代のバイト先に戻って就職する案もあった。

 けれど、結局、安定したこの仕事を手放す勇気は、私にはなかった。


 そんな中、のちに配偶者となる相手と出会い、いつしか2人で暮らすようになった。お互いの職場が2時間離れていたので、間を取って住む場所を探した。楽しい同棲生活ではあったが、激務と長時間の満員電車に体力も気力も吸い取られる日々は、想像以上にしんどいものだった。

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 転職しようかなと思ったのは、去年の今頃だ。
 同居していた相手にも黙って採用の準備を進め、面接を受け、運よく内定が出た段階で、私は迷い始めた。


 前の会社に特に未練なんてないと思っていた。キャリアも維持できるし、相手の勤める会社と同じ街に移る方が良いのは私もわかっていた。けれど、迷った。
 あれだけ変化を羨んでいたのに、私は結局変化が怖かったのだと思う。通えない場所ではないと思うと、居心地の良いこの場所を手放すのにかなりの勇気が必要だった。

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 その後、2人でいろいろと話し合い、結局は転職することに決めた。自分的にもすごい決断だったと思うし、周囲もびっくりしていた。そのせいか、退職を前の会社に報告してから最後の日を迎えるまで、ずっと実感がなく、ふわふわした気持ちだった。
 送別会を開いてくれた人達には、ありがたいことに「さみしい~」「もったいない~」等と言っていただいたけれど、私自身は、ずっとここを離れるという実感が湧いていなかった。 


 最後の日は、職場で大きな花束と、持って帰れないくらいの餞別の品と、寄せ書きまでもらった。一番うれしかったのは、「あなたとは、一緒に仕事をしてみたかったです」と書いてくれた、別の係の係長からのコメントだ。それを読んで、「あぁ、わたしはもうここで働くことはないんだなぁ」と初めて実感して、そして少し泣いた。とても尊敬する方だったので、何より、最高の誉め言葉だなあとも思った。

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 家に帰り、花束の写真を撮って、SNSに短いコメントを付けて退職したことを報告した。そして、4/1から、新しい会社での仕事が始まった。


 私は、結局何も変わらなかった。


 仕事が変わって、住む場所も変わって、新しい出会いもあった。相手の職場が近くなったとか、ついでに結婚することになったとか、他にも変化はあったし、新鮮な気持ちにもなったけれど、今までのように仕事に行って、ご飯を食べて、毎日生活している。
 思えば、あんなに焦りを生んでいた4月の転機を、自分が経験する側になったのだけど、よくも悪くも、何も変わらずにいる自分がいた。

 つまりは、そんなことで、自分が違う人間になることなんてないのだ。人生はいつも、選択の連続のその先にあって、そのタイミングは人それぞれで、きっと変わらないことでいることも選択の1つだったのだ、ということに気づくのに、随分とかかってしまった。それだけのことだ。

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 そんなこんなで、4月は穏やかに、とは言え、この騒動ではあったけれども、至って平和に過ごしたように思う。4月になったって、私はもう、大丈夫なのかもしれない。来年は、桜の下で、笑って過ごしたいな。

 

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