「できる」についての徒然
「何かができる(ようになる)」っていうのは、
その人に劇的な変化が起きるとかではなくて、あくまで「その文脈、コンテクストに慣れる」ってことなんじゃないかなぁ……とか昼休み明けに少しぼんやりしながら考えた。
たとえば、
「これこれこういう文章を書いて」
と言われたらそれなりに書けて褒めてもらえたり、褒めがなくても特にリテイクなしにお代を頂けたりすることは多いのだが
それは私がそういう文章というのを見慣れていて、ある程度の「お決まりの型」とか、「具体的でわかりやすい文の中に1箇所くらい、ちょっと抽象的な表現を差し込むとよい」こととかを知っていて、それに必要な言葉を盛っていく作業に慣れているからだ。
幼い頃、歯医者の待合室にある絵本を大声で音読していたとかいう(今の私がそんなガキに出会ったら間違いなく舌打ちするであろう)、親から聞いたエピソードから連なる「慣れ」のおかげだ。
できるようになるには、慣れなくてはならないのだなぁ。着付けも、恋愛的な人との関わりとかも。
——なんだかものすごく当たり前なことを書いている気もする。でも、自分としてはちょいと何か再発見した気分。
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