見出し画像

10.「不要家族」と書く人々

(画像は実家の保護猫「与作(♀5歳)」と「ハナ子(♀3歳)」で記事とは関係ありません)

離島の学校に勤務していた時のこと。
深夜の職員室で定期テスト採点中に気がついた。

あるクラスの分を採点していたら、「フヨウ家族欄に名前を記入する」の漢字を間違えている生徒が異様に多かった。

間違え方まで同じ。「不要家族」と。

このクラスは、「離島留学生」という、県の制度を使って本土からやってきて寮に入っている生徒が9割を占めるクラスであった。かつ9割女子。

「不要」と書かれた答案は、他のクラスにもないことはないが、各クラスにせいぜい数人分程度。

涙ながらに卒業していった奴も多かったので、まあもう今さら思い出しても……という感はある。が書く。ここはとにかく桁外れのクラスであった。
筆者は2年間「国語総合」と「現代文」の授業を担当したのだが、まあすごかった。さまざまな常識を覆された。

特に入学してからの半年間くらいとか、授業に行っても、黒板が前の授業のまんま放置されていた。「今日の当番は誰?」と尋ねても、全員無言。30人くらいいるのに。
どうやら机に突っ伏して寝ていた生徒が当番だったようなのだが、それを誰も言わない、起こそうともしない、じっと押し黙っているか、無視しているか。

とうとう授業開始のチャイムが鳴り、「おいおい、授業が始められんじゃないか」とこっちがぼやいても、だーれも、なーにも、言わない。
始まらないならいいや、という感じで、堂々と寝始める奴まで出てくる始末。

寮生にはそもそも、夜更かしする奴が多かった。一応教員が毎日1名交代で宿直してはいたが、就寝のチャイムが鳴った後にしばらく見回る程度で、夜中の1時2時とかまでは面倒見ていられない。朝は朝で6時半に点呼をせねばならないのだ(その後は自宅に戻って自分の身支度をし、再度寮に戻って、追い出しと鍵閉めをしなければならない。寮母さんなどいないので、体調不良者がいれば自分の車に乗せて学校の保健室まで運ぶ)。
で、丑三つ時にもスマホで電話する奴やら(あまりに笑い声がうるさい時は起きて注意しに行かねばならなかった)、動画やネットショッピングに夢中な奴やらがごろごろいた。それが普通の寮だった。

そんな事情でとにかく授業中に寝る奴が多いものだから、
「音読するときは全員、立って読むようにしよう」
などと工夫してみたが、
「1ページ読む間ずっと立ってろっていうんですか? 虐待じゃん」
とか騒ぐ奴が出る始末。

こういったトラブルが絶えなかったものだから、担任の女性教員(筆者と同期で同学年団に所属)は始まって1ヶ月で鬱になって休職した。
それを引き継いだ、講師1年目の男性教員も、2週間ほどで本土の精神科に定期通院する羽目になった。

特に後者は1年目だというのにかわいそうなこと、仮担任となって1週間目の時点で一度体調を崩したのだが、
彼が休んだ日、日直が提出した日誌には「今日の欠席者」の欄に枠からはみ出して赤ペンでデカデカと「副担任の◯◯先生」と書いてあり、「日直所感」の欄には数行にわたって罵詈雑言が、やはり赤ペンで書き連ねてあった(ちなみに、これで精神をやられてしまった彼に対して、キューピー教頭が「だらしがねえな」みたいなことをぼやいたのは忘れねえ)。

彼が来られなくなってからは、同学年の教員で毎朝のホームルームを回した。主に副担任だった人たちがやってくれたが、時には筆者も自分のクラスで手短に連絡事項を伝えた後、ダッシュでこのクラスに向かったりもした。

この日直レベルの奴は他にも数人いて、そのうちの1人は、筆者の授業中に指名されても(目は覚ましていながら)起きない生徒がいた際、
「寝るような授業をするほうが悪い」
などと、頬杖をつきながら横から意見してくる
ような奴であった。
—— 一応断っておくと、教員の味方もゼロだったわけではない。上記のセリフに対し、
「そういうことはやることやってから言おうな」
と筆者が返すと、かすかに頷いてくれる生徒も3人くらいはいた。その3人のためだけに授業していたようなものである。
(次の年に別の教員の古典の授業を受けるようになって「先生の授業が良かった〜」とか言ってくる奴もいたのでそいつらに免じて少しは許す)

さてしかし、この頬杖生徒も含め、やはり「不要家族」と書いてくるだけあって、どことなく本人たちだけを責めきれない感じもした。

筆者が宿直に入ったある連休最終日の晩など、門限になっても寮に帰っていない生徒がおり、居場所を知らないか電話したところ「旅行とかでしょ? 知りませんよそんなの」と宣う親御さんもいた
当該生徒は数十分後に「船が遅れた」と言って帰ってきたので事無きを得たが。

結局はそうなのだ、「悪いのは本人じゃない」と自分に言い聞かせて、誰もが働いていた。それでなんとかもっていた。

休職した2人は次の年にそれぞれ別の学校に移った。跡を継いだのは元気な若手男性教員だったが、1年が過ぎる頃には見事な円形脱毛症に悩まされていた。

なんとも切ねえ話で。と、しみじみして以上。

次回「11.パワハラしていいのは、パワハラされる覚悟がある奴だけだ」(予定は未定)

読んでくださり、ありがとうございます。 実家の保護猫用リスト https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/25SP0BSNG5UMP?ref_=wl_share