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バック・トゥ・ザ・DNA

 先月の10月21日は、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の中でタイムトラベルした日として話題になっていましたね。1985年から2015年にタイムスリップするという話で、映画の中で想定されていた2015年は実現している、もしくは外れていると色々なメディアで取り上げられていました。人によって感じ方はまちまちだと思いますが、私はそれらの記事(例えばこれとかこれとか)を見ながら、「意外といい線いってるなぁ」と感じていました。実現できていない装置がある一方で、スマートフォンが予想できていなかったりと、ベクトルは少しずれていたけれど、映画の世界と同じくらい、現代も驚くべき発展を遂げているのだと思います。
 学問の世界にだって、30年前には予想もできなかったような発展を遂げている分野があります。そのうちの1つが、古代DNA研究です。


古代DNAとは

 過去に死んだ生物の骨・歯・髪などの遺骸から得たDNAのことを古代DNAといいます。古代DNAが最初に研究されるようになったのは、奇しくも映画とほぼ同じ年、1984年のことでした。クアッガという、体の前半分はシマウマで後ろ半分はウマにそっくりな動物の剥製からDNAを抽出し、その配列を調べたのです(※1)。下の写真はそのクアッガです。古代DNAの研究から、クアッガはウマよりもシマウマに近縁であることがわかりました。

 その後、古代DNAはミイラ(※2)や恐竜(※3)からも抽出され、大注目を浴びました。しかし後になって、これらは現代のヒトのDNAが混入したものを解析していたと判明しました。「古代DNAはどうも信用できないじゃあないか」と多くの人が思い始め、「古代DNA苦渋の時代」に突入します。その後、再び世間に認められるようになったのは、1997年にネアンデルタール人のミトコンドリアゲノム(ミトゲノム)が解読されてからのことでした(※4)。


ネアンデルタール人とヒトの関係

 上記の研究からは、ネアンデルタール人(長いので、以下ネアンと略します)のミトゲノムと、我々ヒトのミトゲノムとは、全く異なるということが分かりました。このことから、旧人(ネアンなど)が進化して新人(ホモ・サピエンス)になったという、昔の教科書にも載っていた図式は否定されました。更にはネアンとホモ・サピエンスの間で交雑がなかったかもしれない、という意見も出てきます。しかし、『ミトちゃんのお話』にあるように、ミトコンドリアは母親からしか受け継がれません。ですので、お母さんのお母さんのそのまたお母さん、というふうに母親の系統をずっと辿っていった祖先の情報しか、ミトゲノムからは得られません。過去にネアンとヒトの交雑があったからといって、その歴史がミトゲノムに反映されているとは限らず、むしろその可能性はとても低いものなのです。それ以外のどこかの祖先でネアンがいたかどうか調べるには、様々な祖先の情報が反映される核ゲノムを調べる必要があります。ネアンの核ゲノムの情報が手に入れば、現代人との違いを調べて、ネアンとヒトの交雑の証拠を得ることができます。ただし、核ゲノムはミトゲノムよりもずっと数が少ないのでその分解析も難しく、言うは易し行うは難し、ですが…


2010年のブレイクスルー

 そのような状況の中、解析技術の改良が進み、ようやく2010年にネアンの核ゲノムが解読されました(※5)。調べてみると、なんとネアンとヒトの間で交雑があったことが明らかになったのです。世界各地のヒトゲノムとネアンのゲノムを比べた結果、アフリカ人のゲノムにおいてはネアンの配列と似た領域がなかったのに対し、ヨーロッパ人やアジア人のゲノムにおいては数%、ネアンのゲノムと似た領域があったのです。これはつまり、ヨーロッパや中東に生息していたネアンと、アフリカを出たヒトとが交雑し、その子孫がユーラシア大陸やアメリカ大陸へと移動・拡散していったことを示唆します。

 これは人類学では一大ニュースとなり、様々なメディアでも報道されました。このことがきっかけとなり、古代のヒトの核ゲノムを調べる研究に注目が集まるようになりました。今では古代ゲノム研究と呼ばれたりもします。古代DNAというと、ミトゲノムの一部分や、1つの遺伝子だけの解析のことも指す表現ですが、古代ゲノムというと、昔の生き物の核に含まれる遺伝情報をまるっと取ったどー!ということを表します。時代は古代ゲノムへ、という潮流が生まれていきます。


2015年の大躍進

 さて、その5年後の2015年、古代ゲノム研究の世界では大きく分けて3つの進歩がありました。

1. 集団規模の古代ゲノム解析
 今までは1個体のゲノム解析でも大きな成果でしたが、なんと一気に数十個体のゲノムを解析しました、という論文が相次いで報告されました(※6,7)。これらの研究により、ヨーロッパの青銅器時代において生じた大きな文化の変容には、ヤムナ文化の担い手である遊牧民(ウクライナ周辺)の移入も関わっていたことが明らかとなりました。

2. アフリカでの古代ゲノム解析

 古代DNA研究はアフリカにまで勢力を拡大しました。古代DNAは乾燥していて寒い場所で残りやすく、今までの解析はヨーロッパなどのユーラシア大陸北部で行われることがほとんどでした。それがなんと、4500年前のアフリカ人のゲノムを解読したという研究が発表されました(※8)。この研究から、約3000年前頃にユーラシア西部からアフリカに移住してきた人達(この時にコムギやオオムギなどの農作物も一緒に伝来しています)の影響が、従来思われていたよりも規模の大きなものだったことが分かりました。

3. ホモ・サピエンス以前の古代ゲノム解析
 約40万年前の、ネアンの祖先と思しき個体の核ゲノムが解読されました(※9)。この研究はまだ学術論文になっておらず、学会で発表されただけなのですが、大きなニュースになっています。これだけ古い、人類の核ゲノムが解読されたのは初めてのことです。

 これらの進歩は1つだけでも大きな成果ですが、今年になってからなんと3つも発表されました。2015年は古代ゲノムの年と言っても過言ではないでしょう。


おわりに

 2010年に人類学でのビックニュースをもたらした古代ゲノム研究は、2015年に大きく前進しました。古代DNAの分野では30年後どころか、5年後のことを予想するのさえ難しいほどの躍進を遂げています。さて次の5年後、2020年にはどんなことが明らかになっているのでしょう?オリンピックに負けず劣らず楽しみであります。

(執筆者:mona)

※1 クアッガは南部アフリカに生息していましたが、乱獲などのため1983年に絶滅してしまいました。その後、クアッガに近縁なシマウマを集めて交配させ、クアッガを「復活させる」プロジェクトも行われています。

※2 Pääbo, S., 1985. Molecular cloning of ancient Egyptian mummy DNA. Nature, 314(6012), pp.644–645.

※3 Woodward, S.R., Weyand, N.J. & Bunnell, M., 1994. DNA sequence from Cretaceous period bone fragments. Science, 266(5188), pp.1229–32.

※4 Krings, M. et al., 1997. Neandertal DNA Sequences and the Origin of Modern Humans. Cell, 90(1), pp.19–30.

※5 Green, R.E. et al., 2010. A draft sequence of the Neandertal genome. Science, 328(5979), pp.710–22.

※6 Haak, W. et al., 2015. Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522(7555), pp.207–211.

※7 Allentoft, M.E. et al., 2015. Population genomics of Bronze Age Eurasia. Nature, 522(7555), pp.167–172.

※8 Llorente, M.G. et al., 2015. Ancient Ethiopian genome reveals extensive Eurasian admixture throughout the African continent. Sciences, 6(10), pp.2647–2653.

※9 Meyer, M. et al., 2015. Nuclear DNA sequences from the hominin remains of Sima de los Huesos, Atapuerca, Spain. In: 5TH ANNUAL MEETING OF THE European Society for the study of Human Evolution, LONDON, 10–12 SEPTEMBER.

Natureでの解説記事
43万年前頃の人骨の核DNA分析 - 雑記帳

<参考文献>
・更科功, 2012.『化石の分子生物学』講談社現代新書
古代DNAの黎明期から、どのようにして研究の間違いが判明したのか、その後どのように研究が進展していったのか、詳しく書かれています。読みやすく、よくまとまっていて、古代DNAという研究分野を知るには適切な本です。

・スヴァンテ・ペーボ(野中香方子訳), 2015.『ネアンデルタール人は私たちと交配した』文藝春秋
※2の論文の著者であるスヴァンテ・ペーボが、自身の研究人生をまとめた本です。そのうちこの本も紹介しようと思います。

<画像>
クアッガ写真 - Wikipedia

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