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ミトちゃんのお話

さて、今日はミトコンドリアの話をしますかねぇ。

自然人類学(生物としてのヒトを扱う人類学)において、ミトコンドリアというのは重要な役割を果たしてきました。ミトコンドリア、聞き覚えありますか?細胞の中に存在する、アレです。

ヒトが動くためのエネルギーを作り出している細胞内小器官です。普段生活していて、ミトコンドリアについて考えることはまずありませんよね。今日は我々のミトコンドリアから、ヒトの歴史に思いを馳せてみましょう。

ミトゲノムの特徴

今までにゲノムの話を何度かしてきました(「言葉にまつわる遺伝子を探せ!」「お父さんの武勇伝」など参照)。ゲノムというのは、親から受け継がれる遺伝情報の1セットです。DNAとゲノムの違いって何?とたまに聞かれるのですが、ゲノムを構成している物質がDNA、という関係性です。例えて言えば、DNAがレンガで、それで建てたお家がゲノムに相当します。

単に「ゲノム」と言えば、普通は細胞の核の中にあるゲノムのことを指しますが、実はミトコンドリアの中にもゲノムが存在しています。これらを区別するために、核ゲノム、ミトコンドリアゲノムと呼ぶこともあります。
このミトコンドリアゲノムが、今回のテーマです。(長いので以下ミトゲノムと略します。水戸さんのゲノムのことではないです)

ミトゲノムの特徴その1:核ゲノムに比べてとても短い
核ゲノムが約30億bp(塩基対:DNA配列の長さの単位)のDNAから構成されているのに対して、ミトゲノムは16500bp。核ゲノムはミトゲノムの18万倍と、圧倒的な長さを誇っています。ミトゲノムはとてもコンパクトですが、この中にはエネルギー合成に必要な遺伝子がぎっしり詰まっています。

ミトゲノム特徴その2:母親からのみ伝えられる(母系遺伝)
核ゲノムは父親と母親両方から受け継がれるのに対し、ミトゲノムは母親からしか受け継がれません。ちなみに豆知識でいうと、ミトコンドリアの数は細胞の種類によってかなり異なります。通常は卵子1細胞と精子1細胞が受精して受精卵ができますが、卵子には10万ものミトコンドリア、精子には50-75個のミトコンドリアがそれぞれ含まれているのです(動画で見るとあんなによく動き回る精子が、こんなに少ないミトコンドリアで動いているなんて驚きです…!)。もともとのミトコンドリア数は圧倒的に卵子(つまり母親)の方が多いのと、精子(父親)のミトコンドリアを受精卵から排除する仕組みが働いているので、母親のミトコンドリアしか子供は持たない訳です。

ミトゲノム特徴その3:突然変異率が高い
親からゲノムを受け継ぐ時に、全部が正しく受け継がれるとは限りません。時々どこかに間違いが入ることもあり、これを突然変異と言います。ヒトのミトゲノムの場合、核ゲノムに比べて10倍近く、突然変異の起こる確率が高くなります。これはつまり、多様性がそれだけ生じやすいことにも繋がります。

他にも特徴が色々ありますが、まあこれでよしとしましょう。そうそう、今日の話は、ミトコンドリアについての研究が人類学でどのような役割を果たしたか、でしたね。

話は変わって…

自然人類学では、ヒトがどのように進化してきたかについて、長い論争がありました。多地域進化説 VS 出アフリカ説。我々ホモ・サピエンスの祖先と言われているのはホモ・エレクトスで、約190〜10万年前頃まで生息していました。ホモ・エレクトスはもともとアフリカに住んでいて、約100万年以上前にはユーラシア大陸にも広がっていました。北京原人やジャワ原人は聞いたことありますよね?彼らがアジアに住んでいたホモ・エレクトスです。

彼らはその後どうなったのでしょう?多地域進化説というのは、それぞれの地域に住んでいたホモ・エレクトスが、その地域で進化してホモ・サピエンスになったという説です。一方で、アジアなどに広まったホモ・エレクトスは絶滅してしまって、アフリカに残っていたホモ・エレクトスの集団からホモ・サピエンスが誕生し、また全世界に広まっていったというのが出アフリカ説です。

いよいよミトゲノムの出番

どちらの説が正しいのか、人類学では長い論争が続いていました。ところが1987年のこと、世界の147人のヒトのミトゲノムを調べました、という研究がNatureという学術雑誌に掲載されたのです(※1)。この頃、ヒトの核ゲノムを解析するのは難しく、まだ未知な領域がほとんどでした(ヒトの核ゲノムが解読されたのは2001年になってからです)。ですがミトゲノムは核ゲノムよりずっと短いので、この時代においても解析が可能だった訳です。

この研究では、まずミトゲノムの系統樹を作成しました。系統樹というのは、進化の筋道に沿って、類縁関係をもとにそれぞれの個体の配列を樹の枝の様に繋いだ図のことです(※2)。系統樹を作成した結果、現在のヒトのミトゲノムの祖先は、約29〜14万年前のどこかの時代に生きていた、アフリカのヒトのミトゲノム(※3)に辿り着くということがわかりました。多地域進化説では、ホモ・エレクトスがアフリカを出たのは約100万年以上前のことですから、それよりずっと新しい時代に誕生したことが分かります。この結果から、出アフリカ説の方が支持されることがわかりました。

最近の情勢

その後、2000年代には様々なヒトのミトゲノムが解読されるようになり、どのミトゲノムのタイプがどこに広まっていったか、かなり詳細に分かるようになっていきました。更には次世代シーケンサ(NGS)という装置が誕生し、ゲノム解読は急速に発展しました。この結果、現在の研究の主流はミトゲノムから核ゲノムに移りつつあります。

その一方で、遺伝子診断という形で、一般の人にもゲノム研究の成果が還元されるようになってきました。ミトゲノムのタイプ(専門用語ではハプロタイプと言います)を調べることで、自分の祖先を探れる!という遺伝子診断もあったりします。こういうのは苗字の由来を調べるのにも似て楽しいものですが、ハプロタイプで診断される祖先に関しては注意しなければならない点もあります。それは、自分の祖先は沢山いる中で、ミトゲノムから分かるのは、母親をずっと辿っていった祖先だけだということです。

私の両親は2人いて、その両親は4人いて…というふうに単純計算すると、10世代前(1世代25年とすると、250年前)には祖先が1024人もいたことになります。このうち、今の私に受け継がれたミトゲノムは1人のものだけです。他の祖先の人々の歴史は、悲しいことに、ミトゲノムからは分かりません。個々人の歴史というのは、口で言うのは簡単ですが、実際にはかなり複雑なものなのです。

最後に

今回この話をしようと思ったのは、テレビの水卜ちゃんが可愛かったから…ではなくて、人類学における「一般教養」の話もしようかなと思ったのです。ミトゲノムの話は、高校で生物を選択していないとあまり分からないですが、それでも社会との繋がりはそこそこあります。そういうことに触れた時に、「あ、こういうのもあったな」と思い出して貰えればいいなと思います。

(執筆者:mona)


※1 Cann, R. L., Stoneking, M. & Wilson, A. C. Mitochondrial DNA and human evolution. Nature 325, 31–6 (1987).
正しくは、ミトゲノムの全長の配列を調べたのではなく、RFLP(制限酵素断片長多型)といって、制限酵素によって切断された DNA 断片の長さの違いから、個人間の配列の違いを検出しています。

※2 進化の概念のもとでは、親から子、またその子へと配列が受け継がれていく工程のどこかで変異が入り、その結果、現在の個人間の配列の違いが存在している、と考えています。ですので、似ている配列同士を線で繋げていくと、進化の歴史を表す系統樹が出来上がります。これはなかなかイメージしにくいと思いますが、つまりは大人数で行う伝言ゲームのようなものです。大勢が高層ビルに集まって伝言ゲームをしたとします。最上階の1人から始まって、伝言を受け取った人は、下の階の誰か(1人でも複数人でもいい)に伝言を伝えるとします。伝言を受け取った人は、またその下の階の誰かに伝える…というふうに繰り返していって、1階までたどり着いた所で、1階の人達に伝わった伝言をそれぞれ調べていきます。そうすると、伝え間違いがあったせいで、伝言にも色々な種類ができあがっています。けれど、同じように間違えた伝言の言葉(例えば「つくえ」が「つくね」になっている)があれば、それはおそらく、元々どこかで伝え間違いがあって、それが同じように伝わってきているのだろうと分かります。このように、系統樹を作れば、どの配列が祖先の配列に似ているのか、更には祖先の配列がどのようであったのかを復元することができるのです。

※3 これがいわゆる「ミトコンドリア・イヴ」です。「イヴ」だからといって、この時代に女性が1人しかいなかった訳ではありません。とっても詳しい説明がWikipediaに載っているので、興味のある方はこちらをどうぞ。
また、その後の研究では、ミトコンドリア・イヴの生きていた時代は、14.8〜9.9万年前のどこかの時代、と訂正されています(以下の論文を参照)。
Poznik, G. D. et al. Sequencing Y chromosomes resolves discrepancy in time to common ancestor of males versus females. Science 341, 562-565(2013).

<参考文献>
諏訪元『ヒトの進化』第1章:化石からみた人類の進化, 13-64, 岩波書店(2006)

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