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お父さんの武勇伝

「俺はなぁ、若い時はさんざん苦労したんだよ。家が貧乏で、寮生活でしごかれて、学生紛争があって…」はいはい、お父さんの武勇伝ね、もう聞き飽きました。苦労して育った人間は立派になる、その通りかもしれないけど、私とは時代が違うんだから。お父さんが苦労したからって、今の私には関係ないでしょ?

いえいえ、実は関係あるかもしれないのです。まだマウスによる実験でしか確かめられていませんが、父親が幼い頃にストレスを受けると、その子供にまで影響を及ぼすという研究結果が報告されました(※1)。つまり、若い時の苦労が子供にも関係あるということです。お父さんの武勇伝、侮りがたし!でも、いったいどんな影響を及ぼすのでしょうか?(どきどき)

幼いマウスにストレスを与える

この研究をしたKatharinaさん達は、生まれたばかりのマウスを母親から一定時間(1日3時間くらい)離して育てることによって、幼いマウスにストレスを与えました。そうして成長して大人になったの雄マウスとその子供に関して、行動と遺伝子を調べました。

まず行動について。父親がストレスを受けたマウス(以降は苦労マウスと呼びます)と受けていないマウス(以降は普通マウスと呼びます)では、探索行動や我慢強さが異なりました。例えば、普通マウスは両側に壁がない道(平均台のような)を怖がるのですが、苦労マウスは普通マウスより壁がない道を歩き始めるまでにかかる時間が短かったのです。これは苦労マウスの方が危険に立ち向かって行動する能力が高いことを示しています。また、すぐに貰えるけれどあまり嬉しくない報酬(水)と、美味しいけれど遅れてしか貰えない報酬(甘い水)がある場合、どちらを選ぶか。この実験では普通マウスより苦労マウスの方が、甘い水を選ぶ傾向が強いという結果になりました。これはつまり、苦労マウスの方が、目標のために我慢することができるということです。このような行動実験をいくつか行い、Katharinaさん達は、「ストレスの多い環境で飼育された雄マウスの子供は、目標志向性・行動柔軟性がすぐれている」という結論を導き出しました。分かりやすく言い換えると、「お父さんが沢山苦労していると、その子供は目標に向かって行動する能力と、行動を状況に合わせて変える能力が高い」ということです。

ではこのような能力の違いは、何が原因なのでしょうか?親から子供に受け継がれるものといえば、遺伝子です。苦労マウスと普通マウスの遺伝子を比べてみると、脳内のミネラルコルチコイド受容体(副腎皮質で産生されるステロイドホルモンなどの受容体)が苦労マウスでは少ないことが分かりました。これは受容体の遺伝子のエピジェネティックな変化によって引き起こされたものです。エピジェネティックな変化というのは、遺伝子が直接変化するのではなく、遺伝子の修飾(DNAのメチル化・ヒストンの修飾など)が変化するということです(※2)。

ストレスを受けると変化する『遺伝子の修飾』

遺伝子の修飾は詳しく説明するとかなり難しくなってしまうので、以前の記事(※3)での喩え話をここでも使って、概要だけを簡単に説明してみます。ゲノムはレシピ本、遺伝子は本の中のレシピ達、遺伝子の発現は「実際に作った料理」だとすると、ふせんを貼っておいたり、逆にテープでページを閉じてしまったりすることが、「遺伝子の修飾」にあたります。ふせんを貼ったらそのレシピの料理を作りやすくなるし、逆にテープで閉じてしまったら、そのレシピの料理はあまり作らなくなりますよね。そういう感じで、レシピ自体には変更を加えないけど、どの料理を作りやすく(あるいは作りにくく)するか調節するのが、「遺伝子の修飾」ということです。

精神的なストレスがあったからといって、ある特定の遺伝子が変化することはないのですが、遺伝子の修飾は変化することがあります。今回の場合、父親が幼児期にストレスを受けた→ある遺伝子の修飾が変化→その修飾の変化が子供にも遺伝する→子供のマウスの行動が変化した(目標志向性・行動柔軟性など)、と考えられます。ふ、複雑ですね。。

人での実証はこれから

注意して頂きたいのは、これはまだ人間で実証されていないことと、全てのストレスが良い影響に繋がる訳ではないということです。(※4)この研究はまだマウスでしか調べられていないので、人間についての研究はこれから進んでいくと思われます。

聞き飽きたお父さんの武勇伝も、私に関係があると思えば少しは聞く気になるかも…?いや、そんなことないか…

(執筆者:mona)


※1 Gapp, K., Soldado-Magraner, S., Alvarez-Sánchez, M., Bohacek, J., Vernaz, G., Shu, H., … Mansuy, I. M. (2014). Early life stress in fathers improves behavioural flexibility in their offspring. Nature Communications, 5, 5466. doi:10.1038/ncomms6466

※2 ここでは、遺伝子の発現調節に関わるゲノムの領域も含めて「遺伝子」としています。

※3 ゲノムと遺伝子の喩え話については『言葉にまつわる遺伝子を探せ!』の注釈(※1、※5)をご覧ください。https://note.mu/anthropologist/n/n890ea029a2c5

※4 親が受けるストレスによっては、子供へ悪影響を及ぼすこともあります。
Bohacek, J., & Mansuy, I. M. (2013). Epigenetic inheritance of disease and disease risk. Neuropsychopharmacology, 38(1), 220–36. doi:10.1038/npp.2012.110
また今回の研究では、「母親が受けるストレスの子供への影響」については書かれていません。

(補足)
この研究が人類学かと聞かれれば難しい所です。マウスを用いた実験ですし、どちらかと言うと神経科学に近いと思います。ただ、著者たちが最終的にはヒトへの適用を目指していることと、親と子の関係性に関わるという点が面白かったので取り上げてみました。

表紙画像は以下の画像を改変し転載しました。
http://phylopic.org/image/0f6af3d8-49d2-4d75-8edf-08598387afde/
http://phylopic.org/image/6b2b98f6-f879-445f-9ac2-2c2563157025/


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